第2話 どんな気分

 車は苦手だった。かつて監視役だった中年の男、琴平の運転が度を越して酷いもので、彼の運転する車に乗るたびに、ひどく酔っていたことを思い出す。

 今、琴平は狭間というアンドロイドの領土で調査をしている。いわば敵の巣窟だ。難なく帰ってきてくれればいいのだが。


 先ほど、高速鉄道の中で黒澤が言っていた「父親が行方不明になった」という言葉が、自分の中でこれほど尾を引くとは思わなかった。

 それから移動中、伊野田はずっと琴平の安否ばかり考えていた。今もそうだ。狭間を訪れて、無事なことがあるか。熱の原因は明らかにこれだ。この不安を解消するにはどんな方法があるのだろうか。伊野田にとって、初めての不安だった。


 考えているうちに、本当にわずかに眠り、気が付いたら車は町に入っていた。均等に植えられた木々と、縁石が見える。顔を上げると、住宅地だった。広い歩道を子どもが駆け回っている。似たようなサイズの家が、隣近所とは十分すぎる間隔を保って建っていた。停留所前とは全く景観の違う場所に、一瞬、メトロシティに戻って来たのではと錯覚しかけたが、眺めてみれば素朴な町だった。やがて白い外壁の家の前で停車した。


「着いたぞ」

 黒澤がキーを捻り、エンジンを切る。伊野田はゆっくりドアを開けて外に出る。澄んだ空気が広がっていた。少し寒気と眩暈がする。庭にはオフロード車が停まっていた。これが黒澤家の車のようだ。


「このレンタカーは?」

「あとで近くの店舗に返しに行く。とりあえず来い」

 黒澤に促され玄関に入ると、妻の梓が笑顔で迎えに来る。「迎えに行ければよかったんだけど……」と言ってこちらに向き直り、軽く握手をした。しかし、すぐに黒澤に案内され客室に通される。


 六畳ほどの部屋にはベッドと椅子、丸テーブルが置いてある。普段は物置にしているのか、半分開いたクロゼットに荷物を詰め込んだ形跡があった。再び黒澤がやってくる。ボトルとコップ、薬をテーブルに置いた。


「寝てろ」レースのカーテンを引きながら、黒澤が言った。

「寝てなきゃ駄目?」

 伊野田は言いつつも、荷物から部屋着を取り出し、無言で着替え始めた。黒澤はそれについて返事をせず、横目を向けながら続けた。


「レンタカー返して、そのあと梓と少し出かける」

「はい」

「二時間くらいで戻るから。なんかあったら連絡しろ」

「はい……、大丈夫ですよ。少し寝たら治ります。治ったら帰ります」

「何言ってんだ。余計な気を使うなよ。らしくねぇ。気にすんな」

「でも」

「本当にらしくねぇな。俺の親父の件は偶然重なっただけだ。おまえが気にすることじゃねぇ。こっちこそ、慌ただしくしちまって悪かったな」

「聞いていいですか?」


 着替えを終えて、右腕の義手を外す。ベッドに腰かけて、伊野田が聞いた。黒澤は腕を組んだまま、ドアに背を預けてこちらへ顔を向けた。


「どんな気分ですか? 親父さんが行方不明って連絡を聞いたとき、どんな気分になりましたか?」

 黒澤は、顎を擦って少し考えてから返事をした。

「……、案外、こんなもんかって感じだ。悪いがまだ、なんの実感も湧かない。今から旧家の方に行って、保安官から説明を受けてくる。なんかわかったら、また教えてやるよ」

「わかりました」

「じゃあ行ってくるから。手洗いは出て右手。反対側にリビング。ボトルも置いとくから、飲め。常備薬は、合うかわかんねぇから、飲む前に後藤先生に聞いてみな」

「はい」


 伊野田は返事をして、軽く頭を下げた。流れで倒れそうになる。本当に調子が崩れているようだ。黒澤はあきれ顔で笑い「ゆっくりしてろ」と促し、部屋から出ていった。横になる。部屋の外はどこか慌ただしく、黒澤と梓が行き交う足音が聞こえる。

 本当に、大変な時に来てしまったな、と伊野田は思った。買ってきた土産を渡し損ねたが、今は休ませてもらおう。眠る前に、後藤晶に短いテキストを送ると、電話が掛かってきた。

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