第18話:芽吹きの音


 メグーちゃんが肉片を食べ終えた瞬間、私の内側で何かが弾けた。


 脳内に、まるで祝祭の始まりを告げるようなラッパの音が軽快に鳴り響く。澱んだ空気の中で、その音だけが異質に明るく、私の意識を揺さぶった。


 このメロディは、ロールが成長した時に流れるものだと聞いたことがある。けれど、農民である私は、これまで一度も耳にしたことがなかった。剣士や黒魔術師の友人たちが語るそれは、遠い世界の話だった。まさか自分に訪れる日が来るなんて。


「あ、あの…」

「どうした?」


 ミリアリアさんの声は、湿った空気を切り裂くように凛としていた。


 私は胸の高鳴りを抑えながら、彼女に報告すべきだと感じた。


 私は震える指先でスキルを空発動し、表示された選択肢を確認する。リンゴと並んで地龍がある。しかも、ガーリック、バター、ローズマリーまで増えていた。


「アニー?」

「…ちちち、ちり、ち、りり、ち…」

「落ち着け」

「ち、ちゆう…地龍が、う、うみ、生み出せ、るように、なりました」


 言葉にしながらも、自分でも信じられなかった。

 しかし、私の言葉に、ミリアリアさんは静かに頷いた。


「すまない。確証がなく、話していなかったな。アニー、お主の力を必要としたのは、まさにその現象を期待していたからだ」

「え?」


 彼女の瞳は、どこか遠くを見ているようだった。

 ロールに潜む何かを知っているような、そんな気配を感じる。


「…理由はわからぬが、メグーの存在は我々のロールに大きな影響を及ぼす。料理人であるケビンと、農民であるアニーが協力して、一つのアイテムを作り、それをメグーが食したことにより、お主のスキルに変化が生じたのであろう」

「なる…ほど?」


 彼女の言葉は、霧の中に差し込む光のように、私の疑念を少しずつ晴らしていった。


 私をここまで連れて行く理由、その理屈の部分が納得できた。


「ねぇ、オーグとケビンが待っているのよね。早く行かなくて良いのかしら?」


 その時、どこかで聞き覚えのある声が響いた。

 湿った空気に混じって、妖艶な女性の声が滑るように届く。


 振り向いた先にいたのは、薄暗い神殿の中でも輝くような銀髪を持つ女性。床に垂れるほど長い髪が、まるで月光を編んだ糸のように揺れていた。


 そして、彼女は素っ裸だった。

 その足元に、先ほどまでメグーちゃんが来ていた衣服が散乱しているのが目に入る。



「ちょ、ちょ、ちょっと!?」


 私は慌ててバックパックを漁り、着替えを取り出して彼女に差し出す。

 その仕草は、まるで母親が子どもを守るようなものだった。


「ねぇ、お母さん、慌てすぎ」

「お、お母さん!?え、あ、ええ?」


 銀髪の女性は呆れたように笑いながら、私の服を受け取って着る。

 だが、胸元が窮屈そうであった。


「えっと…だ、だ、だれ、誰ですか?」

「ま、驚くのも当然かしらね。私はメグーよ」

「メグーちゃん!?」


 叫んだ声が、ひび割れた柱に反響する。

 先ほどまで幼い少女だったメグーが、今や私と同じ年頃に見えるほど成長していた。


「…ここまでの変化は珍しいな。やはり、料理とやらの影響か」

「え?な、何で、そんなに…れい、れ、冷静なんです?」


「ミリアリアは初めてじゃないもの」

「うむ」


 彼女たちのやり取りは、まるで過去に何度も同じ奇跡を見てきた者のようだった。


「私、体内のマナによって、体が変化するのよ」

「体内の…マナ?」

「そう、さっきの地龍、物凄く芳醇な味がしたもの。きっと、すごーい量のマナが凝縮されていたんだわ」


 メグーは、妖艶な容姿にも関わらず、子どものように目を輝かせていた。


 涎を垂らしそうなほどの表情に、私は少しだけ安心した。そんな彼女の表情に、先ほどまで幼かったメグーちゃんの面影を確かに感じ取れたからだ。


「メグーよ、必要ならばアニーとケビンに頼めば、また食べられるぞ」


 ミリアリアさんの提案に、私は思わず顔をしかめる。

 地龍を呼び出すなんて、危険すぎる。


「フェイがいる時にお願いしようかしら。そのたびに、地龍に暴れられたら厄介でしょ」

「確かにな」


「フェイさんが強いのは知っていますが、そこまでなんですか?」


 メグーは銀髪を邪魔そうに掻きあげながら言った。


「ええ、フェイのロールは盗賊だもの」

「盗賊!?」


 その言葉に、私は思わず身を引いた。盗賊はロールではなく犯罪者の称号だ。そんなものを神が役割として人に与えたのだろうか。だとしたら、それは、どんな役割を求めてのことだろうか。


「盗賊のスキルで命を盗んでしまえば、地龍なら一撃ね」

「フェイの秘密をそう簡単に話すでないぞ…メグー」


「あら、良いじゃない。相手はお母さんだし」

「あの、メグーちゃん?」


「なに?」

「い、今更だけど、ど、どうして、私がお母さんなの?」


 メグーちゃんは照れくさそうに目を逸らした。


「な、何となくよ!」

「どうやら、アニーはメグーに親愛を抱かれているようだ。こうして大きくなっても、その気持ちは変わらんようだな。うむ」

「うるさいわね。ミリアリア、恥ずかしくなること言わないでよ」

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