第2話 名乗る必要は、まだなかった
焚き火は、夜のあいだ完全には消えなかったらしい。
灰の奥で、微かな赤が燻っている。
夜明け前の森は冷え込みが厳しく、吐く息が白くなった。
目を覚ました瞬間、昨日の出来事が一気に頭をよぎる。
異世界。
森。
四人の子供。
そして――飯を作っただけで発動した、意味の分からないスキル。
「……夢じゃない、よな」
指先で地面を掴む。
冷たく湿った土の感触が、否応なく現実を突きつけてくる。
焚き火の周りでは、四人の子供たちがまだ眠っていた。
だが、その寝息は不思議なほど静かで、揃っている。
まるで、いつでも起きられるような――浅い眠りだ。
俺はそっと立ち上がり、朝食の準備を始めた。
鍋に水を汲み、残っていた穀物を入れる。
火を足すと、ぱちりと乾いた音が森に響く。
「……おはよう」
背後から声がした。
振り返ると、昨日一番前に立っていた年長の少年が起きていた。
眠そうな様子はない。
すでに周囲を観察している目だった。
「おはよう。早いな」
「……いつも、この時間」
短く答え、少年は森の奥へと視線を走らせる。
風の流れ、木々の揺れ。
危険がないかを、無意識に確認しているようだった。
ほどなくして、他の三人も目を覚ました。
小柄な子は焚き火のそばにしゃがみ込み、火をじっと見つめている。
無口そうな子は落ちていた枝を拾い、慣れた手つきで折り始めた。
もう一人は地面に小石を並べ、配置を確かめるように指でなぞっている。
……やっぱり、普通じゃない。
「飯、もうすぐできる」
そう声をかけると、四人の視線が一斉にこちらへ向いた。
反応が、早すぎる。
昨日と同じ、簡素な粥。
器を渡すと、四人は静かに、だが確実に食べ始めた。
「……名前」
年長の少年が、ぽつりと口を開く。
「名前、聞いてない」
「ああ……そうだな」
少しだけ迷ってから、俺は答えた。
「レイストでいい」
なぜか、フルネームを名乗る気にはならなかった。
今は、それで十分な気がした。
「レイスト……」
少年はその名を繰り返し、小さく頷く。
「俺は――」
名乗ろうとした少年を、俺は手で制した。
「無理に言わなくていい。
落ち着いてからでいい」
四人は一瞬だけ驚いた顔をした。
それから、どこか拍子抜けしたように視線を落とす。
――名乗る必要は、まだない。
そんな空気が、自然と流れた。
朝食を終え、俺は森を見回した。
この場所は、安全とは言えない。
「ここを出ようと思う」
俺の言葉に、四人の表情が引き締まる。
「村か、街か……人のいる場所を探す」
「……東」
年長の少年が即答した。
「半日、歩けば……人の匂い」
「分かるのか?」
「……前、見た」
それ以上は語らない。
だが、その一言だけで十分だった。
出発の準備をしている間も、四人の動きには無駄がない。
焚き火の跡を消し、足跡を整える。
誰かに教えられた形跡はない。
歩き始めてすぐ、違和感は確信に変わった。
年長の少年は自然と先頭に立ち、一定の距離を保ちながら索敵している。
無口な子は、ほとんど音を立てずに後ろを歩く。
小柄な子は、道なき森でも迷わない。
もう一人は、全体の位置関係を常に把握していた。
「……お前たち、本当に普通じゃないな」
俺の呟きに、四人は顔を見合わせる。
「普通って、なに?」
小柄な子が、不思議そうに首を傾げた。
「……そうだな」
俺は答えに詰まった。
この世界では、俺の方が異物なのかもしれない。
昼前、森が開けた場所に出た。
遠くに、かすかだが煙が立ち上っている。
「……人がいる」
誰かが呟いた瞬間、四人の空気が変わった。
警戒。緊張。
そして――覚悟。
その背中を見て、俺は思う。
本来、この子たちは守られる側じゃない。
前に立つべき存在だ。
だが今は――
「大丈夫だ」
俺は、できるだけ穏やかな声で言った。
「俺が、前に出る」
一瞬の沈黙。
それから、四人はゆっくりと頷いた。
そのとき、胸の奥が微かに熱を帯びる。
《エスティア》
昨日と同じ感覚。
だが、今度は確かに――強い。
理由は分からない。
ただ、はっきりしていることがある。
この四人と一緒に歩く限り、
俺は、まだ何者でもない転生者で終わらない。
拾った四人の孤児と、
まだ何者でもない転生者。
その組み合わせが、
やがて世界の行方を左右することになる――。
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