第2話
「……え?」
最初に固まったのは、女神だった。
次に王。
そのあと、波紋みたいに「え?」という声があちこちから漏れ出していく。
王族も、貴族も、商人も、元・魔王軍も。
誰もが「世界を変える願い」を想定していた顔だ。
そこで引き返せるほど、器用な性格じゃない。
「で、できれば、その。ついででいいんで――」
喉の奥がカラカラに乾いているのを自覚しながら、それでも続ける。
「なんかこう、未来がちょっと見える系の、チートスキルとか。そういうやつ、つけてくれると、嬉しいです」
言った瞬間、空気の温度が一段下がった。
――沈黙。
静寂って、物理的に耳が痛いんだな、と初めて知る。
「…………」
「…………」
「…………マジ?」
一番最初に声を出したのは、カイルだった。
いつものにやけ顔が、今日は見事なまでに固まっている。
「青春……?」
ミリアが、ぽつりとつぶやく。
口元に手を当てたまま、信じられないものを見る目をしていた。
「いや、まあ、気持ちは分からなくもないが……」
リュカが、こそっと目をそらす。
分かるのか、お前。
十八年一緒に戦ってきた仲間から向けられる視線が、いちばん痛い。
女神は、しばらく俺をじっと見つめていたが、やがて額に手を当て、天井のステンドグラスを仰いだ。
「……はぁぁぁぁぁ……」
神罰級のため息が、大広間に響き渡る。
「こちらに残れば、あなたは英雄ですよ?」
女神は、指の隙間からこちらを睨みつけるように言った。
この世界での地位、富、名誉。
全部が、今ここで約束されている。
王都の一等地に屋敷を構えて、死ぬまで英雄扱いされて、銅像だって建つだろう。
それは、確かにそうだ。
でも。
(そのどこにも、“高校の廊下”も“教室のざわめき”も入ってないんだよな)
世界の危機は、たぶんもう当分来ない。
だったらこの世界で英雄として残りの人生を過ごすより、俺はチャイムの音が鳴る未来の方が見たかった。
「剣振って、魔物斬って、仲間の墓増やして……それはそれで、意味があったのは分かってますけど」
自分の声が、妙に落ち着いて聞こえる。
「元の世界で、何も始まらないまま死にかけた十七歳だったんですよ、俺。
一回くらい、ちゃんと“日常”ってやつを味わってから三十代入りたかったなー、って」
自嘲気味に笑うと、誰かが小さく息を呑んだ。
「……今からでも、高校生やり直せるなら、やりたいです」
一度も始まってない日常を、もう一回始めたいだけだ。
それが本音だった。
「……あなたという人はさぁ」
女神が、こめかみを押さえながらぼやく。
さっきまでの神々しさが、だいぶ台無しだ。
「せめて、この世界の中での願いにしようとか、思わなかったの?」
「思いませんでしたね」
即答すると、周囲から小さな笑いが漏れた。
半分あきれたような、でもどこか救われたような笑い。
「未来が見えるチートスキル、ねえ……」
女神が、あきれ半分、興味半分でこちらを見てくる。
その瞳の奥で、何かがくるくると計算されているのが分かる。ろくでもない方向に。
「そういうのってさ、だいたいロクなことにならないのよ?」
「今さらですよ。もう十八年、さんざんロクでもない目にはあってきたんで」
「開き直り方が雑ぅ……」
女神は、肩をすくめて笑った。
どこか楽しんでいるようにも見える。この女神、本気で性格が悪い。
「分かった。世界を救った報酬としては、正直コスパ悪いけど。
あなたがそれでいいって言うなら――特別に、叶えてあげる」
「特別に、ってとこ強調します?」
「当たり前でしょ。神様、サービスしすぎると舐められるんだから」
言いながら、女神はちらっと別のテーブルに目を向けた。
そこには、元・魔王軍四天王たちが座っている。
紅蓮姫、氷牢将、白蛇の魔女、奈落の童姫。
彼らもまた、女神の視線に気づいたように、わずかに肩を揺らした。
(……今の、なんだ?)
胸の奥に、うっすらと嫌な予感が残る。
この女神が素直に「はい終わり」ですませるわけがない、という確信でもある。
「じゃ、勇者くん。準備、いい?」
女神が、俺の目の前まで歩み寄る。
距離が近い。光が強すぎて、目が痛い。
「本当に後悔しない? 取り消すなら今のうちよ?」
「後悔しませんよ。……たぶん」
「“たぶん”って言ったよね今!」
女神のツッコミが飛んでくる。
そのやりとりに、周囲からまた笑いが起きた。
英雄としての幕引きにしては、だいぶ軽い。
でも――このくらいゆるい終わり方でいいのかもしれない。
「じゃあ、行ってきます」
軽く手を振ると、カイルが酒樽を片手に立ち上がった。
「お前が帰ってくる場所は、いつでもここだかんなー!」
声が、やけに大広間に響く。
「勇者おじちゃん、ばいばーい!」
ちびっこにとどめを刺された。
おじちゃんは余計だ。
でも、悪くない。
(“帰ってくる場所がある”ってだけで、けっこう救われるんだよな)
「……帰ってくるかどうかは、そっち次第、だけどね」
女神が小さくつぶやいた声は、光にかき消されて聞き取れなかった。
視界が、真っ白に塗りつぶされる。
耳鳴り。
身体が、輪郭ごと剥がされていくみたいな感覚。
(ああ、この感じ。最初に召喚されたときと、同じだ)
意識が遠のいていく中、ふと、胸の奥が軽くなる。
これでようやく、止まっていた時計の針が動き出す気がした。
◇
――音が戻ってくる。
遠くで、車のエンジン音。
信号機の電子音。
人の話し声、犬の鳴き声。
鼻をくすぐるのは、アスファルトの匂いと、夏の空気と、どこかのコンビニの揚げ物の匂い。
(……この匂い、知ってる)
重たいまぶたを、ゆっくりと持ち上げる。
見上げた先にあるのは、高すぎもしない、低すぎもしない、どこまでも普通の――薄い雲のかかった、夏の日本の空だった。
「……マジか」
俺は、横断歩道の真ん中で、仰向けに倒れていた。
周りには人だかり。
誰かがスマホで救急車を呼んでいる声がする。
「君、大丈夫!? 聞こえる!?」
制服姿の高校生が、俺の顔を覗き込んでいた。
見慣れたブレザー。見慣れた校章。
そこまで確認して、ようやく理解が追いつく。
(――戻ってきた)
十七歳の夏。
交差点。
何も始まらないまま終わるはずだった、あの日の続きに。
そう気づいたところで、意識はそこで、ふっと途切れた。
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