第4話:消える



あの朝から、3ヶ月が経った。


私はもう、自分の部屋にほとんどいなかった。怜の部屋で眠り、怜の部屋で起き、怜の部屋から仕事に行った。歯ブラシも、着替えも、いつの間にか怜の部屋にあった。


「住めば」


怜がそう言ったのは、いつだったか。冗談みたいな声だった。


「……いいの」


「俺が言ってんだから、いいんだろ」


そうやって、境界が溶けていった。


---


金曜日の夜だった。


仕事が長引いて、怜の部屋に着いたのは23時過ぎ。鍵は預かってた。開けて、入って——


電気がついてなかった。


「怜?」


返事がない。まだ帰ってないのかと思った。足元の異変に気付く。


「珍しいね。掃除かなんかでもしたの?」


コートを脱いで、電気をつけると——


本がなかった。


床にあった本。棚にあった本。テーブルの上の紙束。全部、なかった。


部屋が、空っぽだった。


「え」


声が出た。理解が追いつかない。何が起きてる? 引っ越し? 聞いてない。何も聞いてない。


スマホを取り出す。怜に電話する。コール音が鳴らない。「おかけになった電話番号は——」


切った。もう一度かけた。同じだった。


LINEを開く。メッセージを送る。既読がつかない。


いや、そもそも——


送れてない。ブロックされてる。


「うそ、なんで」


膝が崩れた。その場に座り込んだ。


何が、何が起きてる?


部屋を見回す。空っぽだ。本だけじゃない。怜の服も、パソコンも、コーヒーメーカーも。私が置いてたものだけが残ってる。歯ブラシと、着替えと、化粧ポーチ。


怜が、いない。


怜の痕跡が、何もない。


「うそでしょ、誰かなんか言ってよ」


声が震える。立ち上がろうとして、立てない。手が震えてる。足が震えてる。全身が震えてる。


私は怜の部屋の真ん中で、声を上げて泣いた。


---


それから3日間、私は怜を探した。


仕事を休んだ。電話をかけ続けた。繋がらなかった。怜が行きそうな場所を回った。いなかった。出版社の担当者に聞いた。「申し訳ありません、個人情報は——」


4日目、私は怜の部屋の前で座り込んでいた。


もう私の鍵では開かなかった。鍵が変えられてた。大家に変えさせたのか、怜が。計画的だ。全部。


自分の部屋に戻った。ほとんど来てなかった部屋。埃がうっすら積もってた。


5日目、会社から電話が来た。出なかった。


6日目、後輩が家に来た。私は出なかった。


7日目——


玄関のドアがノックされた。鍵を持っているのは、親だけだ。


母が入ってきた。


「朔」


声が聞こえた。遠かった。私はベッドに横たわったまま、動けなかった。


「朔、起きなさい」


起きられない。起きる理由がない。怜がいない。怜がいないのに、どうやって起きればいい。


母が私の顔を覗き込んだ。何かを言った。聞こえなかった。


気づいたら、病院にいた。


---


「脱水症状と、栄養失調ですね」


医者の声が聞こえる。母が何か言ってる。私は天井を見てた。


点滴の管が腕に刺さってる。生きてる。まだ生きてる。怜がいないのに。


なんで。


なんで私は生きてる。


---


3日後、退院した。


母は「実家に帰ってきなさい」と言った。帰らなかった。帰れなかった。帰ったら、認めることになる。怜との3ヶ月が終わったと。


ベッドに横たわった。天井を見た。


怜のことを考えた。


なんで消えた。なんで何も言わなかった。なんで——


脳内で、怜の声がした。怜なら、そう言いそうだった。


でも、違う。


消えることの方が、よっぽど人を殺す。


怜は私を殺した。心臓は動いてるけど、私は死んでる。


生きた屍だ。


---


1ヶ月が経った。


会社は休職扱いになった。母が手続きしたらしい。食事は宅配弁当を頼んだ。食べられる日と、食べられない日があった。


何もできなかった。


怜のことだけ考えてた。


なぜ消えたのか。私の何がダメだったのか。追いかけて、見つけて、会えたら、何を言えばいいのか。


答えは出なかった。


考えても、考えても、答えは出なかった。


---


2ヶ月目。


ある日、窓を開けた。


冬だった。冷たい風が部屋に入ってきた。寒かった。でも、外の空気を吸いたかった。


それが、変化の始まりだった。


3ヶ月目。


外に出た。コンビニまで。往復10分。それだけで疲れた。でも、外に出た。


ちゃんと鍵を閉めて、ちゃんと歩いて、ちゃんとコンビニに入って、ちゃんとおにぎりを買って、ちゃんと帰った。


それだけのことが、ものすごく大変だった。でも、できた。


---


そして4ヶ月目——


私は、ある人に会った。


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