第3話 一時休廷、そして再開。議論はさらに進む。

ヨヨ裁判長:かぐや君、少し落ち着いてください。米河君も。お二人とも、今少し黙って私の言うことをお聞きなさい。いいですね(静かに、しかし威厳を持って)。今のお二人のおことば、撤回の必要はありません。私も絡みましたが、むしろ撤回の申立ては認めません。それは、お二人の真の心の叫びなのですから。


米河:撤回なし、いいっすねぇ。上等~、っす! ワシに二言はねえ。吐いた唾みたいなカス呑み込むような真似なんざぁできるかボケぇ! 死んでもせーへんわ!

かぐや:喧嘩上等じゃあるまいし。アホ。

 あ、私も撤回なしで構いません(汗汗)。


ドクター・トラウム:(圧倒されつつも言葉を絞り出し)これだ。これこそが、計画という冷たい設計図には描けない、人間の『温度』だ。米河さん、かぐやさん。あなたたちの生き様に、乾杯したい気分だよ。フェンネルさん。今の咆哮を聞いてもなお、あなたは『計画された静寂』が正しいと言い張れるかな?


フェンネル:(全身の力が抜け、がっくりと椅子に沈み込む。もはや反論の言葉もなく、ただ自分の掌を見つめるのみ)


メルジーヌ弁護人:弁護団長の情状証人的に、私にも一言。

ヨヨ裁判長:メルジーヌ弁護人、どうぞ。というかむしろ、お願いします。

メルさん:この子の、いえ、弁護団長の名は米河清治。苗字の読みはともかく、名前の読みは「せいじ」とも読めますが、正確には「きよはる」と読みます。彼と同じ名前の野球選手が、西鉄ライオンズに居ました。関口清治という選手です。この人も「せいじ」と呼ばれていましたが、実際は「きよはる」が正しい読みでした。

 関口選手は福岡の平和台球場で行われた昭和33年の日本シリーズ第5戦の9回裏、同点に追いつくタイムリーヒットを打ちました。それは延長10回裏の稲尾和久投手によるサヨナラ本塁打の呼び水となりました。

 今でこそ弁護団長と、それこそ夏目漱石の坊ちゃんの校長先生みたいに「フロック張って」いるところよろしく、東京裁判のジョセフ・キーナン首席検事のような姿格好をしていますが、この子を子どもの頃から見ている私には、その姿よりもむしろ、子どもの頃、岡山市内の養護施設に送られて日々泣いていた姿のほうが目に浮かびます。その反面、この子は、今述べた西鉄の関口選手のような起死回生の一手の打てる人物であると私は信じています。現にこの子は、そうして人生の危機を幾度も乗り越えてきました。大学生の20歳になってすぐの頃、帰りの運賃もなしに甲子園球場に行って、岡山の知合いの阪神應援團の人に帰りのバスに乗せてもらって帰ってきたことには、さすがに呆れましたけどね(法廷内大爆笑)。

 私は毎週のプリキュア御意見番の際も、この子を「せーくん」と呼んでいます。それは、西鉄の関口選手が「せいじ」と呼ばれていたことを意識して欲しくて。


ヨヨ裁判長:メルジーヌ弁護人、ありがとうございます。このお二人には冷却期間が必要と思います。主任弁護人の弁論、私も実はそのような要素のあるものであると思料しました。私が求めていたのは、実はそのような本音の叫びです。

裁判所は当法廷の冷却期間の必要を認め、これより15分間の休廷に入ります。米河君、そのウイスキーは休憩室でゆっくりお飲みなさい。メルジーヌ弁護人、主任弁護人をお願いします。かぐや君も、少し冷静になられた方がいいでしょう。

それより、米河君もかぐや君も。アホだのカスだのボケだの、プロ野球のヤジ要員でもあるまいし、娘さんやその世代の子らの前で示しの付かない言動は以後お慎みなさい。星野仙一さんならその頭文字でAKBとでも言って新聞ネタかもしれませんが、あなた方は紳士であり有識者と認めるからこそお呼びしているのですよ。

それから米河君。せーくんとよばれているのね、良い名前じゃないですか。昭和33年、私はまだ当時のあなたのお母さんと同じくらいの少女でした。あの頃の福岡の平和台球場に吹いた風が今、この2025年のクッキングダムに届いたような気がします。かぐや君にしてみれば西鉄に追い込まれる巨人のような立ち位置になりましたね。あなたには、新人に戻って長嶋茂雄選手の第7戦のランニング本塁打のような弁論を期待します。再開後も、この討論を継続します。ローズマリー判事と傍聴席のナルシストル―さん。被告控室で彼を介抱してあげてください。

フェンネル被告。今のお二人の叫びを、あなたの心という器にしっかりと溜めて戻ってきてください。あなたは自分の『絶望』に鍵をかけましたが、米河君は、その絶望を『逆転の物語』に変えるためのガソリンにして生きてこられた。そのことが今分かったのではないですか。これから15分間、ゆっくり考えてみてください。ナルシストル君とローズマリーさんと、一緒に。

あなたがこれから握るお結びは、関口選手の適時打やその後の稲尾投手のサヨナラ本塁打のような、誰かの心を震わせる『逆転の一打』になり得るのかを。あるいは、第7戦の後楽園球場の9回裏の長嶋選手のランニング本塁打のような、未来につなぐ何かを見せることができるものになるのか、どうかを。


・・・・・・・ ・・・・・ ・


15分後。再開廷。裁判官入場の際の起立ナシで再開。

ヨヨ裁判長:皆さん、少しは落ち着かれましたか。米河君、その真っ赤な顔を見るに、休憩室で少し『ガソリン』を補給されたようですね。

まどか判事、みのりさん、あの子たち、もとい、お父様方のあのような姿を見せてしまい、裁判長として少しばかり申し訳なく思います。

再開に先立ち、私より一言。私の故郷・スカイランドの空がどこまでも広がるように、未来もまた、計画という檻(おり)を突き抜けてひろがっていくものです。そうあってほしい。被告の過ちは、世界を小さく狭い檻に閉じ込めたことです。被告がいくらこの国を計画的に動かそうとしても、おにぎりだけで支配し、自らは独占した美食にふけり取巻きにはその美食の恩恵を与えることで支配するような構図は、早晩破綻を見ることとなるでしょう。さて、討論を継続してください。


フェンネル(ゴーダッツ):(ゆっくりと顔を上げる。その表情には、先ほどまでの激昂や絶望、傲慢な否定の影は消え、代わりに見たこともないほど神妙な、一人の男としての困惑が浮かんでいる)

裁判長。まずは米河さんとかぐやさん、この15分間、ローズマリーとナルシストルに介抱されながら、私は、自分が何に対して、あんなに必死に鍵をかけようとしていたのか、わからなくなったのです。


米河(ヨネ):(少し酔いが回り、柔らかな表情で)そうかな。フェンネル君。キミ、少しは『人間』の顔になったやないけ。ワシはあんたのことが憎くてわめいたんちゃう。

だが、ためを思って言ったたわけでもない。そこは勘違いするな。

そんなことを付け足す大人ってなぁ、大概、それがテメエの弾除けってところが相場だ。そんなテメエに自信もねえ年だけ食った大人もどきとこのワシを一緒にするンじゃねえ。

まあええ、君が勝手に作った『絶望の檻』とやらは、昔のワシのようなガキの未来を殺しかねん、それがワシは許せなんだ。それだけや。


かぐや(カグ):フェンネル君。こいつとは違う視点で私は問いかける。君は『計画』することで、傷つくことを避けようとした。だが、傷つかない人生に、お結びの味(喜び)はない。ヨネ、もとい米河君が這い上がってきたあの泥臭い日々にこそ本当の『レシピ』があったのだと、ようやく理解する気になったか?


フェンネル:はい。これだけ叱り飛ばしてくれる大人に、今まで出会ったことがありませんでした。もう少し、私なりに考えさせてください。


ドクター・トラウム:フェンネルさんのその神妙な面持ち。どうやら『計画された静寂』よりも、米河さんの『酔いどれの怒号』の方が、彼の魂には深く届いたようですね。それでは討論を再開しましょう。テーマは、先ほど積み残した『呪いを解くための言葉』についてだ。裁判長の『翻訳』には恐れ入りました。サラ金問題からスカイランドの空までを繋げてしまうとはね。

先ほどよりアメリカの例をとおっしゃっていましたね。私から提示したい。自由と民主主義の象徴でありながら、同時に激しい格差と分断を抱えるあの国を、お二人はこのクッキングダムの事案とどう結びつけるおつもりですか?


米河(ヨネ):ああ、裁判長に上手く拾っていただいた。では『自由の国』の光と影の話をしよやないか。

フェンネル君の『おにぎり配給制』はいわば極端な社会主義の失敗例だが、対極にあるアメリカ的なシステムなら彼を救えたかというと、それもまた怪しい。

かつて我々の親世代が憧れた、まさにパックス・アメリカーナともいうべき1940から50年代のアメリカ。

日本相手に太平洋の決戦で勝ち、世界の覇権を英国から受継いで得られた中での、何でも手に入るあの『欲望の自由』。そしてその欲望を音や映像で華やかにかき立てる、グレン・ミラーやベニー・グッドマンをはじめとするスウィングジャズ巨匠のオーケストラの音。鶴田浩二の哀愁あふれる歌や藤山一郎の朗らかなる歌声も悪くはなかろう。ワシャそんなのも好きやけど。

しかし、レコードやラジオから流れ来る異国の華やかな管弦楽器の音色は、空襲や原爆さえも受けた人たちやその子どもたちにさえも、アメリカの醸し出す自由という空気の象徴として受入れられた。無論、安保条約を押し付けるアメリカへの反感とそれはセットだが、これはかつて普通選挙と引換に治安警察法をさらに強化した治安維持法と同じ構図だったのです。その点においてよい実例があります。

広島県の警察官の息子に生れた浜田省吾というミュージシャンがおりますが、彼の語りと曲、聞くほどに、彼個人だけでなく戦後日本の若者たちのアメリカという国への思いの2面性がよく表れていると私は思料しております。アメリカ文化への憧憬と反感の話は、私からは以上です。

さてそれがクッキングダムに持ち込まれていたら。フェンネル君のような『持たざる者』の絶望は、癒やされていたと思うか? かぐや冬樹君、あとはよろしく。

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