萌えなき世界の救世主 〜キモオタが才能ある女子を沼に落として脳溶けゲーを作る〜
ダルい眠
第1話 萌えのない世界
この世界には『萌え』がない。正確には『男性向け』のフェチズムがない。
俺がこの事実に気づいたのは、物心ついてすぐだった。
前世の記憶がある。いや、「記憶」と呼べるほど明確じゃない。断片的なイメージ。ぼんやりとした感覚。でも、確かに「あった」という実感だけは消えない。
あの世界で俺は、美少女ゲームに人生を捧げたキモオタだった。
職業はプログラマーで、昼は会社でコードを書いて、夜は家でギャルゲーをする。画面の向こうの少女達に恋をして、彼女たちの笑顔を見るために夜を徹してクリックを重ねた。
細かいことは覚えていない。どんな会社だったか、どんな生活だったか、どうやって死んだのか。全部ぼんやりしている。
でも、二つだけ残った。 プログラミングの技術と、「萌え」への飢餓感。
飢えを満たすために、この世界のサブカルチャーを漁った。
——アニメを見た。女騎士が剣を振るい、世界を救う話だった。かっこいい。違う。
——ゲームをした。女主人公が美男子たちに囲まれる話だった。楽しそう。違う。
——漫画を読んだ。男同士が絡み合うBLだった。上手い。違う。
どれだけ探しても、俺の脳を溶かすコンテンツがどこにもない。
ケモ耳、メイド服、パンチラ、ニーソックス。何もない。ふざけていやがる。いや、パンチラに該当する腹チラなるものはあったか。野郎の腹筋なんて見たくもないが、女性に置き換えるとそれはそれで……ありだな。……いや、落ち着け。まだ『腹チラ』段階だ。人類には早すぎる。俺が求めているものは、その先にある『絶対領域』という名の聖域だ
こほん、話を戻そう。
この世界の男女比はおかしい。男1:女10。理由は分からない。生まれたときからそうだったし、誰もそれを疑問に思っていない。俺もそれを受け入れた。
結果として、価値観が逆転している。男は「守られるべき存在」。清楚で、従順で、受動的であるべき。女が社会をリードし、男はそれに従う。
エンタメもサブカルチャーも、その価値観に沿っている。『男性向け』という発想がない。市場がないから、誰も作らない。
飢えている。
ずっと、飢えている。
前世で当たり前にあったものが、この世界のどこにもない。
*
深夜三時。自室のモニターだけが青白く光っている。
画面の中で、仮絵のキャラクターが動いていた。まだ線画だけの、味気ない姿。顔も体も、俺が適当に描いた落書きだ。
呼吸に合わせて、肩が微かに上下する。胸が自然に膨らんで、萎む。瞬きは不規則に、でも自然に。人間が無意識にやっている、あの「間」を再現している。
画面の中の視線が少しだけ揺れて、こちらを見た。
見られている、と脳が錯覚する。
生きているみたいだった。
そこに存在していると錯覚させる、「見ていたくなる」動き。
人間が無意識に惹きつけられるよう、計算された揺らぎだ。
『M.O.E.』——Micro-Oscillation Engine。
俺が三年かけて作り上げた、2Dキャラクター表現に特化したアニメーションエンジン。
この世界の医療AIは異常に発達している。患者の表情から感情を読み取り、嘘をついているかどうかまで見抜く。眉の動き、瞳孔の開き、唇の震え、人間の「微細な表情変化」を解析するシステム。
俺はそれを逆の方向でシステム化した。「読み取る」AIがあるなら、「作り出す」AIも作れる。人間の脳が「自然だ」と感じる表情の動きを、逆算して生成すればいい。
引きこもり気味の中学生活、三年間を全部費やした。何度も失敗したが、それでもコードを書き続けた。
そして——できた。
動きは完璧だ。システムは完成している。
問題は絵だ。この落書きじゃダメだ。どれだけ動きが自然でも、元の絵がこれじゃ俺の脳は溶けない。必要なのはこの器に魂を吹き込む人間だ。
*
俺はブラウザでSNSのページを開いた。フォロワー三万の、BL界隈では名の知れた絵師。
あの繊細な線、独特の色気、髪の毛一本へのこだわり。男を描いてるのにエロい。むしろ、男を描いてるからこそエロい。BLなんて興味ない。だが、こいつの絵は別だった。
「人間の色気」を描ける稀有な才能。それが男に向いてるか女に向いてるかなんて、些細な問題だ。
投稿時間は深夜に集中している。
時々上がる日常ツイート。
「弟がうるさい」「弟寝かしつけた」「弟マジで可愛い」
弟を寝かしつけた後に描いてるに違いない。
たまに映り込む手元の写真。ペンの持ち方、爪の形。そして何より、今年の四月の投稿に一瞬だけ映った制服の袖。
同じ学校。同じ学年。一年C組、
金髪のウェーブ、派手なメイク、だるそうな目。ギャルグループの中心にいるが、こいつで間違いないだろう。
あの派手なギャルが、夜な夜なBLイラストを描いて、三万人のフォロワーを抱えているBL絵師だなんて誰も知らない。
まずは、こいつを協力者として引き込む。
声優はまだ見つかっていない。シナリオライターも、作曲家も。全部これから探す。
でも、最初の一人はこいつで決まりだ。
画面の中では、相変わらず仮絵のキャラクターが瞬きを繰り返している。「早く私に本当の姿を与えて」と催促しているみたいに。
待っていろ。お前に命を吹き込む絵師は、もう見つけた。
この世界に存在しないものを、俺が作りだす。
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