第4話 銀糸の魔法使い

 白いペンキで塗装された木製ガゼボ。その柵に手をかけ春鈴は庭を見渡す。真帆はその様子を後ろから見ていた。

 春鈴が黙っているので、彼女にしか見えない何かがあるのかと思い、真帆も庭を見渡してみる。しかし、真帆に見えるのは生い茂る草花とバラのアーチだけで、春鈴が何を見て、何を思っているのか読み取ることはできなかった。


「あなたのことは鳥羽さんから聞いているの」


 庭を見つめながら春鈴は閉じていた口を開く。


「“魔法使いオズヴァルトの魂を持つ子ども”ですって。驚いたわ。転生の話は稀に聞く話だけど、それがオズヴァルトだなんて」

「僕は父親に言われただけなので、それが本当なのかどうかは……わからないですよ」


 春鈴は真帆に体を向ける。彼女の表情は先ほどまでの柔らかなものと違い、真剣な目つきをしていた。


「わたしは真実だと思う。子ども騙しではないわ」

「でも記憶はないし、証明のしようがないじゃないですか」

「じゃあ、オズヴァルトの容姿は知ってる?」


 真帆は少し考えた。オズヴァルトは歴史の教科書にも名前が載るような人物だ。そして彼を描いたとされる肖像画を思い出してみる。


「確か……白髭の老人ですよね。ボロ切れを着ていて、見た目は見窄らしいけれど、実は凄い強い魔法使いだとか」

「それはフィクションのために着色されたオズヴァルトの姿ね。あまりにも古い人だから、時代とともに伝承に着色されていって、あなたが知るオズヴァルトの像が出来上がったの。それが現代では一般化されているわ」


 彼女は意味ありげに微笑んだ。


「でも、わたしたち魔法使いが知っている姿は違う。“白銀の絹の髪。太陽に照らされた海の瞳。純白に包まれし魔法使い”それが本来のオズヴァルトの姿なの」


 それを聞いた瞬間、真帆の脳裏には今朝に見た夢の内容が鮮明に蘇った。


「──銀糸の魔法使い」


 口にした言葉に、春鈴は怪訝な顔をする。


「銀糸?」

「僕の夢に出てくる魔法使いです。白い服を着て、銀色の髪だから、そう呼んでるんです。話したこともないけど、今日は初めて目を見れて、それが僕と同じ目──」


 真帆は言葉を切った。

──白銀の絹の髪。太陽に照らされた海の瞳。純白に包まれし魔法使い。

 春鈴が言ったオズヴァルトの容姿が、銀糸の魔法使いと一致することに気がついたのだ。

 体がこわばり、悪寒がする。全身の毛が逆立つようだった。真帆は自身で体を抱きしめて背中を丸める。

 春鈴の声が微かに聞こえた。


「落ち着いて。真帆くんは夢の中でオズヴァルトに会っていたのね。彼の魂があなたの中で眠っているからかもしれない」


 鈍器で殴られるような頭痛がし、夢で見た映像が何度もリピートされている感覚に襲われる。

 真帆は何か忘れているような気がした。銀糸の魔法使いがこちらに振り向き、目が合った瞬間、彼の口元が動いていた気がするのだ。でも、なにを言っていたのだろう。音声だけ切り取られているかのようだ。

 思い出せと言われている気がする。

 誰に?

 ──わからない。

 痛みは増していく。頭が割れそうだ。脳裏で流れる夢の映像が曖昧になってゆく。ジャミングが入った映像を見ているかのようで気持ちが悪い。

 意識が遠のいてゆく感覚。瞼が重く、次第に視界が狭まっていった。

──眠りたくない。

 夢を見ることに恐怖を感じる自分がいる。


「真帆くん!!」


 叫ぶ春鈴の声が最後に聞こえた。

 真帆の視界は暗転し、真っ暗な闇に堕ちてゆく。



 意識はゆっくりと浮上する。真帆は今日だけで二度目の同じ天井を目にした。ベッドから重い体を起こす。

 時間の感覚さえわからない。壁掛け時計を見れば、春鈴と庭を歩いていた時間からさほど時間は経っていないようだ。


「眠ってたのか……」


 時計の秒針の音だけが響く部屋で呟いた。


『お寝坊さんね』


 ひとりごちたものに返事が返ってくる。知らぬ声に真帆は部屋を見渡す。声の主は見当たらないのに、何処からか視線を感じた。


『どこを見てるの。こっちよ、こっち』


 再び同じ声がすると、ひょこっと真帆のベッドに一匹の黒猫が飛び乗ってきたのだ。


「猫……?」

『猫?アラ、普通の猫じゃあないのよ』

「ね、ね、猫が喋ってる!!」


 真帆は目を丸くした。ベッドから飛び起き、勢い余って布団と一緒に床へ落下する。その際に体を強打した。


「うっ……痛ったぁ!」

『アラ、アラ、なにをしてるのよ、このコ』

「やっぱり猫が喋ってる……」


 まだ自分は寝ぼけているのだろうか。真帆は目を擦った。喋る黒猫は毛並みが整っており、艶やかだった。目は満月のような黄色。動物特有の可愛らしさよりも、美しい猫といった印象を受ける。そして尻尾は二又に分かれているのだ。


『ケットシーを見るのは初めて?珍しくもないけどねぇ』


 床に転がったままの真帆に近づくと、黒猫は真帆の頬に顔を擦り付けた。髭がくすぐったい。


「ケットシー?」

『クレオと呼んでちょうだい。それがワタシの名前』


 真帆は体を起こすと、なぜか正座になってクレオを見下ろした。


「君も妖精なんだね」

『そうよ、オズの子。受け入れるのが早いのね』

「喋る生き物は君だけじゃないから」

『……そうね』

「君は……クレオはどうやって入ってきたの?怒られるかもしれないよ」

『ふふっ、怒られはしないわ。野良猫じゃないもの』


 クレオは二つの尻尾をゆらゆらと揺らす。


「じゃ、鳥羽さんに飼われてるんだ」

『失礼しちゃうわね。飼われてないのよ。春鈴の使い魔なわけ。ペットと一緒にしないで』

「ご、ごめんね……」

『いいわ、ワタシにとってオズの子も赤子に変わりないもの。かわいい赤ちゃん。ワタシはそれくらいで怒ったりしないんだから』

「赤ちゃん……」


 猫にそう言われるのは可笑しなものだ。真帆は眉を下げた。

 この猫の高貴さを感じる風格は、もしかすると自分より長い人生を過ごしてきたのかもしれない。


「君って実はすごく長生きなの?」


 真帆はクレオに問うた。彼女が答えるより先に声がする。


「猫に九生あり。幾度も転生した猫はやがて妖精となる」


 ドアの方向から声がする。真帆は振り返った。


「ケットシーは猫が永年かけて生を成し、妖精となった存在なの。目が覚めたのね、お寝坊さん。二度目の朝はよく眠れたかしら」


 開いたドアの側に立っていたのは春鈴だ。


「僕は……」

「気絶したのよ。丸一日眠っていたから、このまま起きないんじゃないかと心配してたわ」

「丸一日……?」


 真帆は冗談かと思った。彼女はにっこりと笑う。


「あなたが気絶したのは昨日の話」


 真帆はもう一度、気を失って倒れそうになった。丸一日は眠りすぎだ。

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