第2話 協会ってやつ
追いかけるのは得意だ。
足音を消して、匂いを読んで、気配の薄い場所を選ぶ。
――盗賊だから。
そう言えば、だいたいのことは自分の中で正当化できる。
(偵察だ)
(復讐じゃない)
(偵察)
三回言って、ようやく心臓が落ち着いた。
林道の先、三人は町へ入った。
王都の中心じゃない。
下町と、スラムの境目。
人の目が雑で、噂が早くて、警備がやる気のない場所。
(……なるほど)
(協会の連中が嫌う匂いだ)
---
選ばれしもの協会。
アタイの世界で、それは「空気」だ。
誰も毎回説明しない。
でも、誰もがそれを前提に生きている。
子どもは勇者カードを集める。
大人は酒場で順位の話をする。
アンケートに答えるのは善行で、
ランキングの上位は神様みたいに扱われる。
そして、協会は言う。
「英雄を信じるな。仕組みを信じろ」
仕組み。
測定。
管理。
点数。
監督。
報告書。
――全部、人間のための言葉だ。
ケモノのアタイには、最初から関係がないはずだった。
関係がないって言われた。
門の前で。
測定器の沈黙と一緒に。
(なのに)
アタイは、まだ気にしてる。
まだ、あそこを見てる。
---
三人の“アジト”は、看板もない一軒家だった。
古い木造の平屋。
協会の白い建物みたいに、ピカピカしていない。
道端の泥を、そのまま家の中に持ち込むような家だ。
(……拠点の条件、最悪)
盗賊の目で見ると、そうなる。
窓が低い。
出入り口が一つ。
塀もない。
逃げ道も少ない。
なのに。
なのに、変に“落ち着いて”見えるのが腹立つ。
リコは裏手の物陰にしゃがみ、耳を立てた。
中から、食器の音。
湯気の匂い。
焦げた油。
紙の匂い。
(紙……?)
協会の匂いだ。
でも、胸章の匂いはしない。
---
朝。
近所の婆さんが来た。
鍵も叩かない。
勝手に声をかける。
「おーい、生きてるかい」
返事はすぐだ。
一番落ち着いた男の声。
「生きてます」
婆さんが笑う。
笑い方が、協会の受付の笑顔と違う。
客を選ばない笑い方だ。
「電球、切れちまってねえ」
「はいはい」
――電球。
勇者の仕事じゃない。
(いや、勇者って何だよ)
自分でツッコんで、少し悔しくなる。
男は脚立に乗って、淡々と電球を替えた。
その間、口の悪い男が台所で何かを数えている。
「婆さん、前の分、まだ払ってねえぞ」
「あらやだ」
「やだじゃねえ」
「はいはい、干しリンゴで許して」
「物納かよ……まあ、いい」
協会の職員なら、絶対に言わないやりとりだ。
書類がない。
判子がない。
請求書がない。
代わりに、干しリンゴがある。
(……呑気すぎるだろ)
---
昼。
子どもが二人、走ってきた。
木の棒を振り回している。
「剣の稽古つけて!」
「危ないから、そこ。距離」
男は木の棒を取り上げない。
でも、振り方だけ変える。
手首じゃなく、足を使えって言う。
転ばないように、刃の無い場所だけ使えって言う。
子どもは、素直に従う。
(なんだよそれ)
(協会の教官よりちゃんとしてんじゃねえか)
協会の訓練は、測定器の前でしか意味がない。
数字が上がらなければ、全部“無駄”になる。
でも、ここは違う。
転ばないことが目的で、
泣かないことが目的で、
怪我をしないことが目的だ。
点数が、ない。
(点数がないと、逆に怖い)
何を基準にして生きてるんだ、こいつら。
---
夕方。
商人が来た。
依頼書を差し出す。
「護衛、頼める? 安いけど」
口の悪い男が、即答する。
「安いな」
断る――と思った。
盗賊の頭なら、そう読む。
でも、横から別の声。
明るい女の声。
「ごはん付く?」
商人が首を傾げる。
女が真顔で言う。
「遅くなると、冷めるから」
……何の話だよ。
男たちが、顔を見合わせる。
それから、落ち着いた男が肩をすくめた。
「夕飯おごりなら、いいよ」
決まった。
世界の命運じゃない。
ランキングのためじゃない。
夕飯のために、護衛を引き受けた。
(呑気すぎるだろ!!)
心の中で叫ぶのに、なぜか嫌じゃなかった。
腹が立つのに、羨ましい。
---
夜。
家の窓に、灯りがつく。
リコは塀の影に座り、尻尾を巻いた。
寒いわけじゃない。
動けないわけでもない。
ただ、タイミングが分からない。
(今、入ったら)
(盗賊だ)
(今じゃなくても盗賊だろ)
(……うるせえ)
中から、紙をめくる音がする。
カリカリ、炭筆の音。
口の悪い男が言う。
「提出書類、三枚増える」
落ち着いた男が、ため息みたいに言う。
「外で戦うと、うるさい監督が来る」
監督。
協会。
点数。
その単語が出た瞬間、背中の毛が逆立った。
アタイの世界の“上”が、急に近づいた感じがした。
でも、次の言葉が、全部ぶち壊す。
明るい女が、鍋を持ってきて言う。
「あと、帰るの遅くなるとごはん冷めるよ」
落ち着いた男が真顔で返す。
「……それが一番痛いな」
(そこなのかよ)
協会の本部で聞いたら、職員が泣く。
勇者ランキングの会議室で言ったら、処刑される。
でも、この家では、
それが“普通の痛さ”なんだ。
---
リコは、指を折って整理した。
選ばれしもの協会は、世界を守る。
その代わり、世界を数字で縛る。
数字に合わないものは、最初から存在しないことにする。
ケモノの力は測れない。
だから、無い。
年齢を過ぎた力は、遅い。
だから、無い。
クビになった力は、危険。
だから、無い。
(なのに)
この家の中には、その“無いはず”が三つもある。
それが、呑気に鍋を囲んでる。
婆さんと干しリンゴで取引してる。
子どもに転ばない剣を教えてる。
協会の外側で、
協会よりちゃんと「生活」を守ってる。
(……協会って、なんだよ)
本当に分からなくなってきた。
リコは、抱えていたキャベツを見た。
昼間からずっと、手放せなかったやつ。
盗んだわけじゃない。
投げられたものを、受け取っただけ。
(受け取っただけなのに)
(なんで、こんなに重いんだよ)
---
その時。
扉が、きい、と鳴った。
明るい女が顔を出した。
夜風が、鍋の匂いを外に運ぶ。
「……リコちゃん?」
名前。
呼ばれた。
リコは、息が止まった。
隠れていたのに。
偵察だったのに。
女は、笑っていない。
責めてもいない。
当たり前みたいに、手招きした。
「ごはん、余ってるよ」
――協会の言葉じゃない。
だから余計に、怖い。
リコは立ち上がった。
逃げる足はある。
隠れる場所もある。
でも。
キャベツを抱え直して、
一歩だけ、前に出た。
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