第18話

 私の家までの道中、勇凛くんはずっと無言だった。

 いったいどうしたの?

 いつもの雰囲気と違いすぎて声をかけにくかった。


 最寄駅に着いたあと、自宅までの道のりは静かな住宅街で、それが気まずさに拍車をかけた。

 何も話さないまま自宅マンションに着いてしまった。


「勇凛くん、迎えに来てくれてありがとう」

「いえ、当然のことをしただけです」


 勇凛くんがやや不機嫌なのが気になって、なかなか動けずにいた。


「私何か怒らせちゃったかな……」

「……七海さんは何悪くないです」

「でも──」

「俺は七海さんが困ったことがあっても、仕事では何も助けることができません」


 勇凛くんは俯いた。


 勇凛くんは──

 自分が年下で、まだ学生だってことに劣等感を持っているんだ……。

 私も年下扱いしてしまっていた。

 勇凛くんは私と肩を並べようとしているのに。


「勇凛くんごめんね。勇凛くんの気持ち、ちゃんとわかってなかった」


 私は勇凛くんの手に触れた。


「勇凛くんは、そのままでいい。私がちゃんと、私たちが夫婦だって胸を張って言わなきゃいけなかった」

「いえ。まだ俺は学生なんで、七海さんが言いにくいのはわかります」


 勇凛くんは手を握り返してくれた。


「四月から俺も社会人なんで、もっと頼り甲斐がある男になれるように頑張ります」


 勇凛くんの真っ直ぐな瞳が眩しかった。


「……あの、一つお願いしてもいいですか?」


 お願い?


「うん。なに?」


 勇凛くんは少し時間を置いた後呟いた。


「キスしてもいいですか……?」


 私は言葉を失った。


「え、今……?」


 勇凛くんは頷いた。


「でも、七海さんが嫌なら、いいです」


 勇凛くんは私の気持ちを第一に考えてくれる。

 なぜこのタイミングかはわからない。

 それで勇凛くんの心が満たされるなら──


「……いいよ」


 勇凛くんは顔を上げた。


「本当ですか?」

「うん。だって私たち一応夫婦だし……」


 夫婦なのにキスすらしたことがない。


「ありがとうございます。嬉しいです」


 キスなんて初めてじゃない。

 なのに、ものすごい緊張している。


「あの……ここだと近所の人に見られちゃうから、家の中にしようか」

「はい」


 私は勇凛くんを連れて、また部屋に帰ってきた。

 私は勇気を出した。


「勇凛くん!いいよ!」


 私は目を閉じた。


「じゃあ、いきます」


 不思議なやりとりだ。

 緊張して心臓が破裂しそうだった。


 その時、柔らかい感触が──


 目を開けると、恥ずかしそうにしている勇凛くんの顔が目の前に。

 こんな至近距離で見たのは初めてだった。

 甘酸っぱい気持ちになった。


 まるで初恋の相手と初めてのキスをしたような──


「ありがとうございます」


 勇凛くんは離れた。


「七海さんにまた近づけてよかったです。じゃあ、俺帰ります」


 勇凛くんは玄関から出ようとした、その時。

 私は勇凛くんの腕を掴んでいた。

 無意識だった。


「どうしましたか?」


 勇凛くんは驚いてる。

 なんで私はこんなことを?

 でもわかった。


 私はまだ勇凛くんと一緒にいたいんだ。


「勇凛くん、まだ時間ある?」

「はい」

「じゃあ、もう少しゆっくりしていってくれると嬉しいな……」


 勇凛くんの瞳が輝いている。


「はい!」


 私たちの心の距離がまた少し近づいた気がした。

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