落語小説 新田家亭益之助 ―福中村分校「電話番」三つの記憶―
しんTAKA
第1話 電話番 作・新田家亭孝之助(しんTAKA)
家には家号というものがありまして、新田家の本家は二軒隣の平野さん。 この家を『シンヤ』と言いまして、隣の新原は『シンハラ』、その隣のうちが新田で、家号を『シンタヤ』といいます。 それで『新田家亭(しんたやてい)益之助』と名乗っとるワケです。
『ありがとう』という言葉がありますが、皆さん、『ありがとう』の対義語、まぁ反対語ですが、それがなにかご存知ですか? 諸説あるそうですが、一つ言われているのは『当たり前』という言葉が反対語になるんだそうです。 どんなことでも『当たり前』だと思ってしまうと感謝の気持ちがなくなる。それで感謝の気持ちを表す『ありがとう』の反対語が『当たり前』になるんだそうです。
電化製品も年々いいものが増えて、そこにあるのが当たり前になってくる。そうすると感謝の気持ちはいつの間にかなくなります。テレビだって洗濯機だって、はじめて家に届いたときは、みんなありがたいと思っていたんです。 しかし、だんだんとそこにあるのが『当たり前』になると、ありがたみを感じなくなる。それまで酷使するほど使っていたとしても、壊れると「役にたたんの~」と言って怒ったりする。人間というのは実に身勝手なものなんです。
電話でもそうです。遠くの人と直接会話ができる。最初はそれだけで本当にありがたかった。 それが、いつのまにかスマホの時代です。孫に、
「おじいちゃん、スマホの使い方わかる?」
と聞かれて、
「ようわからんねえ」
と答えると、
「ボ~っと生きてんじゃねえよ!」
と言われてしまいます。 確かに若い者にとっては便利なんじゃろうが、年寄りには使い方はようわからんし、なんやら味気ない気もして、『ありがとう』の気持ちからはどんどん遠ざかっていきます。
そこで、今日は、電話が『ありがたい』ものであった昭和二十年代、福中村(ふくなかむら)でのお話をさせていただきたいと思います。
*
昔は、一家に一台どころか、地域に一台もありませんから、急ぎの用があるときは電報です。 でもそれじゃあ不便だっていうことで、福中村にはじめて電話がつくことになりました。福中村には小学校の分校があったんですが、そこに電話が一台、設置されることになりました。戦後、数年経った頃のことです。
ある日の夕方、家の表で声がします。
「新田さん、おってかいの?」
「はいおりますで」
と音市が外に出てみると、そこには見覚えのある男の人が立っていました。
「お、こりゃ、分校の男先生じゃなあですか。どうしちゃったんです?」
「ありゃあ、ほかでもなぁんじゃが、今度、分校に電話がつくことになってのぅ」
「はぁ、そうじゃそうなのぅ。遅ればせながら、福中村にも文明開化が来ましたわい」
「文明開化は大げさじゃのう。ワッハッハ。……お宅に律子さんがおってじゃろ? その律子さんに分校の電話番として働きに来てほしんじゃが」
「律子に、ですか?」
「つくなぁ一台じゃけぇ、急ぎの時にゃあ、各家庭への連絡も兼ねにゃあいけん。学校のわしらだけじゃあ手に負えんから電話番が必要じゃ、ゆうことになってねぇ」
「はぁ、律子ねぇ……。分校にゃあ男の先生だけん時もあるし、あれもまだ嫁入り前じゃけぇ、まちがいでもあったらいけん。長男の益男じゃあ、いけんですかいのう?」
「新田さんがそう言うてんなら、益男君でもいいけえ、よろしくお願いします」
こうして、益男は分校に行くことになりました。
*
分校に行くと、まず、電話の使い方を習い、かかってくるのを待ちます。 福中村中の家の人へ電話がかかってくることもあるのです。その時は、分校の近くの大山さんのうちまで走って行って
「誰々さんに電話じゃけえ、呼んでください」
と声をかけると、そこに取り付けてあった大きなスピーカーで呼んでもらうということになります。 下(しも)の方の人にかかってきたときなど、実際に電話に出るまで三十分以上もかかって、なんとまぁひまのいることでした。しかも、やっと出たら、
「ありゃあ、うちじゃあなかったわ」
なんてことも、あったりしました。
空いてる時間は他のこともしないとなりません。用具の片づけ、給仕の手伝い、果ては授業の手伝い、式でのオルガン伴奏など。 ただ、授業中は分校にあったラジオの音を小さくしながら好きな番組を聴けたので、全体としては、まあまあ、いいお仕事だったのでございます。
*
ある日、本校から電話がかかってきて、『男先生を電話口に出してくれ』と言われました。 電話が終わると先生が、
「今から本校にいかにゃあいけんようになった。新田君、悪いんじゃが、しばらく代わりに授業しとってくれ」
「ええっ? いや、あの……」
「じゃあ、よろしく」
と、さっさと自転車に乗って出かけてしまいました。
残された益男は仕方ないので、三、四年生の教室に入ります。
「男先生は用事で本校に行かれたから、わしが代わりに授業する」
「よっしゃ、自習じゃあ」
「わしが今から授業するっていうたじゃろ、自習じゃなぁで」
「え、できるん?」
「バカにすな。四年は今、なんの授業じゃったんか? ん? 国語か」
益男は、日頃ラジオで聴いていた落語の一節に自分のアレンジを加えたり、ネタを組み合わせたりして授業を始めました。
「よし、じゃあの、大岡越前はなんで『越前』いう名前になったか知っとるか?」
「それが国語?」
「人の名前について勉強するんじゃけぇ、国語じゃ。……ありゃあ大岡越前は本当は大岡忠相という名前なんじゃが、ある時、将軍様に呼び出されて、『忠相、お前は子どものころ、沢山ご飯を食べていたのか?』と訊かれたので、『いいえ、多くは食べません。たったの一膳(いちぜん)です』と答えたところ、将軍様が『何? 多くは喰わん、たった一膳か? よしわかった。今日からお前はおおおか えちぜんと名乗るが良い』と言われて『大岡えちぜん』になったんじゃ」
「ええっ? ほんまぁ?」
「ほんまよう。武士に二言はない」
「あんちゃん、武士じゃったん?」
「いいや、武士じゃなぁけぇ、二言はある。今のは冗談じゃ」
「次は俳句じゃ。松尾芭蕉って知っとるか? 『古池や カワズ飛び込む水の音』って聞いたことなぁか?」
「カエルのことでしょ。あんちゃん、それくらいなら知っとるよ」
「そう思うじゃろ? 違う違う。全然違う! ありゃあ、旅人が急に雨が降り出して、こりゃあいけんゆうんで、呉服屋に飛び込んだんじゃ。その呉服屋の屋号が『古池屋』じゃったんじゃ」
「へぇ、お店の名前じゃったんか。じゃあ、カワズは?」
「カワズはカエルのことじゃないで。カエルじゃったら、カエルって書くじゃろ。……ある女の人が古池屋の前まで来たら、急に雨が降り出した。雨が降ってきたけぇ店に入っただけじゃから、服は買わん。『買わず(カワズ)』飛び込むじゃ」
「水の音はなんなん?」
「その女の人の名前が『水野(みずの)音(おと)』だった。わしの親父も『音市』ゆうんじゃけぇ、おかしくないじゃろ」
「スゲーッ!」
「よっしゃ、じゃあ次は三年生いくど。算数か。じゃあの、五くわえる一はなんぼにゃあ?」
「六じゃろ、あんちゃん。バカにすなや」
「なにゅう、ようるんねぇ、答えは四じゃ。まんじゅうが五個あって、そこから一個、口に『くわえて』みぃ、残ったのは四個じゃろうが」
「ハハハ!」
「じゃあの、今度は引き算じゃ。大根が五本あって、二本抜いたら、あとは何個残る?」
「三本じゃと思う」
「残念じゃのう、答えは二個じゃ。畑に大根が植えてあって、二本抜いたあとの『穴の数』は何個になる? 最初から何本とはいうとらんで。『あとは何個か?』って訊いたじゃろ」
「そんなんあり~?」
「次は難しいけぇ、よう考えよ。一引く二はなんぼにゃあ? ……答えは三じゃ。一本の木を二カ所で引いて切ったら三つに分かれるじゃろ。のこぎりで引くから、『のこぎり算』じゃ」
「ハハハ、おもしれぇ!」
授業とも漫談ともつかぬ益男の話は、先生が帰ってくるまで続いたのでございました。
*
そのあとは、男の子たちが誘いに来るようになりました。
「あんちゃん、あそぼ」
用具入れにあったバット一本とグラブ二個、ソフトボール一個で遊ぶことにしました。
一人の子がやりたそうにこっちを見つめています。
「おう、こっちに来て一緒にやろうや」
「わし、へたじゃけぇ」
「誰でも最初は上手にゃできんよ。このバット振ってみ。……そがぁに手の間を空けちゃあ、強う振れんよ。右手と左手をくっつけて振らにゃあ」
その子はうなずいて振りますが、重すぎて振れません。
「もっと短こうもたにゃあ。……あ、お腹に当たったか。短こう持ちすぎよぅ。グリップぎりぎりのとこで持ってみ。そこから、左手を離して、右手の上に重ねてみ。そうそう、そしたら今度は、左手を離して、右手の上に添えてみ。それで振ってみ」
「えい!」
今度は勢いよく振ることができました。
「よしよし。そんならバッターボックスに立ってみ。ピッチャー、近くからゆっくり投げちゃれ」
思いっきり振りますが、あたりません。
「大丈夫じゃ、ボールをよう見てバットに当てるんじゃ。バットに当たるまで見とけぇよ」
次の球をしっかり見ながら振ると、ボールが当たって前へ転がりました。
「ほら、当たったじゃなぁ。ようやった。自信を持ってやりゃあいいんじゃ」
そうやって教えて、何とか試合ができるくらいにはなりました。
中に三年生の田中くんという子が、すごく速い球を投げていました。
「おう、やるのう。田中くんはピッチャーじゃの」
毎日練習を続けておりますと、みんなどんどん上手くなっていきました。それを見ていた男先生が、
「一回、本校に行って試合してみんか?」
「やったぁ!」
益男は、喜ぶ子供たちに、
「本校は外野が広いけえ、外野手は深こう守れよ」
と言いました。そうこうしているうちに、試合の日が来ました。
*
「あんちゃんは、一緒に行かんの?」
「電話番があるけえ。みんな,がんばってこいよ」
夕方近くになって、子どもたちが帰ってきます。
「勝ったよ! 六年に勝ったんじゃけえ!」
「六年に? すげーの」
「向こうの校長先生が六年を出してきたんじゃけど、田中くんの球が打てんのじゃけえ,楽勝じゃったよ。一回外野を抜かれたけど、あとは深こう守ったけえ大丈夫じゃった。向こうは暴投するしカバーもせんけえ、点取り放題じゃったよ」
後ろから男先生が校長先生を連れてやってきました。
「新田君、本校の校長先生が『どうしたらあがぁに強うできるんじゃ?』ゆうて着いて来られちゃったんじゃ。一回練習を見せてやってくれんかの?」
「え、校長先生が?」
と男先生の後ろから、
「あんたが新田君か。あがぁあに強いとは思わんかった。一回、練習見せてくれんかの?」
校長先生が声をかけます。
「はあ、わかりました。じゃあ、おい、みんなやるど」
いつものように練習を始めます。校長先生は子供たちと一緒にキャッチボールしたり、バットを振ったりします。
「校長先生、打ちますか?」
「わしにも打たしてくれるんか? うれしいのう。じゃが、わしが打ったら山へ入ってしまうで」
「まぁ、山に入ってもすぐに探してきますけぇ、打ってみてください」
「ほうか、ほいじゃあ、まぁ、一つ打ってみようかいのう」
と校長先生はバットを持って打席に入ります。
「このバットはこどもにゃあ、ちょっと重とうなぁか?」
「まぁ、そうですけど、これしかないけぇ、みんなこれで練習しょうりますから大丈夫です」
「ほんまかぁ、ようやるのう」
と言って、校長先生がバットを構えますが、右手と左手の間が空いています。
ピッチャーの田中君は、そんなことお構いなしに、いつもの速い球を投げます。
ズバーン!
校長先生は空振りして腰砕け。
「ストライ~ク!」
と男先生審判の声。益男は、
「校長先生、右手と左手が離れとるけぇ、うまいこと、振られんのです。手をくっつけてみてください」
すると、校長先生は、
「こうか?」
と言ってグリップいっぱいにバットを持ちます。
2球目も早い球。校長生成は振りましたが、バットの先が重くて、ボールのかなり下を振ってしまいました。 すると、益男に教えてもらった子が、
「長すぎじゃあ、もっと短こうもたにゃあ」
と言います。
「こうか」
と今度はえらく短く持って素振りしますが、お腹にバットが当たってしまいます。
「痛ててて…」
見ていた子供たちが、
「校長先生、ほんまに野球やったことあるんですかぁ?」
益男は笑う子供たちを制して言いました。
「もう一回、グリップいっぱい持ってください。その状態で左手を離して右手の上にのせて……反対の手を右手の上にのせてください。それで振ってみてください」
三球目。田中くんの速球を捉えた打球は、ライナーでライト側の山へ突き刺さりました。
「さすがぁ、校長先生、スゲー」
打った校長先生は、ポカンと口をあけたまま。
「校長先生、どうしちゃったんです?」
「う、生まれて初めてホームラン打った! 自慢じゃないが、わしも野球は好きなんじゃがへたくそでのぅ」
「へじゃが、田中くんの球は大人でも打てんけぇ、校長先生はやっぱりすげーです」
「新田君、すごいのう。よう野球を知っとる。学校の時は何番打っとったんね? 三番か? 四番か?」
「いやいや、クリーンアップは打てんです」
「足が速そうじゃけぇ、一番か?」
「足は速くないです」
「じゃあ、一体、何番なんじゃ?」
「いいやぁ、何番でもなあ。学校じゃあ、わしはただの電話番じゃ」
おしまい
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます