8話「お料理イベント?!」
放課後、校門を出るときにはすっかり夕焼けが空を染めていた。山に沈んでいく夕日をぼんやりと眺めながら歩いていると、胸の奥がひどくざわついていた。
――学校では、あんなにクールに振る舞っていた月猫。周囲を寄せつけず、男子が軽口を叩けば一瞬で黙らせる冷たい眼差し。正直、俺でさえクラスにいるときは近寄りがたいオーラを感じる。
けれど毎夜。枕を抱えて俺の部屋に来て、「隣で寝てもいい?」なんて震えた声で甘えてくるのだ。
……あれ、本当に同じ人間か?
そんな疑問を胸に抱えながら玄関を開けると、ふわりと香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
「……なんだ、この匂い」
靴を脱ぎ、居間に足を踏み入れると、キッチンに立つ月猫の姿があった。
白いエプロンを身につけ、長い黒髪を後ろでひとつに結んでいる。まな板の上では玉ねぎが乱雑に刻まれていて、彼女の目はうっすら涙で潤んでいた。
「……おかえり、白狼」
「お、おう……ただいま」
普段の学校での冷ややかな声とは違い、少し心細そうな響きを含んでいた。
「何してんだ?」
「晩ごはん……。お母さんが今日は遅くなるって言ってたから、私がやらなきゃって思って」
「へえ……珍しいな」
「っ……だって、熊本に来たんだし、新しい家族として少しは頑張らないとって……」
月猫は不器用に包丁を握り直すと、再び玉ねぎに挑む。だが、力加減がうまくいかないのか、刃が途中で止まってしまった。眉をしかめて、じっと玉ねぎを睨んでいる。
「……危なっかしいな。貸してみろ」
「だ、だめ! これは私がやるの!」
強がってはいるが、目尻に涙を浮かべながら言われても説得力はない。案の定、次の瞬間、包丁が横に滑ってヒヤリとした。
「おいっ! 危ないって!」
慌てて手を伸ばして包丁を受け取り、代わりに刻み始める。
「……ごめん」
「素直に頼めばいいのに」
「だって……。私、学校ではしっかりしなきゃって思ってるのに、家まで頼ってたら……白狼に子どもだって思われるじゃん」
「思ってねえよ。むしろ、危なっかしくて放っておけない」
「……っ」
小さく頬を赤らめ、月猫は視線を落とした。
それからは俺が調理を進め、月猫はその横でエプロンの裾をぎゅっと握りしめながら見ていた。
「なあ、なんでさっきからずっと突っ立ってんだよ」
「……だって、邪魔しちゃいけないかなって」
「手伝えばいいだろ」
「……じゃあ」
そう言って彼女は、俺の袖をちょこんと掴んだ。
「味見係なら、できる」
「子どもか」
「むぅ……」
けれど、その仕草は学校での彼女からは想像できないくらい可愛らしくて、思わず笑ってしまった。
「な、なに笑ってるの」
「いや……ギャップありすぎて」
「……もう」
フライパンで野菜を炒め、香りが立ち始めると、月猫は背伸びして俺の肩越しに覗き込んできた。
「ちょ、近いって」
「いいでしょ? だって気になるんだもん」
吐息が耳にかかって、心臓が跳ねる。
「ふふっ……白狼、料理慣れてるね」
「まあな。父さんと二人だったし」
「えらい……。じゃあ、私はもっと甘えてもいい?」
「は?」
「だって、こうして頼れるの、白狼しかいないから」
月猫は微笑み、スプーンを手に取って鍋から味をすくった。
「んっ……おいしい! すごい!」
「そんな大げさな」
「大げさじゃないよ。だって、白狼と一緒に作ったから余計においしいんだもん」
照れくさい言葉に、俺は顔を背けるしかなかった。
食卓に並べた料理をふたりで食べる。カレーとサラダというシンプルなメニューだったけれど、月猫は頬をほころばせながら何度も「おいしいね」と言ってくれた。
「ねえ……また、一緒に作ろ?」
「……気が向いたらな」
「むー、ちゃんと約束!」
彼女はスプーンを置くと、俺の腕に頬をすり寄せてきた。
「ちょ、ちょっと……食事中だぞ」
「いいの。だって……家では、甘えさせて」
無邪気な声と表情。学校で見せる冷徹な眼差しが嘘のように柔らかい。
その後も片付けを一緒にやりながら、月猫は終始ご機嫌だった。皿を拭くとき、わざと俺の手に触れてきたり、「泡だらけだよ」なんて笑ってきたり。
俺は「子どもっぽい」と言いながらも、心のどこかで心地よさを感じていた。
リビングに戻ると、彼女はソファに座り、ぽすっと俺の隣に体を預けてきた。
「なあ、なんで学校ではあんなにクールなんだ?」
「……だって、弱いところ見せたら嫌われるかもって思うから」
「俺には、見せまくってるけどな」
「白狼は特別だから」
「……っ」
その一言に、不意を突かれたように胸が熱くなる。
月猫は赤い頬を隠すように、俺の肩に顔を埋めた。
――クールで孤高の美少女。だけど、家では甘えん坊で無邪気な義姉。
そのギャップに振り回されながらも、俺の心は確実に彼女に惹きつけられていくのを感じていた。
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