第1章:放課後の図書室

放課後の教室は、日差しが傾き始め、窓から射し込む光が机の上に淡い影を作っていた。図書室の扉を押し開けると、外の校庭の風の冷たさが少しだけ差し込む。高橋遼は、肩にかけたカバンを下ろし、机にノートと参考書を並べた。


彼は普段から放課後の図書室に通っていた。ここは、学校の雑踏から離れ、静かに自分の世界に浸れる場所だった。だが、今日の心持ちはいつもと少し違っていた。隣の席に座る誰かの存在が、心の奥でうっすら意識されているのだ。


佐藤美咲。クラスメイトで、明るく、誰にでも優しい性格。普段は友達と談笑している姿しか見たことがなかったが、放課後の図書室では、真剣な表情で本を開く姿が印象的だった。


「遼くん、今日もここで勉強するの?」

美咲の声が、ふと背後から届く。柔らかく響く声に、遼の心臓は少し早鐘を打つ。


「あ、ああ、うん、そうだね」

遼は軽くうなずき、ペンを持つ手を少し握りしめる。彼女の視線を感じながら勉強するのは、普段よりも緊張する。


美咲は隣に座り、ノートを広げる。その動作ひとつひとつが、遼には新鮮で、目が離せない。ページをめくる音、鉛筆を走らせる音、息遣い——どれも、静かな図書室の中で存在感を増していた。


「昨日の数学、少し分かった気がするよ。ありがとう」

美咲の笑顔は自然で、でもどこか照れたような光を帯びていた。


遼もまた、心の中で微笑む。短い会話だけれど、昨日の時間が続いていることを感じられたからだ。

「うん…よかった」


そのとき、図書室の奥からわずかな音が聞こえた。誰もいないはずの空間で、紙をめくる音や小さな咳払いのような音が、二人の世界をより鮮明にする。二人だけの時間——それが確かに存在していることを実感する。


遼は心の中で、自分がなぜこんなにも緊張するのかを考えた。隣に座る美咲の存在が、ただ勉強するだけの時間を、特別なものに変えているのだ。視線を合わせるだけで胸が高鳴る。小さな笑顔を交わすだけで、心の奥に温かさが広がる。


「ねえ、遼くん、これ読んだことある?」

美咲は自分の本を差し出し、期待するような目で見つめる。


遼はその本を手に取り、ページをめくる。文字を読むのではなく、彼女の手元や表情、指の動きに自然と目が向く。頬の赤み、眉のわずかな動き、時折見せる笑顔——すべてが、普段の教室で見る顔とは違う特別な光景だ。


「うん、読んだことある。でも、美咲はどうしてこれを選んだの?」

遼の声は少し震えていたが、自然と笑顔がこぼれる。


「面白そうかなって思って…それに、遼くんが昨日読んでたから、なんとなく」


その言葉に、遼の胸は跳ねる。自分の存在が、少しだけ彼女の選択に影響している——そんな思いが、自然と心を温めた。


二人は本を開き、ページをめくりながら話を続ける。登場人物の行動や物語の展開について、時折笑い声が漏れる。遼はその声に耳を傾け、思わず微笑む。美咲もまた、彼の真剣な眼差しに少し照れながら、自然と距離を縮める。


「ねえ、遼くん、また一緒に勉強しようね」

「う、うん……もちろん」


互いに微笑み合ったその瞬間、言葉以上の感情が二人をつなげていた。

図書室の外は夕闇が迫り、時計の針が帰宅の時間を知らせる。遼はノートを閉じ、ペンをカバンにしまう。美咲も同じように荷物をまとめる。


帰り道、校庭の影が長く伸びる中、二人は無言のまま隣を歩く。会話は少なくとも、互いの存在を確かめ合う時間だった。遼は歩くたびに、胸の奥に温かいものが広がるのを感じた。


小さな日常の一コマ。しかし、その一瞬一瞬が、二人にとって特別な思い出となる——そう確信しながら、遼は帰り道を歩き続けた。

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