第四話

 とある海沿いに面した工場で働く、Cさんが体験した話だ。

 Cさんが当時勤めていたのは、産業団地の端に建てられた比較的新しい建物だった。工場全体は古いが、拡張に合わせて建てられた新しい棟が稼働を始めてしばらくは順調で、仕事も安定していたという。ただ、三、四年前あたりから、少しずつおかしなことが続き始めた。

 まず、作業中の怪我が増えた。単なる不注意とまとめることもできる程度のものだったが、手を切る、足をくじく、工具を落とす、そういったことが頻繁に起きた。

 同じような工程を扱う工場は他にもあるのに、なぜかここだけ件数が多い、と安全担当が首をひねる程度には偏りがあったらしい。

 同時期から、体調を崩す社員も増えた。原因のはっきりしない倦怠感やめまいを訴える者、出勤はできるが常に調子が悪く、仕事を続けるのが難しくなって退職する者もいた。

 医者にかかっても決定的な診断はつかず、本人の気質や生活習慣で片づけられることが多かったが、それが何人も続くと、何となく落ち着かない空気が広がった。

 建物自体にも少し問題が出始めていた。雨漏りとまではいかないが、一部の壁が湿りやすいとか、なぜか床の歪みが出るとか、そうした細かい不具合が現れた。構造に致命的な欠陥が見つかったわけではなく、補修をすれば使えるのだが、どうもこの建物は落ち着かないという印象だけが職場に残っていった。

 ある日、工場の中がにわかに騒がしくなった。どうやら、受付に怪しい男が押しかけてきて中を見せろと要求しているようだった。当時工場の主任を担当していた私は、受付からの苦情を聞きつけて玄関に向かうと、数人の職員に取り囲まれている男が見えた。

 とりあえず双方を落ち着かせて話を聞くと、男は自分を霊能者だと名乗った。男は、「頼まれて来た。この場所には悪い気が満ちている」と言った。周囲の社員は一方的な男の主張に強く反発し追い返そうとする。すると、急いで所長が出て来て、「私が頼んだんです」と慌てて言った。どうやら工場内で起きる不審な出来事は悪霊のせいだ、というのだ。


 それからの流れは、意外なほど早かった。稼働中の工場内部を見て回る。そして終業後にあたりをつけた場所でお祓いの準備を進める。気にはなっていたのだろう、数人の社員が見学を希望したが、全員を残らせるわけにはいかず、最低限必要な人数だけ立ち会うように指示が出た。

 社員の中には否定的な者もいたし、露骨に嫌な顔をする者もいた。しかし、はっきり反対する者はほとんどいなかったという。反対しても意味がないと考えた者もいたし、逆に何か形だけでもやって気が済むなら、それでいいと思った者もいた。

 その夜、稼働を止めた工場の照明はすべて落とされ、蝋燭がいくつか床に置かれた。広さのせいで、灯りは届かない場所の方が多かった。見慣れているはずの作業場が、別の場所のように感じられたという。

 霊能者の男が祝詞のようなものを唱え始めた。意味は分からなかったけれど、よく神社の神主が祝い事の際に唱えるようなあれだ。抑えた声が空間の中でやけに大きく響いた。しばらく続いたのち、男が短く声を張った。えいっ、と気合を入れるのと同時に天井の蛍光灯がひとつ割れた。女子社員の悲鳴が響く。

 止めるべきだとCさんは思い、声をかけたが、工場長に制された。所長の顔には不安もあったが、それ以上の何かがあったらしい。霊能者は「まだいる」と言って再びえいっ、と気合を入れた。

 続けて棚が揺れ、書類がばらばらと落ちた。鉄のラックが軋み、遠くの窓ガラスが割れる音がした。風はなかった。

 そのあと、別棟の方から女の悲鳴が聞こえた。誰の声か分からないが、確かにそこに人がいるかのような声だった。「姿を現したな!」と叫び、霊能者はそちらへ走って行った。所長が追い、Cさんたちも遅れて続いた。

 倉庫前に着くと、扉が半開きのまま止まっていた。中で、霊能者と所長が倒れていた。二人とも喉を押さえて苦しそうにしていたが、周囲には誰もいなかった。悲鳴の主も分からなかった。幸い、二人は一命を取り留めた。数日後、所長は退院したが、工場に戻ることはなく、そのまま工場を辞めた。理由は語らなかった。ただ、それだけの話だ。

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