第一章 花に嵐の例えもあるさ③
賢人と光輝が一年間共に過ごすことになる、二年二組の教室を訪れた時、入り口に人集りができていた。念のため二人並んで扉の上にあるクラス札を見上げて、教室に間違いがないか確かめる。
「ここで合ってる?」
「だね」
そんな会話をしていると、とんとんと肩を叩かれる。後ろを振り返ると、去年も同じクラスだった
「俺たちマジでラッキーだよなあ」
「えーっと、何が?」
しみじみと言う近藤の意図が分からず、賢人は思わず聞き返してしまう。
「そりゃもう〈保健室の雪女〉こと五十嵐さんがいるんだぜ? しかも、今日は登校までしてるんだからもうたまんねえよ」
近藤は生きてて良かったーと幸福感満載の顔でそうひとりごちると、そのまま二人を置いて教室へ入ってしまう。賢人と光輝はお互い顔を見合わせると、人混みを掻き分けて教室の中へと向かった。
黒板に貼られた座席表を確認して、席に着いてからようやく教室をぐるりと見渡す。窓際の一番前辺りに人集りができていて、おそらくその付近の座席であろう生徒達が遠巻きから不満げな表情を浮かべていた。どうやらあの人集りができている辺りが件の五十嵐さんとやらの座席で間違いなさそうだ。
個人的な思いとしては先程見掛けた女性が五十嵐さんではないようにと祈るばかりだが、光輝曰く可愛らしい人形みたいな人らしいし、別人の可能性が高い。確かにあの人も雪女のように冷たい印象があったから可能性がないことはないけれど、最近従姉の子どもがハマっているアニメのヒロインが雪女のはずだが、そのヒロインも綺麗と言うよりも可愛らしい印象だったし、雪女の今のトレンドは可愛いに違いない。雪女より雪女らしい彼女も、今頃あんな風に人に囲まれているんだろうか。別に関係ないからどうでもいいことだけれど。
光輝の座席付近へ視線を向けると、交友関係の広い彼は彼で、すでに友人達と談笑に興じていた。別に去年も似たような感じだったから特別寂しさはないが、それでも新しい教室になって初日と言うこともあってか、どこかそわそわと落ち着かない。
教室を出てトイレへと向かうも、いつもは閑散としているトイレもどこか浮き立った雰囲気の生徒で溢れており、息つく暇はなさそうだ。一週間ぐらいは学校全体でこのふわふわした雰囲気が続くだろうと、逃げるように食堂近くの自販機へ向かう。
食堂へ向かう途中にある渡り廊下の周りには、桜の木が何本も植えられていて、春の空気が漂うその場所に少しだけ気持ちが軽くなる。今年は開花が遅かったと朝のニュースで言っていたが、葉桜の様相を観るに、この景色が見られるのも今日が最後かもしれない。
食堂横に並べられた自販機の前は、予想に反して誰一人いなかった。賢人は珍しいこともあったものだと、降って湧いた自由な時間に顔を綻ばせる。どうせ教室に戻ってもあの空気感が続いているだろうし、始業式が始まるぎりぎりまでここでゆっくりしてもバチは当たらないだろう。
熱々のココアを啜りながら、適当なベンチに腰掛けると、真上には桜の木が枝葉を広げていて、その間からは雲一つない青空が覗いている。これはプチ花見だと続く僥倖に賢人の頬はまた緩んだ。
もう少ししたら虫が落ちて来るようになるんだろうなあ、なんて嫌な妄想を広げていると、視界の隅に黒い何かがぴょんぴょんと動いているのに気が付く。何だろうと視線をそちらに向けると、真っ黒なおさげが自販機の前で揺れていた。
何を買うかで迷っているのだろうか、数台並ぶ自販機の前を行ったり来たりしている後ろ姿を眺めていると、やがてガコンガコンと自販機から大きな音が二回続けて聞こえてくる。ヨーグルト飲料の入った紙パックを二つ抱えた少女が、そこでようやくこちらを振り返り、目を大きく見開いた。どこか気まずそうな表情で彼女はペコリとこちらに頭を下げると、逃げるようにその場を後にした。そんな逃げることはないじゃないかと眉根をひそめてから、そこでようやくそれが先程見た光輝の元カノと同一人物であることに気が付く。
「あー」
そんな変な鳴き声のような何かを上げ、そりゃそうかとひとりごちる。別に彼女とは光輝を介しての知り合いなのであって、友達ではないのだ。縁が切れた人の友人でしかない人物に、わざわざ声を掛ける道理などは微塵もない。
「そっか……光輝のやつ、本当に別れたんだな」
ココアをぐっと飲み干し、肺に溜まった空気を吐き出す。なんとなく頭で理解していても、実感はなかった。だからこそ、彼女の今の行動を思い出して、ようやくじわじわと心も理解し始める。
「名前なんだっけか下の名前が日和さんってのは分かるんだけど……確か秋田……いや、違うな秋山か? そうだ
名前を思い出してから、連鎖するように先程下足室前の扉に貼られていた二年二組のクラス表を思い出す。そこには件の五十嵐さんの前に、秋山の文字があったはずだ。
「マジかあ」
呟いてから、先程五十嵐さんの名前を指さした光輝の姿が脳裏に浮かぶ。もしかしたら、光輝は賢人に、秋山さんの名前を見つけて欲しかったのかもしれない。そう思うと悪いことをしたと、勝手に自責の念に囚われる。その瞬間強い風が吹いて、かけていた眼鏡に桜の花びらが付いた。
眼鏡を外して今し方盛大に散った桜を見上げると、薄ピンク色の向こうに窓が並んでいるのが見える。今は眼鏡を外しているから良く見えないが、建物の構造を考えると、おそらく視線の先ぐらいに新しい教室の窓があるはずだ。眼鏡をかけてじっと目を凝らしてみるも、人の姿は見えそうもない。もしかすると例の五十嵐さんの姿が少しばかり拝めるかもなんて思った自分が馬鹿らしく思える。
手に持ったココアの缶をぎゅっと握った時、遠くから始業式の開始を告げるチャイムの音が聞こえてくる。
二年生初日から遅刻が決定した瞬間だった。
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