第一章 花に嵐の例えもあるさ①
「けんけん俺、他に好きな人ができたって言われてさ。彼女と別れちゃったんだよね」
年が明けてすぐのこと。賢人のことを”けんけん“と呼ぶただ一人の友人、
最初は無視しようと思ったが、普段は現実でもチャットでも口数の多い彼が、そんな短文だけ送って来たことに気持ち悪さを覚え思わず『すぐ行く』と返事をしてしまった。
呼び出されたのは二人の家のちょうど間にある喫茶店。目の前に座る友人は、犬のように人懐こい顔からは想像できないぐらいに今にも死にそうな顔をしてコーヒーを飲むと、苦味の残った息を長々と吐き出した。
賢人は何と答えたものかと、ココアを一口啜りながら考える。何かあったんだろうとは思っていたが、こんな話をされるとは少しも予想していなかった。賢人の知る限り光輝と(元)彼女が付き合ったのは去年の五月ぐらい。高校に入ってすぐのことだったから、手が早いと思ったものだ。そんな二人はよく言えば普段から仲睦まじい、悪く言えばひたすらに暑苦しい姿をよく見掛けていただけに、正直信じられない。何ならここで嘘だと言われたら怒りはするが、いささか気分は楽だ。
「マジ?」
賢人だって、中学からの仲である光輝の力になりたい。ココアをひとしきり舌の上で転がした後、ようやく絞り出せたのはそんな簡単な疑問だった。
「マジで」
言いながら彼が見せてくれたのは、(元)彼女から送られて来た最後のチャットで、その下には光輝からのメッセージと通話が拒否されたことを示す「応答なし」の文字が山ほど見える。その必死な様子から、彼が嘘をついていないことが伝わって来ただけに、正直見なければよかったと後悔してしまう。
ふと、ちょうど現代文のテストに出た、井伏鱒二が訳した漢詩を思い出した。
――さよならだけが人生だ。
けれど、それを今言うべきじゃないと、賢人はココアの甘さとともに言葉を飲み込む。
「死ぬなよ」
先程の疑問を除けば、その日光輝に掛けた言葉はそれだけで、彼の家に辿り着くまで話をすることはなかった。
「恋愛なあ」
帰り道、空に浮かんだ早春の三日月を見上げながらぽつりと呟いた言葉は、春の淡い空気に飲まれて消える。その言葉の意味は知っている。今でこそ女性に対し恐怖心に似たような感情を持っているけれど、これでも昔は人並み程度にはクラスメイトや親戚のお姉さんなんかに憧れたことだってある。でも、今の賢人からすれば、そこまで傷付いてまで恋愛をする必要があるものなのかは分からないし、少なくとも恋だの愛だのと呼ばれているものは、自分から一番縁遠い位置にあるようなものの気もする。
ふと、半年程前に電車で出会った彼女のことを思い出した。偏見だとしても、あんな派手な見た目の子は遊んでいるに違いないと思ってしまう自分の思考が貧相で悲しくなる。対して、光輝の彼女はどちらかと言えば地味目だが、いつもにこにことした笑顔を浮かべる可愛らしい女の子だった。だからこそ、光輝を傷つけるようなことをするなんて信じられない。
賢人を見下すように笑って見せた彼女と、まさかの再会を果たしたのは、それからまる二月後のことだった。
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