行方不明の今川

春野訪花

第1話 行方不明の今川

 今川が行方不明になったらしい。

 もはや連絡先を交換していたことすら忘れていた連中から連絡があった。口々に、「いなくなった」「心配」「何か知らないか」「書き置きだけ残して」「さようならって言ったんだ」と。

 いや、知らねぇし。

 俺は今川と話したことすらない。卒業式に顔を見たかすら定かでないのに、何か知っているはずもない。

 有象無象の連中には適当に、「何も知らない」とだけ返事をした。既読がついて返事は来なかった。

 書き置きの内容についても誰かが言っていたが、文面から察するに自殺をしようとしているようにはあまり思えない。確実ではないが。だが、「心配しないで、探さないで」と書いてあるのだから放っておけばいいものを。

 そんなことを思いながら帰宅していた道中。

「あ」「あっ」

 今川と出会った。


◆   ◇   ◆


 深夜の駅のホームは、まばらに人がいた。

 ホームの端、薄明かりの下のベンチに、今川と並んで座る。

 今川の足元にボストンバッグが置かれている。取っ手がへたり込むように垂れ下がっていて、カードケースがつけられている。その中には特急券が入っていた。

 あと十数分で発車する。このホームから。

 今川はラフで、シンプルな格好をしていた。部屋着と言われても納得するくらいに飾り気がない。もっとこじゃれた格好をするのかと思っていたから意外だった。

 長い袖の影から、細長い指が緩く組まれているのが見えた。

「お仕事?」

「そう」

「お疲れさま」

 へにょ、と効果音がつきそうな眉の下げ方をする。昔からこういう笑い方をするやつだった。やけにひと目を集めるタイプで、騒ぎが気になって見れば大体この顔があった。

「どうも」

 目の前のホームに急行電車がやってくる。乗ろうと思っていた電車だった。

 袖の影にある指が、落ち着かない様子で動いている。今川は俺の足元や手元をそわそわと見つめてきていた。

 持ったままだった鞄を、今川の鞄の横に置いた。そうすると分かりやすく指の動きが止まった。

「ありがとう」

「別に礼を言われるようなことはしてない」

 ふふ、と笑われる。

 笑われるようなこともした覚えはない。

 俺は別に用事があるわけでもないので、ただ座っていた。

 もうすぐ急行が発車するとアナウンスが流れた。駆け込んで電車に乗る人がぽつぽつと遠目に見えた。

「――聞かないの?」

 不意に今川が言った。迷子になった土地で始めて声を上げたみたいな、そんな声色だった。

「何を」

「どうして遠くに行こうとしてるのか、とか」

「聞いて欲しいのか?」

「……うーん、どうだろう……」

 困ったような笑み。

 急行電車のドアが閉まって、発車していく。遠ざかっていく電車の光を何気なく見つめた。

「君って、僕のこと興味ないよね」

「あ?」

 突拍子のない発言に振り返れば、今川は両手と頭をぶんぶんと左右に振っていた。

「あっ、ごめん。変な意味じゃなくて……!」

「ちげーよ。急だったから驚いただけ」

「ごめん、驚かせて……」

「いいから。どうしたんだよ、急に」

 今川の目が微かに泳ぐ。言葉を探しているようだ。数拍漂って、

「どうしてかな、って」

 と呟いた。

「どうしてって……興味ねぇからだけど……」

「……理由になってないと思うけど……」

「十分な理由だろ」

「…………」

 今川は困ったような、泣きそうなような曖昧な笑みを浮かべた。この顔も、見たことがあるような気がする。いつだったか、忘れたが。

 こちらを見ていた今川が正面を向いた。伸ばした指先だけでとんとんと手を合わせる。

「聞いてもらってもいい、かな?」

「喋りたければ勝手に喋れ」

「ありがとう」

「聞くとは言ってない」

「うん」

 微笑んで、今川は呟いた。

 次の電車がホームに入ってくる。次は各駅停車だ。降りていく人たちがちらほらといて、目の前を一人通り過ぎていった。人のいない車内が煌々と照らされている。

「――ちょっと疲れちゃったんだ」

 次の発車時刻を知らせるアナウンスが流れている。その音にかき消されそうなほど小さな声だったが、元がはっきりした声色だからかどうにか埋もれずに聞こえてきた。

「人と付き合うのも、僕が僕であることも――生きているのも」

 思わず隣を見る。

 足元を見ていた視線がこっちを向いて、力なく細められた。

「大丈夫。死んだりしないよ。痛いの苦手なんだ」

「……そう」

 ふいっと視線をホームへと戻す。改札を通る人が見えた。

「小学生の頃、困っているクラスメイトを助けたんだ。そうしたらおんなじように困ってる子を助けるようになっていって、頼られるようになっていって……。初めはとても嬉しかったんだ。頼ってもらえて、助けになれて。でも――」

 各駅停車の発車のアナウンスが流れる。今度は駆け込む人影もなく、ドアが閉まって走り出した。

 今川は袖の下で手を組んで握る。

「――分からなくなった。僕がしていることは、何なのか。それでも、立ち止まることも出来なくて、みんなは僕を頼りにしていて……」

「そうだな。どいつもこいつも、お前を探してた」

「……やっぱり?」

 今川は力なく笑う。顔立ちがいい奴だが、一気に不細工になった。

 ふん、と鼻を鳴らす。わらわらと虫のように集まってきたメッセージアプリの通知を思い出した。

「暇人ばかりだな、お前の知り合い」

「いい人たちだよ」

 どうだか、と内心独りごちて曖昧に肩をすくめた。肘掛けに肘をついて、顎を乗せる。

 駅ナカコンビニのシャッターに紙が張り出されていた。

 言いたいことは言ったのか、言葉を探しているのか、今川は何も喋らない。当然俺も。

 特急が到着するというアナウンスが流れる。

「……遠くに行ったら」

 ぽつりと今川は呟く。独り言のような響きがあった。

「僕は生きられるかな」

「……さあな」

 電光掲示板に「電車がまいります」の文字が点滅している。

 顎を乗せる手にさらに体重をかけた。

「好きにしたらいいだろ」

 今川は何も言わない。どんな顔をしているかも見ていない。

 電車が滑り込んできて、煽られた風が全身に吹き付けた。

 特急のブレーキ音の中、

「僕……、僕はさ……」

 今川は言う。その声が震えているような気がした。

「優しい人でありたかったんだ。ただ。僕は」

「んなの、出来るわけねーだろ。特にお前は」

 あんな顔をするお前では。

「うん――」

 今川は、ほんの少し目を閉じて、そして微笑んだ。

「そうだよね」

 それは見たことのない笑みだった。

 今川は鞄へと手を伸ばす。詰め込まれた荷物を肩に掛けて、立ち上がる。

「ありがとう」

「別に礼を言われるようなことは言ってねぇ。そういうところだぞ」

「ははっ」

 笑われるような事を言った覚えもねぇ。言っても聞かないだろうが。

 僅かに体を動かして半分電車へと体を向けて、

「優しいって君みたいな人のことを言うのかもしれない」

 と、今川は笑って言った。

「はあ? どこが優しいんだ」

「僕の話を聞いてくれたところだよ」

「判定どうなってんだ……?」

 怪訝な顔をする俺に、今川は微笑んだままだった。撤回するつもりはないらしい。

「ありがとう。君と話せてよかった」

「そうかよ」

「じゃあね」

「ん」

 袖に隠れていた手が、ひらひらと揺れる。俺も雑に手を一振りした。それを見た今川が笑みを深めるので、さっさと行けと手を振った。頷いて去って行く。電車に乗り込んであっという間に姿は見えなくなった。

 特急電車、発車のアナウンスが流れる。それとほぼ同時に乗りたい電車がホームに入ってきたのでそっちへと向かう。

 電車へと乗り込もうとしたと同時に、特急が走り出す。それを一瞬見てから、電車に乗り込んだ。

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