第3章:傷ついた英雄(※無傷)の帰還

 決闘を秒殺で終えたレオンは、廊下を走っていた。  その最中、彼はある「演出」を施した。


(ただ戻るだけでは芸がない。姫様は優しい。俺が疲弊していればいるほど、その『手当て』は手厚くなるはず……!)


 彼は自らの手で、完璧に整えられていたネクタイを緩め、髪をあえて乱し、肩で息をする演技を開始した。  無傷の勝利者であるにも関わらず、まるで死闘を繰り広げた敗残兵のような雰囲気を纏う。  すべては、より質の高い「踏み」を引き出すための姑息な策である。


 バンッ!  執務室のドアが、普段より乱暴に開かれた。


「姫様……ッ!」

「レオン!?」


 部屋に飛び込んできたレオンは、よろよろと足をもつれさせながら(演技)、ソフィアの元へ歩み寄る。  その表情は苦悶に満ちていた。


「はぁ、はぁ……。ど、どうにか……追い払いました……」

「もう、喋らないで! あんな大勢を相手にするなんて無茶よ!」


 ソフィアが駆け寄ろうとするが、レオンは手でそれを制した。  そして、崩れ落ちるように膝をつき――そのまま這うようにして、机の下へと潜り込んだ。


「レオン? ベッドに運ばなくていいの?」

「い、いいえ……ここが……ここが一番、回復するのです……」


 机の下、薄暗い空間。  レオンは、震える手でソフィアの足首に触れた。


「姫様……どうか、私に慈悲(トドメ)を……。荒ぶる魂を、あなたの重みで鎮めてください……」


 虫の息のような声。  ソフィアは胸が締め付けられる思いだった。  国一番の英雄が、これほどまでに弱りきって、自分に救いを求めている。  彼にとって、自分の足元だけが、鎧を脱いで安らげる唯一の場所なのだ。


「……馬鹿な人」


 ソフィアは涙をこらえ、椅子に座り直した。  そして、スカートの裾を少しだけ整え、意を決して足を伸ばした。  黒い革靴の裏を、レオンの顔面に、ゆっくりと、しかし確かな重みを込めて押し当てる。


「ぐっ……ぅ……!!」


 レオンの喉から、押し殺したような声が漏れた。  それは苦痛の声ではない。  枯れ果てた大地に雨が染み渡るような、魂の歓喜の歌(シャウト)だった。


(あぁ……これだ。この重みだ。隣国の騎士五人分の拳よりも、この数百グラムの圧力が、俺の全細胞を活性化させる……!)


 レオンは、顔面にのしかかる靴底の感触を全身全霊で味わい尽くしていた。  視界は暗闇だが、彼には天国のお花畑が見えている。


「大丈夫……? 重くない?」

 上から降ってくる心配そうな声。


「もっと……もっと強くても……構いません……。今の私は……罪深い戦鬼ですから……」

「もう、何を言っているの……」


 ソフィアは困ったように眉を下げつつも、彼が望むならと、少しだけ足に力を込めた。  グリ、とヒールが彼の眉間を捉える。


「んんっ……!! 感謝ッ!!」


 机の下で、最強の英雄は完全に「仕上がって」いた。  外では「鬼神」と恐れられた男が、ここではただの「踏まれたがり」。  だが、その歪な光景こそが、二人にとっては奇妙に完成された平和な日常なのだった。

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