【偽りのシンパシー】

けみ

プロローグ&EP1『私の居場所』(美玖留の場合)

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プロローグ


誰かの名前を思い浮かべている間だけ、心が少し静かになる。

それが何なのか、もう確かめようとはしない。

静かであることだけが、今は必要だった。


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1. 鏡の中の透明な容器


PM.20時。

デリバリーヘルスの待機所内、BGMだけが室内に流れている。


美玖留(23)は、鏡に向かって丁寧にリップを塗り直していた。

鏡に映る自分は、トレンドを完璧に押さえ、誰の好みにも合うように調整された“可愛い女の子”だ。

しかし彼女には、それが自分という人間には見えなかった。

単なる“中身が空っぽな容器”がそこにあるだけのように思えた。


「……死にたい。」


口癖がこぼれる。

それは悲しみではなく、空気が抜けていくような、単なる音。

自分という存在が希薄で、放っておくと空気に溶けて消えてしまいそうな恐怖が、いつも彼女の足元に影を落としている。


いつもなら、事前予約が何本か入っているのに、今日は出勤して既に2時間近く経つが、未だ仕事が決まっていない。

他の女の子達は、それぞれ出ているのに「…私だけ待機?」

その感情は焦りというより、嫉妬に近かった 。

「あんな子より、私の方が可愛いのに!」


美玖留が憂いているのは、稼ぎやランキングでは無い。

ただ誰かの温もりに依存しているだけだ。


ほどなくして、スマホに通知が届く。

[お疲れ様です。90分コース、ご新規様。場所はシーズホテル203号室。]

(予約きた~ぁ!)美玖瑠は小さくガッツポーズしながら、了解のスタンプを送る。

彼女はこの瞬間だけ、自分が“満たされる場所がある。”として世界に固定されるのを感じる。


2. 混ざり合うための儀式(エクスタシー)


ホテルに向かう送迎車の中で、美玖留は無意識に自分の腕をさする。

自分の肌が冷たい。

温度がない。

「温もりに混ざれる!」 そう思わなければ、身体の形が保てない気がした。


部屋に入り、40歳前後の男性と対面する。

「こんばんは。美玖留です。今日はお仕事帰り?」 営業スマイルを作る。

それは本来の彼女自身ではなく、相手が望む〟美玖留”という偽りだ。


シャワーを浴び、ベッドの上で肌が重なる。

相手の荒い呼吸、脂の匂い、強引な指先。

普通の人なら不快に思うはずのそれらが、美玖留には救いだった。


(ああ、いま、混ざってる……)


相手の体温が自分の皮膚に浸透してくる感覚。

彼女にとっての快楽とは、性的絶頂ではなく、“自分の輪郭が相手の輪郭と溶け合い、一時的に一人ではなくなること”だった。

自分が消えそうだから、誰かの人生の切れ端に、無理やり自分を混ぜ込む。

そうすることでしか、彼女は“生きている”という質感を得られなかった。


3. 薄れていく残像


「美玖留さん、いい子だね」 男が満足そうに呟き、彼女の口中に生気を吐き出す。

その瞬間、美玖留は自分の中に“他人の一部”が流れ込んできたことに、奇妙な安心感を覚える。

白濁したものをティッシュで拭き取る行為さえ、彼女にとっては“自分に色が着いた”ことを確認する作業のようだった。


しかし、時間が過ぎ、タイマーが鳴ると、魔法は解ける。

男が服を着て、日常に戻る準備を始めると、美玖留は急激に冷えていく。


「次、いつ来てくれますか?」


それは営業トークではない。

本気の問いだ。 相手が部屋を出て、一人きりになった瞬間、ホテルの白いシーツに自分の境界線が溶け出し、再び“透明な存在”に戻ってしまうのが怖かった。


エレベーターの鏡を見る。

そこには、さっきまでの“美玖留”という輪郭が、潮が引くように崩れていく。

相手から摂取したはずの熱は、もう指先から逃げ出していた。


「足りない……。」


ホテルを出て送迎車を待つ間、美玖留は、指が痛くなるほどスマホの画面をタップし、次の予約を確認する。

誰かに混ざっていないと、自分が消えてしまう。

その恐怖から逃れるために、彼女はまた、新しい“誰か”という名の容器を探し続ける。

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