第6話 民と軍のあいだ
――昭和六年・一九三二年 初春
■ 横浜・鶴見埠頭
横浜港は、日本で最も“戦争から遠い”場所に見えた。
外国船が行き交い、クレーンが忙しく荷を吊り上げ、
造船所では商船の船体が穏やかな音を立てて組み上がっている。
だが高城中佐は、
この風景こそが「戦争の中核」になると確信していた。
「――ここを、使わせてもらいます」
静かな口調だったが、
同席していた造船会社の重役たちは息を呑んだ。
■ 軍需ではなく「予備」
「誤解しないでください」
高城は、すぐに続けた。
「ここを、今すぐ軍需工廠にするわけではありません」
会議室に並ぶのは、
三菱、川崎、石川島――
日本を代表する民間造船所の幹部たち。
「我々が求めているのは、
戦時に即応できる“予備施設”です」
誰かが問い返す。
「予備、とは?」
「平時は民間船を造る。
しかし、
・図面
・資材規格
・工作機械配置
を軍と共通にしておく」
高城は、淡々と説明した。
「戦時になれば、
数週間で軍艦建造に切り替えられる状態を保つ。
それが“予備”です」
■ 民間側の不安
当然、反発はあった。
「戦争に巻き込まれるのではないか」
「利益が減るのでは」
「軍の命令で振り回されるのでは」
高城は、真正面から答えた。
「逆です」
一瞬、空気が止まる。
「平時から軍規格で建造できる造船所は、
商船建造でも競争力を持ちます」
「部材の標準化、工程の簡略化、
これは民間にも利益になります」
そして、はっきりと言い切った。
「戦争は、
軍だけでは絶対に続けられません」
■ 裏で動く反対派
だが、この構想は
軍内部でも波紋を呼んでいた。
「軍機を民間に流す気か」
「統制が効かなくなる」
特に反対したのは、
軍需を独占してきた一部の工廠幹部だった。
「民間に任せれば、
品質が落ちる」
高城は、その意見を聞いても動じなかった。
「品質は、
規格で担保します」
■ 規格という武器
高城が持ち出したのは、
膨大な数の資料だった。
鋼材の寸法統一
機関部の共通配置
配管・配線の色分け
ボルト径の完全統一
「この規格を守れば、
どこで造っても同じ艦になります」
「逆に、
これを守らない艦は、
修理できません」
その言葉は、
工廠側にとっては“脅し”に近かった。
■ 最初の指定
1932年春。
海軍省は、
非公開の形で決定を下す。
横浜・鶴見
川崎造船所
石川島造船所
これらを
**「海軍予備造船施設」**に指定。
表向きは何も変わらない。
だが内部では、
図面・規格・人材交流が始まった。
高城の計画は、
初めて“海軍省の外”へ踏み出した。
■ 瀬戸内という選択
同時に高城は、
別の場所にも目を向けていた。
「瀬戸内海は、
守りやすく、交通の要衝です」
尾道、岡山、玉野。
中小造船所が点在する地域。
「ここに、
護衛艦専用の建造網を作ります」
大型艦は造れない。
だが、それでいい。
護衛艦は、
主役ではない。
だが、欠ければ全てが沈む。
■ 職工たちの反応
瀬戸内の造船所で、
高城は職工たちと直接話した。
「難しい艦は造りません」
「同じ型を、何度も造ります」
「壊れたら、直してまた出します」
年配の職工が、
ぽつりと言った。
「……戦争は、
長くなるってことか」
高城は、否定しなかった。
「ええ。
だから、
生き残る艦を造ります」
■ 五・一五の影
この頃、
東京では不穏な空気が漂っていた。
青年将校たちの過激な言動。
政治への不満。
軍の内部での分断。
高城は、
それを造船計画の外側から見ていた。
内部が割れた軍は、
外敵より先に崩れる。
だからこそ、
彼は“現場”を固める。
政治が揺れても、
艦は造り続けられるように。
■ 山本の忠告
ある日、
山本五十六が高城に言った。
「君は、
軍の外に根を張りすぎている」
高城は、静かに答えた。
「軍の中だけでは、
戦争は支えられません」
山本は、深く息を吐いた。
「……その通りだ。
だが、敵も増えるぞ」
「覚悟しています」
■ 静かな連携
この年、
目立たないが重要な変化が起きていた。
民間造船所に海軍技官が常駐
軍需規格の教材化
職工向け簡易訓練
補給・修理を前提とした工程設計
誰も「革命」とは呼ばない。
だが確実に、
戦争の土台が変わり始めていた。
1932年。
日本は、まだ全面戦争には入っていない。
だが、高城の視界にははっきりと見えていた。
戦争は、
戦場より先に、
工場で始まる。
民と軍。
その境界を越えた時、
艦隊は初めて“持続力”を持つ。
高城の十年計画は、
ついに
国家全体を巻き込み始めた。
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