第2話(前):肉じゃがを作ったら、女神扱いされました。
〜異世界の家庭料理は、どうやら『媚薬』以上の効果があるようです〜
1.要塞という名の愛の巣
「つ、着いたよ! ここが私の家!」
ルミナさんの運転する車が、小高い丘の上に建つ一軒家の前で静かに停まった。
夕日に照らされたその家は、オレンジ色の素焼きの屋根に、白い漆喰の壁。
庭には手入れされた青々とした芝生が広がり、色とりどりの可愛らしい花が植えられている。
煙突からは細い煙が立ち上り、まるで絵本に出てくるような、牧歌的でメルヘンチックな素敵な家だ。
「わあ……凄くお洒落な家ですね。ルミナさん、一人暮らしなんですか?」
「うん! 冒険者稼業で、ちょっと頑張って建てちゃった! こだわりの注文住宅だよ!」
ルミナさんは「えへへ」と照れくさそうに鼻の下を擦る。
僕と同い年くらいに見えるのに、一軒家を建てるなんて相当な実力者なのだろう。
僕は感心しながらシートベルトを外し、車を降りようとして――違和感に気づいた。
「あれ? ……この塀、凄く高くないですか?」
家の周りをぐるりと囲む白い塀。
遠目には普通の柵に見えたが、近くで見ると見上げるほど高い。優に3メートル、いや4メートルはあるだろうか。
しかも、塀の上部には何やら銀色に光る鋭利な『返し(スパイク)』のようなものがびっしりと設置されているし、目を凝らすと微かに青白い電流のような魔法陣が走っているのが見える。
「ああ、それはね! この辺はほら、『野獣』が出るから! 防犯対策だよ、防犯!」
「なるほど……異世界の野獣は壁も越えてくるんですね」
「そうそう! 執念深いからねぇ、特に美味しそうな餌がある時は!」
ルミナさんは明るく笑っているが、その目は笑っていない。
恐ろしい世界だ。こんな可愛らしい家の周りに、ここまでの厳重な軍事用セキュリティが必要だなんて。
ルミナさんは玄関のドアに手をかざした。
ピッ。
ガシュッ、キュイーン……ガチャン、ズズズン。
電子ロックの解除音にしては重厚すぎる、まるで銀行の大金庫が開くような音が三重、四重に響き渡る。
分厚いドアが、音もなくスライドして開いた。
「さ、入って入って! 早く鍵閉めないと危ないから!」
背中を押されるようにして中に入ると、即座に背後でガシャンガシャン! ドンッ! と凄まじい施錠音が響いた。
世界から隔絶された音がした。
まるで要塞だ。
でも、おかげで安心感は半端ない。ここなら、どんな野獣が来ても大丈夫だろう。
「お邪魔します……わあ、中も綺麗だ」
内装は外見の期待を裏切らない、木目を基調とした暖かみのあるカントリー風のデザインだった。
床はピカピカに磨き上げられ、塵一つ落ちていない。家具もセンスの良いもので統一されている。
ふわりと、車の中と同じ甘い柑橘系の香りが漂っている。
「適当に座ってて! すぐにご飯の支度するから!
ミナトくんは疲れてるでしょ? ソファでゴロゴロしてていいよ! あ、テレビ見る? それとも私の昔のアルバム見る?」
「あ、いえ! 泊めてもらう上に食事まで作ってもらうなんて申し訳ないです。僕がやりますよ」
一文無しの居候としては、少しでも労働で返さなければならない。
幸い、僕は元の世界では自炊派だった。実家が定食屋だったこともあり、料理には少し自信がある。
しかし、僕の提案を聞いた瞬間、ルミナさんは靴を脱ぐ動作を止めて、石像のように固まった。
「……えっ?」
「え?」
「い、いま、なんて言ったの? ミナトくんが……やる? 何を?」
「ですから、夕飯を作りますよ。これでも料理は好きなんで。冷蔵庫の中身、使わせてもらってもいいですか?」
ルミナさんは口をパクパクと開閉させ、信じられないものを見る目で僕を凝視した。
「で、でも……男の子の手を荒れさせるなんて……ありえない……。
包丁とか危ないし……火とか油とか使うんだよ? 火傷したら大変だし……指とか切ったら世界の損失だし……」
「大丈夫ですよ、子供じゃないんですから。包丁くらい使えます」
僕は苦笑しながら、ルミナさんを置いてキッチンへ向かった。
ルミナさんは「あわわ……」とオロオロしながら、まるで地雷原を歩くような慎重さでついてくる。
2.エプロンと包丁と破壊力
キッチンは広々としていて、使いやすそうだった。
冷蔵庫を開ける。
中には、霜降りの見事な牛肉(ラベルに『A5ランク・ドラゴンビーフ』とある)、土のついた新鮮なジャガイモ、人参、玉ねぎが入っていた。調味料も醤油らしき黒い液体や、砂糖、酒が一通り揃っている。異世界の食材だけど、見た目は地球のものと殆ど変わらない。
「おっ、いいお肉ですね。これなら……肉じゃがとかどうですか? 日本の家庭料理なんですけど」
「ニクジャガ……?」
「甘辛い煮物です。すぐ出来ますよ」
「カテイリョウリ……?」
ルミナさんが呪文のように復唱している。
僕は壁にかかっていたエプロンを手に取った。
フリルがたっぷりついた、ピンク色の可愛らしいエプロンだ。
「これ、借りてもいいですか?」
「えっ!? あ、うん! い、いいけど……それ、私の……」
少しサイズが小さいが、紐を調整すれば着られそうだ。
僕はエプロンを首にかけ、腰紐をキュッと結んだ。
振り返ると、ルミナさんが口元を両手で覆い、フラフラと後ずさりしていた。
「ど、どうしました?」
「…………ッ!!!」
彼女は声にならない叫びを上げているようだった。
顔が赤い。いや、もはや赤い通り越して沸騰している。
(……やばい。やばいやばいやばい!
裸エプロンより破壊力あるんじゃないこれ!?
白いTシャツにピンクのフリルエプロン……。
男の子が? 台所に? しかも『ご飯作るよ』って?
新婚さん? 私たち新婚さんなの?
あああ、その紐を解きたい! いや、むしろ結び目になりたい!
神様、これ夢なら覚めないで……いや、現実なら録画しなきゃ!)
ルミナさんの脳内で、理性のダムが決壊寸前になっていた。
だが、僕はそれに気づかず、包丁を手に取った。
トントントン、トトトトン。
軽快なリズムがキッチンに響き渡る。
野菜の皮を剥き、一口大に乱切りにする。玉ねぎはくし形に。
僕の手元は、長年の自炊生活で染み付いた手際良さで動いていた。
「す、すごい……」
背後から、ルミナさんの震える声が聞こえた。
振り返ると、彼女はキッチンカウンターに身を乗り出し、食い入るように僕の手元を見つめていた。
その目はキラキラと輝き、瞳孔が開いている。
「ミナトくん、包丁使えるんだ……魔法みたい……」
「これくらい普通ですよ?」
「普通じゃないよ! 指とか切っちゃいそうなのに、そんなに速く……白い指が、野菜を優しく、でも確実に……っ、エロい……じゃなくて、尊い……」
「ルミナさん?」
彼女は時々、謎の独り言を呟く。
鍋を火にかけ、油を敷く。
ジュワァァァ……ッ。
肉を炒める良い音が響く。色が変わったら野菜を投入し、全体に油が回ったら水を入れる。
灰汁(あく)を丁寧にすくい、砂糖、酒、そして醤油を入れる。
グツグツと煮立つ音。
やがて、醤油と砂糖の焦げる香ばしい匂いと、出汁の優しい香りがキッチンに満ち始めた。
それは、日本人なら誰もが郷愁を覚える「おふくろの味」の香りだ。
「んん~っ……! 何この匂い……!?」
ルミナさんが鼻をひくつかせた。
甘くて、しょっぱくて、どこか懐かしい香り。
彼女にとっては未知の香りのようだが、本能に訴えかける何かがあるらしい。
「もうすぐ出来ますからね。少し味見、してみます?」
僕は小皿に煮汁と、柔らかくなった小さなお肉とジャガイモを取り、ふーふーと息を吹きかけて冷ましてから差し出した。
「はい、あーん」
「えっ」
自然な流れでやってしまった。
しまった、初対面の女性に「あーん」は流石に馴れ馴れしかったか。
「あ、すみません、自分で――」
「た、たべるぅッ!!!」
僕が皿を引こうとした瞬間、ルミナさんが音速で食いついてきた。
パクッ。
僕の指先に、彼女の柔らかい唇が触れた。
もぐもぐ。
ごくん。
そして――動きが止まった。
「どうですか? 味、濃くないですか?」
「…………」
ルミナさんはゆっくりと顔を上げた。
その大きな瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「……おいしい」
「良かった」
「なにこれ……おいしい……優しくて、甘くて……体が溶けそう……」
「大袈裟ですよ」
「大袈裟じゃないっ! お店の料理より、王宮の晩餐会より、ずっと美味しい!
すごいよミナトくん! 天才だよ! 料理の神様だよ! いや国宝だよ!!」
彼女は僕の両手を(濡れたまま)握りしめ、ブンブンと上下に振った。
その熱量に圧倒される。
たかが肉じゃがでここまで感動されるなんて、この世界の食文化はどうなっているんだろう。
(……美味しい。美味しいけど、それ以上に……。
『男の子が自分のために作ってくれた』というスパイスが強烈すぎる。
胃袋を掴まれるってこういうこと?
もう離れられない。離したくない。
毎日これが食べられるなら、私、全財産投げ出してもいい……!)
ルミナさんの瞳の奥に、昏い独占欲の炎が揺らめいたのを、僕はまだ知らなかった。
(後半へ続く)
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