第9小節 指揮専攻の仲間
ガイダンスが終わると、重たい空気は少しだけ緩んだ。
教員が退出し、ざわりと椅子が鳴る。
誰からともなく息を吐き、肩の力を抜いた。
「……せっかくだしさ」
口火を切ったのは、ポロネーズ寮の東雲だった。
眼鏡を指で押し上げながら、自然な調子で言う。
「指揮専攻だけで、飯行かない? 初日だし」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、誰かが笑った。
「いいね、それ」
「賛成」
「ここで解散するのも味気ないしな」
あっさりと話はまとまった。
拆音は、その流れについていくのが精一杯だった。
——なんだ、この距離感。
もっと張り詰めた集団を想像していた。
火花が散るような牽制、無言のマウント。
けれど実際は、拍子抜けするほど自然だった。
学園内のレストランは、天井が高く、音の抜けがいい。
昼時を外れていることもあり、客はまばらだった。
長テーブルに、指揮専攻の面々が並ぶ。
注文を終え、水が配られると、会話が始まった。
「今年の登竜門、結構厳しかったらしいな」
リート寮の瀬尾が、フォークを弄びながら言う。
「うん。高等部に上がれたの、全体の二割くらいだって」
ムジークドラマ寮の橘が応じる。
その声は明るいが、言葉はさらりと重い。
「特に指揮専攻は絞られたらしい」
「そりゃそうだろ」
瀬尾が肩をすくめる。
「今ここにいるの、ほぼ“学園が本気で外に出す気のあるやつ”だけだろ」
——二割。
拆音は、グラスを持つ手に、わずかに力が入るのを感じた。
自分が、その中に含まれている。
偶然なのか、必然なのか、まだ分からない。
「でもさ」
橘が、くるりと話題を変える。
「やっぱ注目は——」
視線が、自然と一箇所に集まる。
指宿花琳。
彼女は、静かにサラダを口に運び、水を飲んでいる。
話題にされていることに、特別な反応はない。
「花琳だよね」
「まあ、そりゃそう」
「今年の指揮専攻の“顔”って言われてるし」
誰も妬みの色を見せない。
事実として、そう言っているだけだった。
花琳は、淡々と一言だけ返す。
「過大評価」
短く、きっぱりと。
「結果出してから言って」
それで会話は終わった。
——強い。
態度も、言葉も、揺れない。
そしてもう一つ、視線が集まる先があった。
拆音。
正確には、彼の背後にある“パッション寮”という肩書き。
「……そういえばさ」
東雲が、悪気なく言う。
「パッション寮、今年からだよね」
「うん。びっくりしたよ。新しい寮ができるなんて!」
「どんな寮なんだ?」
拆音は、一瞬言葉に詰まった。
どう説明すればいいのか、自分でもよく分かっていない。
「えっと……」
その間に、瀬尾が笑った。
「まあ、異端ってやつだろ」
軽い調子だった。
「でもさ、こうして指揮専攻に来てる時点で、異端も何もないよな」
「確かに」
「むしろ面白い」
橘が、にこりと笑う。
「ここにいるなら、同じ“指揮者”だ」
誰かがそう言い、誰も否定しなかった。
拆音は、ゆっくりと息を吐いた。
——怖いけど。
——でも、悪くない。
視線を落とすと、テーブルの向こうで花琳が、こちらを見ていた。
ほんの一瞬。
今度は、はっきりと。
値踏みではない。
興味でもない。
——確認だ。
拆音は、無意識に背筋を伸ばす。
パッション寮の名を背負って。
指揮専攻の末席として。
彼の一年目は、もう始まっていた。
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