第8話:深夜の来客と、近所迷惑な「攻略」

新宿ゲートの第一階層。

かつて俺のアパートがあった場所を改造した「マイルーム」で、俺はくつろいでいた。


「いやぁ、テレビってのは凄いな。箱の中で人が動いて、ニュースやらお笑いやら、二十年前よりずっと賑やかだ」


ソファに深く腰掛け、俺はキンキンに冷えた缶ビールを喉に流し込んだ。

このソファも、家電屋の帰りに家具屋に寄って、片手で担いで持ってきた一品だ。

魔石から供給される電力でエアコンもガンガンに効いている。

外は禍々しい迷宮だが、ここだけは極楽の六畳一間(空間的にはもっと広いが)だ。


テレビでは、アナウンサーが神妙な面持ちでニュースを読み上げていた。


「……本日午後、新宿ゲート内部にて、未確認の強力な魔力反応が観測されました。当局は、新たなフロアボスが出現した可能性があるとして、警戒レベルを最大に引き上げています……」


「へぇ、大変だなぁ。最近の魔物はそんなにすぐ出てくるのか」


他人事のように呟いて、俺はポテトチップスを口に放り込んだ。

まさか自分がレンジを動かすために魔石に指先で衝撃を流したのが原因だとは、微塵も思っていない。


その時だった。


「――接敵! 陣形を崩すな! ターゲットは回廊の突き当たり、旧デス・ナイトの間だ!」


「魔法障壁展開! 聖印を刻め!」


バタバタという騒がしい足音と、金属が触れ合う音が部屋の外から聞こえてきた。

せっかく深夜ドラマがいいところだったのに、騒がしい連中だ。


「なんだなんだ。暴走族か? ダンジョンの中まで元気な奴らだな」


俺は溜息をつき、重い腰を上げた。

ビールの酔いもあって少し足元がふらつくが、まあ、文句の一つでも言ってやるか。


部屋の「ドア」……といっても、通路を塞ぐために適当に積み上げた岩の隙間から外を覗くと、そこには重厚な装備に身を包んだ男女五人の集団がいた。

装備の紋章からして、どこかのエリート探索者チームらしい。


「リーダー! デス・ナイトが消えています! 代わりに、妙な……光が……?」


「慎重に進め。高ランクの知性体魔物が、環境を書き換えた可能性がある。……なっ、なんだこれは……!?」


先頭を歩いていた盾持ちの男が、俺の部屋の入り口で立ち止まり、顎が外れそうなほど口を開けた。

無理もない。

暗い石造りの迷宮の奥に、突如としてフローリング(っぽい床)が広がり、そこには七十インチの大型テレビと、冷気を吐き出す冷蔵庫、そしてボロボロのスーツを着たおっさんが立っているのだから。


「おいおい。夜中に大声出すなよ。近所迷惑だろ」


俺は片手にビールの空き缶を持ったまま、のそりと姿を現した。


「……に、人間!? いえ、違います! この魔圧、ただの人間なわけがない!」


「ひっ、見ろよあの壁! 魔石を直接家電に繋いでやがる……! 狂ってやがるぞ!」


探索者たちがパニックに陥り、武器を構えた。

魔法使いらしき女が、杖の先に巨大な火球を形成し始める。


「お、おい。危ないからそれをしまえ。家の中で火遊びは厳禁だぞ」


「問答無用! 邪悪な魔化身め、浄化の炎に焼かれなさい! エクスプロージョン・フレア!」


轟音と共に、巨大な火球が俺の部屋を目がけて放たれた。

せっかく買ったばかりのソファが燃えたらどうするんだ。


俺は少しだけイラッとして、右手を振った。

正拳突きですらない。

ハエを叩き落とすような、軽い平手打ちだ。


パァンッ!!


「……え?」


魔法使いの女が、呆然と声を漏らした。

彼女が全魔力を込めて放ったはずの極大魔法は、俺の手の平に触れた瞬間に「霧散」し、ただのぬるい風となって消え失せた。


「火の扱いは慎重にしろって言っただろ。……お返しだ。ちょっと頭を冷やせ」


俺は一歩踏み込む。

相手の懐に入るまで、彼らは俺が動いたことすら認識できなかっただろう。

俺はリーダー格の男の額に、軽く指先で触れた。


「しっ」


デコピンの要領で、ほんの少しだけ気を流す。


ドォォォォォォンッ!!


「ぎゃああああああああっ!?」


五人の探索者たちは、俺が起こした衝撃波に巻き込まれ、ボーリングのピンのように弾き飛ばされた。

彼らは回廊を百メートルほど転がり、そのままゲートの入り口近くまで吹き飛んでいった。

死なない程度に手加減はしたが、まあ、しばらくは腰を抜かして動けないだろう。


「ふぅ。ったく、今の若い奴らは礼儀ってものを知らん」


俺は部屋に戻り、再びソファに座った。

すると、入れ替わるようにエレナが息を切らせて駆け込んできた。


「佐藤さん! 今、入り口からすごい勢いで探索者チームが降ってきたんですけど、あなたの仕業ですよね!?」


「ああ、エレナか。ちょうどいい。あいつら、俺の家の前で花火を振り回しやがって。警察に突き出せないのか?」


「警察じゃなくてギルドの管轄です! しかも彼ら、国内トップクラスのAランクチームですよ!? 全員白目を剥いて『神様が見えた……』ってうわ言を言ってるんですから!」


エレナは部屋の中に広がる異常な光景――テレビと魔石の配線――を見て、再び頭を抱えた。


「……もう、突っ込むのも疲れました。佐藤さん、この第一階層は正式にギルドが『居住区』として認可することになりました。これ以上、勝手に探索者を吹き飛ばさないでください。国交問題になります」


「認可か。それは助かるな。これで堂々と表札が出せる」


「表札を出すダンジョンなんて世界でここだけですよ……」


エレナは深いため息をつきながら、俺の冷蔵庫を勝手に開けて、冷えたお茶を取り出した。

どうやら彼女も、この異常な空間に慣れ始めてしまったらしい。


「あ、そうだ佐藤さん。明日、ギルドの総裁があなたに会いたいと言っています。これからのダンジョン運営について、相談があるそうで」


「運営? 興味ないな。俺はただ、静かに暮らしたいだけだ」


「そう言うと思って、報酬に『最高級の松阪牛』を用意しているそうですよ」


「……何時だ? 何時に行けばいい?」


俺は即答した。

二十年間のサバイバル生活で、俺の「食」への執着は、もはや信仰に近いレベルに達していた。


「ふふ、分かりやすいですね。では、明日の朝お迎えに上がります。……あ、テレビの音量はもう少し下げてくださいね。本当に外まで響いてますから」


エレナは苦笑いしながら、穴の上へと帰っていった。


俺はテレビのリモコンを操作して音量を下げ、最後の一口のビールを飲み干した。

新宿ゲートの主。

現代最強の探索者。

そんな仰々しい肩書きはどうでもいい。


明日、美味い肉が食える。

それだけで、俺の二十年間の苦労は報われたような気がした。


「松阪牛か……。すき焼きがいいかな、それともステーキかな」


俺は幸せな悩みと共に、文明の明かりを消して、懐かしい布団に潜り込んだ。

ダンジョンの奥底に、静かな寝息が響き渡る。

こうして、おっさんの「ダンジョン居座り生活」は、一応の公認を得て本格的に幕を開けたのだった。


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