第54話 犬殺し

 交通安全の横断幕を引き裂き、警官の追跡を煙に巻いたタカシだったが、彼にはまだ「掃除」すべき未練が残っていた。

​ アパートへ戻る道すがら、一軒の庭先から激しい吠え声が聞こえてくる。それは、かつて彼が学校へ行くたびに、その汚れた制服を嘲笑うかのように吠え立てていた、近所の獰猛な土佐犬だった。

​「……あぁ、君も『やかましい』部類の一員だったね」

​ タカシはチェンソーのエンジンを切り、闇に紛れて静かにその家へ近づいた。

 彼のポケットには、いつの間にか手に入れていた**強力な殺鼠剤さっそざい**の粉末がある。

​「……最後のごちそう、差し上げますよ」

​ タカシは、207号室から持ち出した飲みかけのビールに殺鼠剤をたっぷりと混ぜ、それを贅沢な霜降り肉に振りかけた。そして、一徳のポーズで指先を震わせながら、その肉をフェンスの向こうへ放り投げた。

​「……ドッグフードのアップグレード、いただきましたぁ~~」

​ 鎖に繋がれた犬は、それが死の宣告とも知らず、狂ったように肉に食らいついた。

 数分後、激しい吠え声は、湿った、短い喘ぎ声へと変わり、やがて完全な沈黙が訪れた。

​「……あぁ、世界がどんどん静かになっていく」

​ タカシは満足げに微笑み、再びチェンソーを担ごうとした。

 しかし、ここでまたしても「呪われた一徳の宿命」が彼を襲う。

​ 犬の様子を伺おうとフェンスに身を乗り出した瞬間、足元にあった**「犬のフン」**。

 熟成され、絶妙な潤いを保ったその茶褐色の物体が、タカシの右足を完璧にキャッチした。

​「あッ」

​「ズザァァァァァッ!!」

​ タカシの体は、犬のフンを潤滑剤にして、これまでにないほど滑らかに滑走した。

 そのまま、犬が死んでいるはずの犬小屋の入口へと、頭からダイブしたのだ。

​「フンの感触……いただきましたぁッ!!」

​「ドッスゥゥゥゥン!!」

​ 犬小屋の中に頭を突っ込んだタカシ。

 鼻腔を突くのは、フンの臭いと、死んだ犬の末期の息遣い。

 そして、暗闇の中でタカシの顔面に触れたのは、犬が最期に吐き出した**「メロン色の胃液」**だった。

​「……うぷっ。……お返し、いただきました……」

​ タカシは犬小屋の中で逆さまになりながら、自分の人生がいかに「汚れ」と「一徳」にまみれているかを痛感した。

 しかし、その目は依然として死んだ魚のように輝いている。

​ 背後では、警察のサイレンが再び大きくなり、空にはヘリコプターのライトが交差する。

 タカシは犬小屋から這い出し、顔についた汚れを拭うこともせず、血塗られたチェンソーに火を入れた。

​「……さぁ、次は誰を静かにしてあげようか」

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