第22話 滋賀県立第三高校占拠事件:愛の亡霊
顔なき影
理科準備室の淀んだ空気は、リナの荒い息遣いと、ひゅうひゅうと鳴る古びた換気扇の音だけが支配していた。鏡に映る自身の姿は、もはや見慣れた「佐倉リナ」ではなかった。そこにいたのは、精悍さに欠けるが、確かに男性の面影を持つ、別人の顔。メイク道具を仕舞いながら、リナは震える指先で頬に触れた。この変装が、どこまで通用するのか。不安が胸を締め付ける。
外からは、まだ武装集団の声や、時折生徒たちの悲鳴のようなものが聞こえてくる。しかし、リナはもう、美しい女子生徒「佐倉リナ」ではない。彼女は今、この顔のない影となり、校舎のどこかに潜む、見えない監視の目から逃れなければならない。
リナは、準備室の扉にそっと手をかけた。軋む蝶番の音に心臓が跳ねる。廊下は薄暗く、人気がない。慎重に、一歩、また一歩と足を進める。履き慣れない男物のスニーカーが、妙に大きく感じられた。
偽りの制服
幸運にも、理科準備室の奥には、文化祭の演劇で使われたらしい、男子生徒用の制服が埃を被って吊るされていた。少しサイズは大きいが、だぶつきが逆に体型をごまかす効果を生む。リナは、ためらいなく自身のスカートとブレザーを脱ぎ捨て、袖を通した。これで外見上の武装は完璧だ。
廊下の角を曲がると、数人の武装集団が、生徒を追い立てる声が聞こえてきた。彼らは一様に黒い戦闘服に身を包み、仮面で顔を隠している。生徒たちは怯えきった表情で、体育館の方へ向かって歩かされているようだった。
リナは壁に張り付き、息を潜める。心臓が耳元で激しく脈打つ。
「おい、そこのお前! 何をしている!」
不意に、背後から声がかけられた。リナはゾッと身を凍らせた。
振り返ると、そこに立っていたのは、見慣れた顔。3年1組の担任、高木先生だった。しかし、その高木先生は、片腕を武装集団の一人に拘束され、顔には痛々しい痣ができていた。
「先生……!」
リナは思わず声を発しかけたが、間一髪で飲み込んだ。自分はもう、リナではない。
高木先生は、リナの変装した姿に一瞬目を細めたが、すぐに「君は……」と言いかけた。その瞬間、武装集団の男が先生の腕を強く掴み、体育館の方へ引きずっていく。
「早く行け! ぐずぐずするな!」
先生は、リナの方を一瞥し、何かを伝えようとするような眼差しを向けたが、そのまま体育館へと消えていった。
不安と決意
リナは、高木先生に向けられた暴力と、その眼差しに、胸が締め付けられる思いだった。しかし、ここで正体を明かすわけにはいかない。これは、先生のためにも、そして何より、自分自身のために選んだ道なのだ。
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