第3話  女ゆえの不遇:騎士になれない

第3話 女ゆえの不遇:騎士になれない


 訓練場に、いつになく重たい空気が流れていた。


 剣が折れたわけでも、誰かが怪我をしたわけでもない。ただ、エリアルの胸の奥に沈殿したものが、そのまま場の空気を濁らせているようだった。


 夕刻。西日が訓練場の土を赤く染め、木製の柵の影を長く引き伸ばしている。

 エリアルは剣を持たず、ただ地面に腰を下ろしていた。


 少し離れた場所では、若い騎士見習いたちが声を張り上げ、剣を打ち合わせている。


「はあっ!」 「甘いぞ、もっと腰を落とせ!」


 剣と剣がぶつかる金属音。

 ――その音を、エリアルは少し羨ましそうに眺めていた。


「……いいな」


 ぽつりと、誰にも聞かれない程度の声で呟く。


 その背後から、年老いた師匠――このコクーン公爵家で剣を教える老剣士が、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「何が、いい?」


「……いえ。別に」


 エリアルは慌てて首を振ったが、師匠は見逃さなかった。


「騎士見習いたちか?」


 図星だった。


 エリアルはしばらく黙り込み、それから観念したように小さく息を吐いた。


「……あの人たち、全員“騎士”になるんですよね」


「そうだな」


「正式な騎士団に入って、剣を振るって、国を守って……」


 言葉の途中で、エリアルは口を閉じた。


 続きを言わなくても、師匠には分かっていた。


「おまえは、なれない」


 あまりにも率直な言葉だった。

 しかし、それは冷酷さからではない。事実を、事実として述べただけだ。


「この国では……女は、騎士になれない」


 それが、この王国の“常識”だった。


 貴族の娘であろうと、剣の才能があろうと関係ない。

 女は、騎士になれない。


「わかってます」


 エリアルは静かに答えた。


「法律ですよね。昔の戦争で、女騎士が捕虜になったのが問題になって……それ以来、正式な騎士団への所属は禁止」


「そうだ」


「だから私は……どれだけ剣が強くても、どれだけ訓練しても……」


 エリアルの指が、無意識にぎゅっと握られる。


「“評価される場所”に、立てない」


 それは怒りというより、諦めに近い声音だった。


 師匠は腕を組み、しばらく黙ってから言った。


「正直に言おう。おまえの剣は、あの見習いたちより遥かに上だ」


「……」


「技も、勘も、反応もだ。問題は――力だけだがな」


 苦笑混じりの言葉に、エリアルも少しだけ口元を緩める。


「剣が耐えられないのは、私のせいです」


「違う」


 師匠は即座に否定した。


「それは“才能の形”だ。制御できていないだけで、間違いではない」


 エリアルは驚いたように目を瞬かせた。


「でも……そのせいで、剣も壊して、騎士にもなれなくて……」


「だからこそ、だ」


 師匠はエリアルの正面に立ち、真剣な目で見下ろした。


「おまえは、騎士ではなく“冒険者”になるべきだ」


「……冒険者」


 その言葉を、エリアルはゆっくりと反芻する。


 冒険者。

 国に縛られず、身分に縛られず、実力だけで評価される存在。


「冒険者なら……女でも、関係ありませんか?」


「ああ。生き残れば、な」


 それは厳しい現実でもあった。


 冒険者は自由だが、その分、守られることはない。

 力がなければ死に、油断すれば命を落とす。


 だが――。


「……それでも」


 エリアルは立ち上がり、訓練場を見渡した。


 剣を振るう見習いたち。

 騎士という“道”が、最初から用意されている者たち。


「私は、剣を振るうのが好きです」


 はっきりとした声だった。


「誰かを守るのも、強くなるのも……好き」


 エリアルは師匠を見た。


「だったら、場所なんて……どこでもいいですよね」


 師匠は一瞬、驚いた顔をし、それからゆっくりと笑った。


「……ああ。その通りだ」


 老剣士は、地面に落ちていた一本の木の枝を拾い上げた。


「よく見ておれ、エリアル」


 師匠は構え、見習いの一人を呼ぶ。


「打ち込んでこい。全力でだ」


「は、はい!」


 見習いは戸惑いながらも剣を構え、踏み込んだ。


 ――次の瞬間。


 師匠の木の枝が、一閃。


 金属音が響き、見習いの剣だけが、真っ二つに斬られて地面に落ちた。


 師匠の枝は、折れていない。


「……!」


 エリアルは息を呑んだ。


「力を“流す”。相手だけを斬る。剣を壊さず、枝も折らない」


 師匠は枝をエリアルに差し出す。


「これを覚えろ。そうすれば――」


 エリアルは、その枝を強く握った。


「……どんな剣でも、折らずに使える」


 小さく、しかし確かな声で呟く。


 その瞳には、迷いはなかった。


「絶対に……マスターしてみせます」


 夕日が、エリアルの背中を赤く照らしていた。


 剣士令嬢はまだ知らない。

 この“折れない剣を求める日々”が、やがて彼女を運命の剣へ導くことを。


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