妖怪のっぺらぼうと顔のない殺人
黒澤 主計
前編:もしかして俺は、『完全犯罪』に巻き込まれた?
今日も見事に、一人が釣れた。
「あの? どうかされたんですか?」
柔らかな声で、俺に尋ねてくれる女性がいる。
「実は、なくしてしまったものがあって」
彼女には背を向けたまま、俺は声を震わせて言う。
夜道で蹲る男に対し、優しく声をかけてくれる女性。そんな親切な子には、是非とも『ハッピー』をプレゼントしたい。
「実は、『顔』をなくしてしまってねえ」
はっきりと、『のっぺらぼう』の顔を示してやった。
俺はのっぺらぼう。
世間では、そんな『妖怪』として認識されている。
「ああ、困ったなあ、困ったなあ」
夜道で蹲り、俺は心底辛そうな声を出す。
「どうしたんですか?」なんて、通りがかった人間は声をかけてくれる。
「実は、『顔』をなくしてしまってねえ」
そして、見せてやるのだ。
目も鼻も口もない、『卵のようなつるりとした顔』を。
直後に、響き渡る悲鳴。
まさに、『ハッピー』な瞬間だ。
やっぱり地方都市はいい。
夜道で蹲っている男にも、ちゃんと声をかけてくれる。
今日は一月一日の元旦。年の初めに『お仕事』をしてやりたい。
黒いスーツに身を包み、一見サラリーマンみたいな恰好で夜道を闊歩する。正直、風が冷たい。でも、人々を『ハッピー』にしてやるためには、このくらいは我慢だ。
頭も寒い。俺は目鼻だけじゃなく髪の毛もない。
「来たな」と俺は路地の片隅で座りこむ。
手前には児童公園の敷地。近隣にはマンションも建ち並んでいる。
「ああ、悲しいなあ悲しいなあ。どうしても見つからない」
足音が近づくのを聞きながら、俺は地面を探る振りをする。
「あの、どうされたんですか?」
よし、釣れた。
「実は、なくしてしまったものがあってね」
「何か、落としたんですか?」
優しい。本当にいい子だ。
じゃあ、『ハッピー』を与えてあげよう。
「実は、『顔』をなくしてしまってねえ」
期待を込め、俺は『素顔』を見せてやる。
「え?」と彼女は小さく声を漏らす。
両目のぱっちりとした、可愛いらしい女の子だった。年齢は高校生くらい。紺色のコートを着て、髪はポニーテール。
だが、何か反応がおかしい。
どうした。なぜ、怖がらない?
疑問が心をよぎった直後、彼女が悲しそうに眉を下げた。
「もしかして、お父さん?」
あれえ、と首をかしげることしか出来なかった。
「ね、どう見てもお父さんでしょ?」
「そうね。この感じはやっぱり、お父さんとしか」
じろじろと、俺は姿を観察されている。目の前にいるのは夜道で会った女子高生。その隣には母親らしい、四十半ばくらいの女が立っていた。
俺は今、畳みの部屋に連れ込まれている。広さは八畳くらいで、家具の類は全くない。
あるとしたら、奥にある『仏壇』くらいだ。
まだ新しい黒塗りの仏壇。
スキンヘッドの男の顔が、遺影に収められていた。年は五十前後。眉が太いのが特徴的。
うーむ、と俺は自分の頭に手を当てる。
「あ、来たみたい」
直後に、ピンポーン、と家のチャイムが鳴った。母親が小走りに出て行き、すぐに応対する声が聞こえてきた。
「おお、これは」と、入ってくるなり声が上がる。
とぼけた感じの人物だった。年齢は五十ちょっと。頭頂部ははげていて、顔には黒縁の眼鏡をかけている。
「どう思う?
娘の方が不安そうな声を出す。
「たしかに、顔がない。このタイミングでこれは、やっぱり想像せずにいられないな」
男は深々と溜め息をつく。
「これは、『死んだアイツ』の幽霊なのかもしれない」
父親の名前は、
享年は四十七歳。地元の信用金庫に勤めるサラリーマンだった。
同い歳の妻。そして
でも、彼の身に異変が起きた。
「こちら、須藤快治さんのお宅でしょうか」
須藤家の母子のもとに、警察署から連絡が入った。
「お辛いでしょうが、ご確認をお願いします」
警察署に呼ばれた二人は、すぐに『無残な話』を聞かされることになる。
「う」とすぐに堪え切れなくなり、母親はさめざめと泣いた。
最初に見せられた写真には、目を背けたいものが写されていた。
「どうやら、植木鉢が落下してきたらしくて。それを見上げようとした時に、顔面に直撃したのではないか、と見られています」
父親らしき男からは、『顔』が失われてしまっていた。
その日、二人は『顔のない死体』と対面することになった。
いやいやいや、と俺はかぶりを振りたくなった。
たしかに、不幸な事件ではあったのだろう。それは本当に気の毒だとは思う。
でも、なんでそこに俺が呼ばれる?
「『顔のない死体』として発見された快治。死んだのも、ちょうど公園の先のマンションの前。そして、その公園の辺りに蹲っていた、と」
『寛三おじさん』と呼ばれていた男がしみじみと事実を反芻する。
「間違いないよ。わたし、確かに聞いたの。『なくしてしまったもの』があるって」
たしかに、口にはしていたけれど。
「そして、何か落としたんですかって聞いたら、『顔をなくしたんだ』って」
おいおい、と声に出したくなった。
「それは、間違いなさそうだな。綾子ちゃんが聞いた言葉の通りだとすれば、やっぱりこれは、快治の霊ってことに」
「うん」と綾子が涙を拭う。
「つまり、顔をなくしてしまったことに苦しみ、今も成仏できないでいる」
寛三は目頭に指を当て、「むごい」と悼む顔をする。
どうしよう、この状況。
今ここで、ただの『のっぺらぼう』ですと言っても、なんか通用しなさそうな気がする。
「ねえ、お父さんなんだよね?」
綾子が声を上げ、俺は渋々と振り返る。
「いや」と答えようとするが、彼女はすぐに俯いてしまう。
「やっぱり、無理」
綾子の目から、また大粒の涙が零れ始めた。
「お父さんが、『こんな姿』になっちゃうなんて」
あれ、と思わずにいられない。
なんかこれ、容姿を否定されてない?
「本当に、こんな『みっともない姿』になるなんて」
つられて母親も、俺の姿に涙を流す。
なんだろう、胸の中がズキズキする。
俺の姿、そんなに酷い? 見た瞬間に泣きたくなるほど惨めなの?
「なんか、噂になってたから。『変な怪談』みたいに面白がる人もいたけど」
綾子はまた、そう言って顔をくしゃくしゃにする。
「顔なんて、その辺に落ちてるものじゃないのに。なのに、一生懸命地面を探してたの」
「可哀想。そんな『簡単な判断』まで出来なくなってたなんて」
どうしよう。
娘と母が、泣きながら俺の知能まで否定する。
「すまない。ちょっといいかな?」
さすがにもう、我慢できない。
ちなみに俺には顔がないが、『霊的な力』により言葉を発することが出来る。
「盛り上がっているところ悪いんだが、おそらくは『人違い』なんじゃないかな?」
どうだろう、と全員の様子を見る。
「そう、だよね。お父さんも『そんな姿』、見られたくなかったよね。だから、あんなに一生懸命『顔』を探してたのに」
綾子がしゃくりあげ、母親が強く抱きしめた。
ダメか、やっぱり。
俺がこの姿を恥じて、他人の振りをしていることになっている。
「いや、そういうわけじゃなくてな」
どうすれば、この状況から抜け出せる。
三人が三人とも、俺を見ながら目を赤くしている。完全に『憐れむ目』だった。
自己肯定感が下がらない内に、切り抜ける方法を見つけねば。
俺の直感が告げている。
この家に留まっていると、きっと更に厄介な問題が舞い込んでくる。
特に、不穏なキーワードもある。
『顔のない死体』
これに過敏に反応する奴がいたら、この家はかなり問題を抱えている。
逃げねば、と画策した。
だが、全ては遅かった。
『ピンポーン』とチャイムが鳴る。母親がすぐに応対に行くのを見て、俺は全身に冷や汗が浮いてきた。
「『刑事』さん、こちらです」
母親の発した単語を聞き、一気に頭が重くなる。
ふむ、と案内された男はしげしげと俺を見た。
「これは『ご主人の幽霊』で間違いないんですか?」
これはまずい。絶対まずい。
この状況で現れる刑事。こいつはきっと、厄介な奴だ。
「だとしたら、アレは本当に『ご主人の死体』だったことになる」
鋭い目つきをした男だった。
年齢はおそらく六十間近。短く刈った灰色の髪をして、顎には無精ひげが伸びている。
「これは、どう解釈したものか」
男はぶしつけに、俺の全身を見る。
「本当に、この家のご主人と見ていいものか。それとは別の、『何かの化け物』を拾ってきた可能性もあるのでは?」
否定はしないが、その言い方。
「最近、妙な『都市伝説』みたいなものも聞こえてきましてね」
声に出し、一人で首を横に振る。
「はっきり言って、手も足も短い。スタイルもいいとは言えない。英語に直すと、『スタウト』とかになるのかもしれないな」
今度は体型を否定かよ。
「本当に、ここは日本なんですよ。私たちには関係ないんです」
綾子の肩を抱いたまま、母親が厳しく言う。
「一応、あらゆる可能性を検証しないと」
刑事は得意げに語りを続ける。
「有名どころとしては『スレンダーマン』が気になりますね。見繕った相手にしつこくストーキングをするとかいう話の。あれも、こういう卵みたいな顔の化け物だとか。そういう化け物の正体が元々は人間だった、なんて話もありましたね」
男の言葉に、母親が眼光を鋭くする。
「ひとまず、『彼』が何者かが問題ですね。これが本当に『この家のご主人』の幽霊なら、私の考えは的外れだったことになる」
さっきからずっと、部屋の空気がピリピリしている。
綾子も母親も寛三も、刑事を見る目つきが険しい。
この感じだけでも、『こいつ』がこの家にとってどんな奴かは推し量れた。
「DNA鑑定の結果も出たんです。だからもう、疑う話じゃないでしょう」
「そうですね。たしかにしつこいと自分でも思います。でも、やっぱり引っかかって」
やっぱりか、と想像通りでうんざりする。
この刑事が、『なんの用事』でこの家に入り浸ったか。
まず間違いなく、『あの案件』を気にしている奴だろう。
「どうしても『この単語』に引っかかっちまうんです。推理小説とかの影響ですかね。やっぱり疑わずにいられなくて」
思った通りの言葉を、刑事は口にする。
「この家のご主人、『本当は生きている』んじゃないのかなって」
ミステリーというものについては、俺も多少なら知っている。
たしかにそのジャンル、『定番』というか『お約束』みたいなものがある。
『嵐の孤島』だとか『吹雪の山荘』なんてものがあれば、絶対に殺人が起こる。
それと同じように、やっぱり『お約束』というテーマがある。
『顔のない死体』
もしも推理小説の中で、そういう単語が出てきたらどうなるか。
ほぼ一〇〇パーセント、その先の結末は決まっている。
出てきた死体は偽物で、『遺体の主は生きている』ものなのだと。
「須藤快治さんの死については、原因は解明されています」
刑事は改めて、『事件』の概要を語っていった。
「マンションの十五階に住む主婦が、ベランダの手すり壁の上に植木鉢を置いた。それが滑り落ち、真下にいた人物に直撃した」
現在、俺たちは『事件現場』へやってきている。刑事が改めて状況を見たいと言って、綾子の父親の死んだ場所へと移動を促した。
手前には、マンションがそびえ立っている。白い外壁の二十階建て。黒っぽい雨どいが付けられていて、遠目には建物に黒い線が一本引かれているように見えた。
「これはただの事故にも思える。でも、どうしても引っかかるんです。なぜ、彼はこのマンションの前にいたのか」
誰も、何も答えなかった。
「どうして、こんなことになってるんだろう」
綾子が俺の顔を一瞥し、すぐに俯く。
「向かいの家のトシコさんは結婚が決まったって話してたし、ウチの学校のヤマゾエ先生なんて宝くじに当たった話までしてたのに。どうして、ウチはこんなことに」
これはまた、俺が批判されているのか。
「とりあえず、ここで気にするべきことは一つ」
刑事が再び声を上げる。
「そこの『のっぺらぼう』な彼。彼が本当に、須藤家のご主人なのか」
「のっぺらぼう?」と綾子が首をかしげる。
そうだよ、と心の中で答える。
「やはり彼が幽霊になっているなら、私の疑問は全部意味をなさなくなる」
状況に関しては、ようやくわかった。
やはりこの刑事は、綾子たちにとっての『敵』。
顔のない死体が見つかったことで、父親が生きていると疑っている。
厄介なミステリーマニアの妄想とも思える。
でも、正直よくわからない。
本当に、何が真実なのか。
俺は結局、『何』に巻き込まれているのか。
この件については、『こんな表現』をすることが出来るのか。
怪異を利用した、完全犯罪。
刑事の言う通り、『父親』が生きているとしたら。
顔のない死体を使い、死亡したと見せていた。それなのに、この刑事のように疑いを持つ人間が現れる。
そんな折に、俺という『のっぺらぼう』が現れた。これを『顔のない幽霊』とすることで、父親は死んで幽霊になっていると世に示す。
だとしたら、俺はどうすればいい?
綾子たちとこの刑事。一体どっちが、正しいことを言っている?
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