第2話 覚悟の証明
第2話 覚悟の証明
「…はぁ、まったく。…誰に似たのだか……」
ため息を吐きながらそう呟くのは"銀嶺屋敷"の主であるアリアだ。
四人の子供を持つアリアは現在、悩みの種を二つ抱えている。
そのうちの一つは、四人の子供達の一番下の娘に関する事だ。
『――旅に出たいんです!!』
娘のユウキの言葉が、頭の中で木霊する。
あの言葉は…まるで、自分の夢を追って帰らぬ人となった自分の主人……子供達の父の姿と重なったのだ。
見知らぬ地で、他人を庇って、あれだけ豪語して語った自分の夢を叶えること無く死んだ、最愛の旦那。
あぁ、あの時、こうしていれば良かった。
そう思うのはユウキだけではなく、最愛の旦那を送り出したアリアもまた同じなのである。
もう二度と、あの様な思いはしたくないし、娘にも不幸な目にあって欲しくない。
(それでも……あの決意の籠った目は、本気だった…)
ユウキの強い意志は、確かにアリアに伝わっていた。
それでも齢十二の少女が、一人で世界を旅できると言うのか?
アリアには、それが到底想像できなかった。
愛する一人娘のお願いは、極力聞いてきたアリアだったが、今回のお願いだけは別だ。
(ユウキは、実力ならあるって言っていたけど…)
仮にそれが本当だったとしても、だ。次は家の跡継ぎの件が出てくる。
ずっと昔から代々受け継がれてきた風潮なのだ、そう簡単には途切れさせてはならない。
そこでアリアは、とあることを思い出す。
*
ユウキの宣言を聞いたのは、なにも母のアリアだけでは無い。
血を分けた兄弟達もまた、ユウキの宣言に驚きと困惑を募らせていた。
銀嶺屋敷のとある一室、そこで二人の人物が意見を交換しあっていた。
「なぁ、クレイ兄様。ユウキのあの発言について、どう思う?」
「…まず、お母様が許してくれる訳が無かろう。ユウキは父様の最期を…詳しく伝えられていないからな…」
クレイ兄様と呼ばれた人物は、ため息混じりにそう答えた。
「それよりもルーレ、ユウキがこっそりと地下の訓練所で剣の鍛錬をしている、という話は本当なのか?」
ルーレと呼ばれた者は「本当だよ」と頷いた。
…と言っても、つい最近知ったんだけどね、と付け加えた。
将来的に、銀嶺屋敷を継ぐ長女は、剣術や魔法等の戦闘における分野は基本、学ぶことを制限されているのだ。
制限されてるからこそ、興味を抱いてしまったのだろう、とクレイは思う。
しかし、ルーレの考えは次男のクレイとは全く異なっていた。
「ルーレ、お前から見てユウキの剣術はどうであった?」
ルーレは一瞬迷う素振りを見せたが、意を決した様子で答えた。
「……正直に言うと、少なくともユウキは、生半可な気持ちや好奇心で剣を振るっている訳じゃ無い、と僕には見えた」
ルーレは、ユウキが一時の憧れや妄想心で剣を振るっている、と考えていたクレイの本心を見抜いたのだ。
本心を見抜かれたことに少し驚きつつも、ルーレに「では、ユウキには剣術の才能があると言うのか?」と発言した。
「…いや、"才能"と言うより、ユウキの太刀筋からは年齢に見合わない "長年に渡る鍛錬の産物" と呼ぶのに相応しい雰囲気を感じたんだ」
ルーレの言葉を聞いて、ますますクレイの疑問は深まるばかりだ。
ユウキの唐突なあの発言は、衝動的で一時的な憧れから来ている様にしか見えなかった。
しかし、ルーレから見たユウキの太刀筋は、決して一朝一夕のものでは無いとの事。
妹であるユウキと共に暮らして12年、長年と言うが12年の月日は、長年と呼ぶには少し物足りない。
しかも、クレイはユウキが剣を鍛錬している所を見たことがないのだ。
クレイには、何故あそこまで必死になって母に懇願するユウキの気持ちが分からないし、ルーレが賞賛する程の剣の腕前を持っている事についても分からない。何から何まで疑問だらけなのだ。
「確かに、ユウキはいつも他人より上手くできるが……」
「今回は、"才能"じゃないと思うんだ。あれは確かに、努力で手に入れた太刀筋だった」
クレイにとってユウキは、自分の兄であるレインと同じ、天才なのだ。
あの二人はいつも、自分が大量の時間を費やして出来るようになった事を、いとも簡単にやってのけるのだ。
クレイは、二人のそういう所を、羨ましくも尊敬しているのだ。
「……努力で手に入れた太刀筋…か」
今思い返してみると、ずっと自室に籠っているユウキが普段何をしているのか、クレイは知らなかった。
それは、自身の兄でもあるレインも同様であった。
次男であるクレイですら、レインとの関わりはあまり無い。
そこで、とある疑問が生まれた。
「なあ…ルーレ。俺達はあの二人の事を知っているつもりが、実は全く知らないのかもしれないな」
どこか寂しい様子の呟きが、部屋の中を漂った。
*
淹れたてのティーカップから出る湯気が、天井へと吸われるように上へと昇ってゆく。
熱々の紅茶を、優雅に口元に運ぶ者がいた。
「……熱っつ!」
今ちょうどヤケドした者の名を、レインと言う。
「はぁ…またやってしまったよ……。この前も同じ事をしたのに、俺としたことがまた繰り返してる」
「今日は特に用事もないし、ゆっくりしようと思って張り切って紅茶を入れてみたは良いものの…味は薄いし熱いしで、はぁ……」
銀嶺屋敷では、長男のレインの自室だけ扉と壁が厚くなっている。
その理由は、レインの多すぎる独り言が原因、ということは母であるアリアしか知らない秘密なのだ。
「紅茶もまともに淹れれない事が、ルーレ達にでもバレたら……きっと笑いものにされるだろうな…ハハ…」
アリアが抱えている二つ目の悩みこそ、長男のレインに関することなのだ。
他の兄妹や使用人の前ではずっと黙っているせいで、周りからは冷静沈着とか、いつも余裕そうな素振りを見せている、なんて言われているが実際は全く違う。
レインは極度のコミュ障なのだ。
その事を知っているのはアリアのみ。
レインが兄妹達とあまり話さないのは、興味が無いからなどでは無く、単にどうやって会話すればいいのか分からないからなのだ。
アリアはこう思っている「……レインはちゃんと自立できるのかしら……」と。
少なくとも、今のレインには到底不可能に見えた。
これこそが、アリアのもう一つの悩み。長男であるレインの自立についてだった。
部屋の天井をぼーっと眺めながら、ふと呟く。
「ユウキが産まれてなかったら……俺が屋敷の主だったのか……」
レインには夢がある。それは、愛する人と家庭を築き、小さな家を借りて、田舎で慎ましく生活することだ。
もし屋敷を継いでいたら、好きでもない人と結婚し、毎日大量の貴族の業務に押しつぶされていたことだろう。
レインはそれら全てが嫌だった。
ユウキが産まれたことにより、その重圧から解放されて心底嬉しかったレインだったが、妹のユウキは、母のアリアの前で『屋敷を継がない』と、ハッキリと宣言した。
「…流石にそれはちょっと困る……」
頭を抱えるレインであったが、あそこまで真剣な表情をするユウキを見たことがなかった。
「愛する妹の為…とは言っても、屋敷を継ぐなんて…俺にはとても……」
極度のコミュ障であるレインにとって、屋敷の主という役割は荷が重すぎるように感じた。
しかし、何もしてやれていない妹に対し、何かをしてやりたい、とも思う。
「……自分の夢かそれとも、妹の夢か…」
妹の背中を押してやりたい気持ちもあるにはあるが…。
だが、その場合長男である自分が家を継ぐことになるのだろう、とレインは思う。
兄妹の中でレインだけが、進むべき道を見つけてなかった。
次男であるクレイは得意分野である魔法の道を歩んでいる。
三男であるルーレは自身の“家系魔法”と得意の剣技を融合させた“魔法剣士“の道を拓いた。
妹のユウキも、自分の確固たる意思をアリアに伝えた。
今、立ち止まっているのはレインだけだ。
「そもそも、剣術も魔法も…全てが中途半端な俺が…ユウキの代わりに屋敷を継げるのか……?」
継げるわけない――その一言はレインの喉から発せられる事はなかった。
しかもレインには自分の夢がある。
屋敷を継ぐということは、自分の夢を諦め無ければならないということ。
レインは今、弱い自分としっかり向き合い、克服しなければならないのだ。
でなければ、自分の本当に叶えたい夢すらも叶えることはできない。
「みんな、進むべき道や叶えたい夢に向かって進んでる…」
「一日中部屋にこもって、誰とも喋らず、自分の趣味に没頭している現状でいいのか……?」
「……いや、このままで良いはずない。変わるしか、変わるしかないんだ…」
甘えてばかりの自分を変えるため、青年は翡翠色の瞳の奥で、確かな決意を固めた。
*
扉の前で、深呼吸の音が聴こえる。
腰まで伸びた長い髪をなびかせるその少女の名を、ユウキといった。
扉の先は、自身の母であるアリアの部屋だ。
アリアを説得するため、ユウキは丸一日考えた事を頭の中で繰り返し思い出す。
完璧だと思っても、中々ノックをする手は動かなかった。
扉の前でモジモジすること数分、部屋の中から「…入りなさい」と声が聞こえてきた。
アリアの声に驚いたユウキは、勢いで扉をノックしてしまった。
腹を括るしか無くなったユウキは、ドアノブに手をかけて深く息を吸って、そして吐いた。
「失礼します。お母様」
その瞳には、確固たる強い意志が宿っていた。
ユウキが部屋の中に入ると、早速目に入ったのは向かい合うように置かれた豪華なイスだった。
対面にはアリアが座っており、優雅に紅茶を飲んでいる。
「座りなさい、ユウキ。貴女が何のために来たのか、分かっているわ」
小さく頷き、アリアの対面に座る。
部屋の中は、綺麗に整理整頓されており、それだけでアリアの几帳面な性格が伝わってくる。
「お母様、昨日は急な事でごめんなさい。今日は、ちゃんと話そうと思って来たの」
「ふーん、それで?」
先日までの絶対的な冷たさは無いが、それでもまだ、どこか冷たい雰囲気をアリアから感じる。
「私の考えは変わらない。私にとって旅に出るという事は、どうしても譲れないものだから」
「……そう」
ユウキの真っ直ぐとした視線を受けてアリアは何かを決意したかのような表情を作った。
そして、その決意とは、語りたくないであろう事実をユウキに伝える決意だった。
「ユウキ……貴女に伝えなくてはいけなかった事を話します…。それを聞いて、もう一度よく考えなさい」
今まで見たこともないような、どこか悲しい表情のアリアを見て、ユウキはそっと身構えることしかできなかった。
アリアの話の内容とは、ユウキの父親――アリアの旦那に関してだった。
内容は、どんな人だったのか、そして――その最期についてだった。
ユウキの父は、貴族とは思えない程に自由奔放で明朗快活な性格だった。
そして、自由な外の世界に対して、非常に強い憧れを抱いていた。
結婚して、子供が産まれてからも、外の世界に対しての強い幻想は無くなるどころか、深まるばかりであった。
そして、家を継ぐ資格がある長女のユウキが産まれたことにより、自身の責務から解放され、抑圧されていた夢を叶えるべく彼は家を飛び出した。
「産まれたばかりの貴女を見て、"あの人"はこう言ったの『見ろよ、俺と瞳の色がまったく同じだ』と。だから、俺に似るかもしれない、って言っていたわ」
今目の前に居るユウキは、アリアがよく知る旦那とそっくりだったのだ。
「本当に…あの人に似たんだから…」
そう呟くアリアの表情は、後悔の念が混じっているように見えた。
そして、真剣な眼差しでユウキを見つめた。
「ユウキ、貴女には…そんな悲しい最期を遂げて欲しくないの……本当の本当に、旅に出る"覚悟"はあるの?」
「覚悟……」と、ユウキが小さく呟いた。
その表情は、とても多くの経験を経てきた者の顔つきであった。
「お母様、覚悟ならとっくの昔に、心に刻んでいます」
ユウキは真っ直ぐとアリアの目を見て言い放った。
アリアも同じくユウキの瞳をしっかりと捉える。
「……ユウキ、貴女の決意は分かりました」
「っ!お母様、本当にありが――」
「――ですが」
希望に満ちた雰囲気を断ち切るかのように、その声は響いた。
アリアにとって、そこにはある一つの"譲れない事"があったのだ。
「覚悟には、それ相応の"実力"が居ることは、理解しているでしょう?」
アリアは過去に、覚悟と実力を見合ってない者が行き着く先を目の当たりにした。
愛する娘に、悲しい結末を迎えて欲しくないからこそ、実力を試すのだ。
「ユウキ、貴女の覚悟に見合う"証明"をしなさい」
今までに見たこともないような鋭い眼光を宿す瞳の奥に、それだけは譲れないという固い意思が、そこにはあった。
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