奈落の天使

深見怜

第一話 中村有希

- 前編 -


視点 : 中村有希


【9月9日(月)】

「有希ち〜、なんか奢ってえ」

 ああ、また始まった。ツムギお得意のおねだりだ。私の右肩に抱き付きながら、甘えた声を上げている彼女。いつものことだから慣れちゃったけど、いい加減鬱陶しいからやめて欲しい。

「やめなって、あんたそろそろ有希に嫌われるよ」

 そして、それを制してくれるのはいつも夏菜子だった。彼女はそう言って、肩からツムギを引き剥がしてくれる。部活帰りのコンビニで、いつもと同じ三人組。私たちは高校二年の同級生だ。

「そういえば先輩が話してるの聞いたんだけどさ、部長後任、やっぱ有希を推してるみたいよ」

 ツムギを剥がし終えると、陳列されたパンを眺めながら夏菜子がつまらない話をしている。支部大会が終わり、来月には全国大会がある。それが終わると、三年生の先輩方は部活を卒業してしまう。それまでに私たち二年生の中から、次の部長を決めなければならないのだ。けれど、そんなのはどうでもいい話だった。だって私が次期部長になるのは当たり前なんだから。決まりきったことを考えても、なんの得にもならない。

「まあ、有希さんはしっかりしてますからねえ~」

 ツムギが馬鹿にしたようなことをいって、先ほどまで抱きついていた肩に今度は指をちょんと突き刺してきた。悪い子じゃないけど、他人をイラつかせるのが得意なんだよなあ。仕返しに、彼女ではなく夏菜子のほうを褒めてあげた。

「そんなことないよ。私は夏菜子のほうがしっかりしてると思うけど?」

「ええ〜! 私はしっかりしてないの〜?」

「うん」

「うわ、腹立つ〜」

 ツムギはやっぱり何か文句を言っていたけれど、彼女のことは雑に扱って良いと夏菜子に教えて貰っていたからそのままにしておく。二人は幼い頃からの仲らしく、夏菜子はツムギの扱い方を知り尽くしていた。

「でもね……」

 夏菜子がパンをひとつ選び取ると、また話し始めた。

「河瀬くんいるでしょ? あの人も候補になってるみたい」

「ああ、河瀬ね〜! あいつしっかりしてるもんねえ」

 他人のことを"あいつ"とか言わない、と夏菜子が注意している。対して、別に良いじゃん、とか文句を返していたけれど、一方の私はそれどころじゃなかった。

 

 ――私以外に部長候補がいるの……?

 

 確かに、河瀬を後任に推す気持ちは分からなくもない。彼は真面目だし、誰とでも気軽に話せるし、他の部員からの人気も高かった。でも、彼はリーダーには向いていない……と思う。だって、優しすぎるから。彼が誰かをきちんと叱っている場面を見たことがない。もちろん穏やかに注意をすることはあれど、あんなのじゃいつか後輩たちに舐められてしまうのがオチだ。

「まあ、私は有希のほうが向いてると思うけどね」

「うんうん、有希ちは優しい時と怒った時のギャップが堪んないよねえ〜!」

 ツムギの言う通り。いつも優しい人なんて、言い換えれば"ただ優しいだけの人"だ。私みたいにメリハリがきっちりしている人の方が魅力的だし、皆に慕われるに決まってる。

「ほら、二人ともカゴに入れて。奢ってあげるから」

 レジに並び、二人の抱えているパンとか飲み物をひったくる。さっさと支払いを済ませると一方は申し訳なさそうな顔をして、もう一方は満面の笑みを浮かべていた。結局いつもこうなる。つい他人に優しくしたくなる性分のせいで、いつも最後には奢ってしまうのだ。

 

 それから店を出た私たちは、買ったものを飲み食いしながら帰路についた。最寄り駅のひとつ手前の駅で、二人が降りていった。ツムギは何かのSNSに夢中になっていたけれど、夏菜子は『奢ってくれてありがとう』と律儀に礼をしてくれた。おかげで少しだけ心が落ち着いたけれど、またすぐに不安が蘇ってきた。

 

 ――もし部長の座を河瀬に奪われたら……?

 

 私は中学一年の時に学級委員長を押し付けられたことがあって、それからしばらくは嫌々と委員長をやっていた。けれど今になって考えると、あれが学生生活……いや、人生の転機だったに違いない。というのも中一の夏頃に起きた"あの出来事"をきっかけに、人の上に立つことが好きになったからだ。あれから中学ではずっと委員長をやり続けてきたし、部活のリーダーもやった。高校に入ってからもそれは続き、今でもやっぱり委員長。"やりたくないのにやらされている"が、"やりたくてやっている"になり、今となっては"私がやらなければならない"という使命感に変わっていた。みんな甘すぎるんだ。"あの出来事"のおかげで、そのことに気づいた。人は厳しく律されないと、変わることなんてないということに。

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