第32話「弟ユーセフの後押し」

 帰国の噂が広まってから、数日が経った。

 ファーティマは学校では普通に振る舞っていたが、時々ぼんやりと窓の外を見ていることがあった。


 俺も、何とかしなければと焦っていた。でも、具体的に何をすればいいのかわからなかった。


 そんな時、ユーセフから連絡が来た。


『湊さん、今度の日曜日、会えない?』


『会う? どうした』


『相談したいことがあるの。姉さんには内緒で』


 内緒で。何だろう。


『いいよ。どこで会う?』


『駅前のファミレスでいい? 昼の一時くらい』


『わかった』


 * * *


 日曜日。

 俺はファミレスでユーセフを待っていた。


 約束の時間ちょうどに、彼が現れた。いつもの元気な様子とは少し違って、真剣な顔をしている。


「湊さん、来てくれてありがとう」


「いいよ。それで、相談って何だ」


 ユーセフは向かいの席に座り、ドリンクバーの烏龍茶を一口飲んでから話し始めた。


「姉さんと湊さんのこと」


「俺たちのこと?」


「うん。僕、二人に幸せになってほしいんだ」


 ストレートな言葉だった。

 俺は少し面食らった。


「だから、協力したいの」


「協力?」


「母さんを説得するの、手伝いたい」


 俺は驚いた。ユーセフが、そこまで考えてくれていたとは。


「お前……」


「僕ね、ずっと見てたんだ。姉さんが湊さんと一緒にいる時、すごく楽しそうで。日本に来てから、一番笑ってる」


「……」


「それに、湊さんは姉さんのこと、本気で大切にしてくれてる。僕にもわかるよ」


 ユーセフの目は真剣だった。中学生とは思えないほど、まっすぐな目。


「だから、母さんにもわかってほしいの。湊さんがどんな人か」


「でも、ライラさんは——」


「母さんは頑固だけど、悪い人じゃないんだ。ただ、姉さんのことが心配なだけ」


 ユーセフは続けた。


「母さんはね、姉さんが傷つくのが怖いの。外国の男の人と付き合って、うまくいかなくて、悲しい思いをするんじゃないかって」


「そうなのか」


「うん。だから、湊さんが本気だってこと、母さんに伝えればいいと思う」


「伝えたいとは思ってる。でも、どうすれば——」


「手紙を書いて」


 ユーセフがきっぱりと言った。


「手紙?」


「母さんに。湊さんの気持ちを、全部書いた手紙」


 手紙。考えたことはあったが、実行には移せていなかった。


「母さん、直接話すより、文章の方が響くタイプなの。感情的にならずに、ちゃんと読んでくれると思う」


「そうなのか」


「うん。それで、僕が渡す役をやるから」


「お前が?」


「僕なら、母さんに渡せるでしょ。湊さんからですって言えば、少なくとも読んではくれると思う」


 ユーセフの提案は、理にかなっていた。俺が直接渡すより、家族経由の方が確実だ。


「……わかった。手紙、書いてみる」


「本当? やった!」


 ユーセフの顔が明るくなった。


「あとね、もう一つ」


「まだあるのか」


「うん。姉さんに、ちゃんと告白した方がいいと思う」


「告白? もうしただろ」


「違うの。もっとちゃんと。姉さんと一緒にいたいって、はっきり伝えて」


「それは——」


「姉さん、不安なんだよ。湊さんが本当に自分のことを好きなのか、帰国したらどうなるのか。ずっと考えてる」


 俺は黙った。

 確かに、俺は気持ちを伝えた。でも、その後のことは曖昧なままだ。


「遠距離になっても一緒にいたいとか、将来どうしたいとか。そういうこと、話した?」


「……まだ、ちゃんとは」


「じゃあ、話して。姉さんに」


 ユーセフは真剣な目で俺を見た。


「姉さんを安心させてあげて。湊さんにしかできないことだから」


 * * *


 ファミレスを出た後、俺は公園のベンチに座って考えた。


 ユーセフの言葉が、頭の中で響いている。

 手紙を書く。ファーティマにちゃんと伝える。


 どちらも、俺がやらなければならないことだ。

 わかっていたのに、踏み出せずにいた。


 怖かったのだ。

 ライラさんに拒絶されること。ファーティマとの将来を約束して、守れなくなること。


 でも、このままじゃ何も変わらない。

 時間は残り少ない。動かなければ。


 俺はスマホを取り出して、ファーティマにメッセージを送った。


『明日、放課後に時間ある?』


 すぐに返信が来た。


『あるわ。どうしたの?』


『話したいことがある。大事な話』


『……わかった。いつもの公園でいい?』


『ああ。待ってる』


 これで、一つ目は決まった。

 次は、手紙だ。


 家に帰ってから、俺は机に向かった。

 便箋とペンを用意して、書き始める。


 ライラさんへ。


 何度も書き直した。言葉が出てこない。どう書けば、俺の気持ちが伝わるのか。


 でも、逃げるわけにはいかない。

 ユーセフが協力してくれている。ファーティマが待っている。


 俺は深呼吸をして、ペンを走らせた。


 ファーティマさんのことが、好きです。

 最初に会った時から、彼女は特別でした。


 言葉が、少しずつ出てきた。

 俺の気持ち。彼女への思い。将来のこと。


 全部、正直に書いた。

 格好つけても仕方ない。ありのままの俺を、見てもらうしかない。


 夜中までかかって、手紙は完成した。

 便箋三枚。俺の精一杯だった。


 翌日、学校でユーセフに会った時、手紙を渡した。


「これ、ライラさんに」


「わかった。必ず渡すね」


「頼む」


「任せて。僕、湊さんの味方だから」


 ユーセフはにっこり笑って、手紙を受け取った。


「姉さんのこと、よろしくね」


「ああ。ありがとう、ユーセフ」


「お礼は、姉さんを幸せにしてからでいいよ」


 彼は軽く手を振って、去っていった。


 放課後、俺はファーティマとの約束の場所に向かった。

 

 今度こそ、ちゃんと伝えよう。

 俺の気持ちを。俺たちの未来を。


 逃げない。

 そう、心に決めて。

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