白地図の測量士 ―異世界に召喚された女子高生が、歪み始めた世界を測り直す―

万丈 玄

第1話 召喚と依頼

 わたしの足もとが崩れたのは、部室の片隅でセオドライトを眺めていた時だった。


 放課後の測量部。窓の外は茜色に沈みかけ、黒板にはわたしが書いた三角関数のメモがまだ残っている。次の合宿で後輩に説明するために、祖父から譲り受けた古いアナログ式のセオドライトを磨いていた。電源もいらず、歯車とレンズで角度を測るだけの、どこか時代遅れな機械。けれど、祖父と一緒に『測量ごっこ』をした思い出の品で、わたしにとっては宝物だった。


「……ん?」


 光が床から滲みあがってきた。


 ――ワックスかけすぎ?


 光が徐々に模様を帯びて浮かび上がった。幾何学模様のような円陣。気づいた瞬間、重力が逆さに落ちる。机も黒板も、わたし自身の叫び声も、すべてが引き裂かれ……


 眩い光の中で、わたしは見知らぬ石畳の上に立っていた。



 ◇



「成功しましたわ!」


 高い声が響いた。振り向けば、金髪の小さな少女が杖を抱えている。ドレスは上等、背筋はぴん、目はきゅっと強い光。年齢は、うん、八歳くらいだろうか。手には宝石を嵌め込んだ杖。小柄な体からは不釣り合いなほどの威厳と決意がにじんでいた。


「え、えっと……ここ、どこ?」


 わたしが声を震わせると、その子は杖を持ったまま両手を組み合わせて、うるうるした目で私をみあげた。


「異世界の測量士様! わたしはトリニア王国王女、セレナと申します! どうか、わたしたちの国を救ってくださいませ!」


 ――異世界? 測量士? わたし?


 いきなりそんな呼ばれ方をして、頭が追いつかない。けれど少女―セレナ王女の真剣な瞳に、冗談でないことは分かった。


「国を救うって……測量で?」


「はい。地図が……地図が白くなっているのです」


 セレナは震える指先で、広間の壁に掛けられた巨大な織物を示した。タペストリー。それは国全体を描いた地図だった。だが所々が薄れて、糸が白布に溶け込むように消えかけている。


「あ、あの……待って。わたし、ただの高校生で……名前は凛で、みんなからは『りんちゃん』とか『りんりん』と呼ばれていて……」


 混乱するわたしに、王女様は真っ直ぐな瞳を向けた。そしてふと、わたしが抱きしめていたセオドライトに視線を落とす。


「その器具は、『セオドライト』ですの?」


 驚きに息を呑む王女。どうしてこんな小さな子が、その名前を知っているのだろう。


 セオドライトとは、工事現場のおっちゃんが使っていて、三脚の上に乗っているカメラのような、望遠鏡のような器械だ。測量に使うことは知られているけど、その名前まで知っている人はすごく少ない。現在はデジタル化されていて名前も『トータルステーション』って呼ばれている。


「これなら、必ずや地脈を測り直せますわ!」


 『地脈』? また知らない単語が出てきた。わたしはますます混乱する。


「説明はわたしからいたしましょう」


 その時、奥の扉が静かに開き、ゆったりとした足取りで一人の男が現れた。六十代ほど、銀髭を丁寧に整え、法衣に身を包んでいる。背筋はまっすぐで、眼差しには知性と静かな威圧感が宿っていた。


「初めまして。私は王国地理院を預かるアーヴェル・モルダン。この国の地図と杭を管理する者です」


 低い声が響く。威厳と学者の気配を纏っている。


「この世界の大地には『地脈』と呼ばれる魔力の流れがあります。肥沃な土も、豊かな森も、すべては地脈によるもの。太古の王族は『杭』を打ち、地脈を制御して国を築きました」


 わたしは言葉を返せずにいると、彼はゆっくりと歩み寄り、広間の壁に掛けられた巨大な織物―タペストリーを指差した。


「ご覧なさい。この地図は我が国の大地を映す鏡。我々はマスター地図とよんでいます。地脈に対して杭を効果的に打ち込み、その位置を正確に地図に刻む。そうすることで地脈は安定し、土地は豊かさを保ちます。しかし杭が劣化すれば、あるいはわずかでもズレが生じれば、地脈は離れ、地図は色を失い――やがて白地図となる。我々王国地理院は、この地図と杭を管理してきました。」


 わたしは呆然と聞き入る。けど、頭の片隅で測量の知識と結びついていくのを感じた。杭、測量そして地図。基準点がずれれば、すべての測量結果は狂う。正しい地図を作るためには、杭=基準点の維持が絶対条件だ。


「杭…基準点…」


 気づけば声に出していた。アーヴェルはわずかに目を細め、うなずいた。


「そう。異世界の測量士様。あなたの持つ器具こそ、我々には失われた精密測量の技なのです。近年白地図化の勢いが増してきており、我々だけでは対処できなくなってきています」


「測量士様」


 王女様が私の両手をぎゅっと握った。小さな掌の温もりが震えている。


「このままでは国が地図から消えてしまいます。どうか、白地図化を止めてください。お願いしますわ!」


 その瞳は涙をたたえていた。けれど、ただの子供の泣き言ではない。王女としての責任と決意が宿っている。胸が締めつけられる。私はただの女子高生。けれど、測量に関してなら誰にも負けない自信がある。祖父との『測量ごっこ』で身につけた術、計算力、地図を見る眼。


 ――それが、この世界では必要とされている。


「……わたしに、できることがあるなら」


 言葉にすると、肩の奥に重みが乗った。覚悟の重み。だけど、逃げるよりもずっと清々しい。王女様が顔を上げる。涙に濡れた瞳が一気に輝きを帯びた。


「凛様!」


「え?」


「異世界の測量士様では長すぎます。これからは“凛様”と呼ばせていただきますわ!」


 ――なんだか、急に距離が縮まった気がする。



 ◇



「凛殿には異世界での測量に慣れていただくため、まずは簡単な杭の位置修正からお願いします」


 アーヴェルがそう言い、巻物を差し出した。地図の一部を写し取った複写図だ。なるほど、日本で言えば国土地理院発行の1/25000地形図みたいなものね。


「王都近くの小さな杭周辺が、白地図化を始めています。危険は少ないはずですが……測量と修正をお願いしたい。凛殿のセオドライトと、王女殿下の距離測定魔法ならば極簡単なはずです」


「距離測定魔法?」


 わたしが聞き返すと、王女様は恥ずかしそうに顔を伏せる。


「まだ100パッススしか測れませんけれど……精度は確かです!」


 幼い声の裏に、必死の自信と責任感が宿っている。彼女がこの国を守ろうとしている気持ちが伝わる。ただ今の会話、情報量が多い。


 ――『魔法』やっぱり異世界、魔法が使えるのね。


 ――そして……『パッスス』!? 


 言葉は通じるけど、長さの単位が違うのか。これを間違うと致命的なミスが発生する。現実世界でもNASAがやらかしたもんね。


「『パッスス』ってどれくらいの長さなの?」


「これくらいですわ」


 王女様が両手をいっぱいに広げる。かわいい。

 それでは正確に伝わらないと考えたのか、アーヴェルが部下に、製図用に使う大きな物差しを持ってこさせた。わたしは背負っていたリュックから、30センチ定規を取り出し、長さを測ってみる。


 ――1メートル……48センチくらいか。


 ということは100パッススは148メートル、1000パッススで1.48キロメートル=1ローマ・マイルということね。ローマ・マイルは、軍隊が2000歩進む距離が基準になっているという。この異世界でも同じように決めたのだろう。

 わたしは、リュックの中からノートを取り出し、忘れないように書き込む。


「ちなみに角度は?」


「円を何等分した角か、というふうに記述しています。我々の技術や王族の『角測定魔法』でも1/6400等分が限界です」


 アーヴェルが学者らしい正確な物言いで答える。『角測定魔法』か、異世界感満載。でも、『°』の単位にすると0.06°……。


 ――誤差が大きい。


 小さいように見えるけど、測量の世界では精度不足。この祖父が使っていた旧式のセオドライトでも1秒角、0.0003°まで測れる。それならわたしでも役に立てる。


「分かった。やってみるよ。それから呼ぶなら、『りん』でいいから」


「それでは失礼過ぎます。では……凛お姉様!」


「お姉様?」


 思わずずっこけそうになった。けれど、王女のまっすぐな笑顔を前に、否定する気持ちはすぐに霧散する。


 ――ふふ、まあいいか。



      ◇




 こうして、わたしは異世界トリニア王国で測量士としての一歩を踏み出した。

 地脈、杭、白地図。すべては理解しきれない。けれど、セオドライトを握る手には確かな感触がある。

 角度を測り、杭を打ち、未知を記録する。わたしの知識と、この世界の魔法が交わるとき、きっと地図は再び色を取り戻す。


 それが、わたしに課せられた最初の依頼だった。

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