第一部 第11話 届かない温度と、それでも残る光
影のもふ族が姿を消してから、森は不自然なほど静かだった。
風は吹いている。
葉も揺れている。
それなのに、音だけが薄い膜に包まれているようで、どこか現実感がない。
「……行った、のか」
ゆうが小さく呟くと、肩の上のもふが身じろぎした。
「きゅ……」
胸の結晶は、淡く、けれど不安定に揺れている。
完全に黒くはない。
だが、いつもの澄んだ光とも違っていた。
リシェルは弓を下ろしたまま、森の奥を見つめている。
「……逃げた、って感じだね。
でも、完全に拒絶されたわけでもない」
「ええ」
セレスが頷く。
「攻撃も、拒絶の魔力反射もなかった。
あれは――迷いよ」
「迷い……」
ゆうは、さっき影のもふ族と目が合った瞬間を思い出していた。
敵意はなかった。
助けを求める声が、確かに聞こえた。
けれど同時に――
“近づいてはいけない”という恐怖も。
「……俺の料理、足りなかったんだな」
ぽつりと漏れた言葉に、リシェルが振り返る。
「そんなこと――」
「足りなかった、で合ってるわ」
セレスは、はっきりと言った。
「でもそれは、失敗じゃない」
二人の視線が、セレスに集まる。
「影のもふ族は、無の魔力に深く侵されている。
一度の調律で戻るほど、浅くない」
「じゃあ……」
「それでも、反応した」
セレスはゆうを見る。
「あなたの料理に“逃げる”という選択をした。
それは、完全に壊れていない証拠よ」
もふが、小さく鳴いた。
「きゅ……きゅい」
ゆうは、もふの頭をそっと撫でる。
「……怖かったな」
「きゅ……」
それでも、もふは逃げなかった。
影を見つめ、泣き、それでもゆうの肩から離れなかった。
――それが、答えなのかもしれない。
◆
夜。
焚き火の前で、ゆうは鍋を火にかけていた。
特別な料理ではない。
野菜を刻み、スープを煮ただけの、いつもの味。
それでも、香りが立ち上ると、空気が少しだけ和らぐ。
「……さっきは出さなかったの?」
リシェルが、焚き火を見つめたまま聞いた。
「うん」
ゆうは、鍋をかき混ぜながら答える。
「“届けたい”って気持ちが強すぎると、
たぶん、あれは逃げる」
セレスが、静かに息を吐いた。
「押しつけになる、ということね」
「料理も同じなんだ」
ゆうは、小さく笑った。
「美味しいって思ってもらうには、
相手が“食べたい”って思ってくれないと」
もふが、鍋を覗き込む。
「きゅいっ」
「はいはい」
ゆうは小皿によそい、もふに差し出した。
もふは嬉しそうに食べ、胸の結晶が少しだけ明るく光る。
その光を見て、ゆうは焚き火の向こうを見つめた。
「……逃げたってことは、
まだ、戻れる場所を探してるってことだ」
「ゆう」
リシェルが微笑む。
「それ、信じてる顔だよ」
「うん」
ゆうは頷いた。
「信じるよ。
ちゃんと、食べてもらえる日が来るって」
焚き火が、ぱちりと音を立てた。
その向こうの闇の奥で、
誰かが、確かに“温度”を覚えていたことを――
ゆうは、まだ知らない。
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