第一部 第5話 満たされない食卓

 最初のルナリアは、穏やかな空気に包まれていた。人の行き交いは多く、店先からは香ばしいパンの匂いが漂ってくる。


「いい匂い……普通の町だね」


 リシェルが少し安心したように息を吐いた。


「ええ。魔力の流れも安定しているわ」


 セレスも頷く。もふはゆうの肩の上で、きゅい、と小さく鳴いた。


 ――少なくとも、表向きは。



 異変に気づいたのは、宿屋の食堂だった。


 夕食に出されたのは、素朴な煮込み料理。香りも見た目も悪くない。だが、一口食べた瞬間、ゆうは違和感を覚えた。


「……美味しく、ないわけじゃない」


 味は整っている。塩加減も火の通りも問題ない。それなのに――腹の奥に、何も残らない。


「どうしたの?」


 リシェルが首をかしげる。


「いや……食べてるはずなのに、満たされない感じがする」


 セレスが静かにスプーンを置いた。


「……やっぱり」


「やっぱり?」


「この町、魔力は安定しているけれど……“循環”が弱いわ」


 セレスは周囲を見渡す。


「人も、土地も、食べ物も。ちゃんと回っていない。例えるなら――食べても栄養にならない状態ね」


 もふが、胸の結晶をわずかに曇らせた。


「きゅ……」



 翌日、町を歩くと、それははっきりと見えてきた。


 ・元気が出ない商人 ・治りきらない軽い病 ・笑顔はあるのに、どこか疲れた人々


「重症じゃない……けど、全体的に“足りてない”感じだね」


 リシェルの言葉に、ゆうは頷いた。


「腹が減ってるってほどじゃない。でも……ちゃんと食べられてない」


 その夜、ゆうは宿の厨房を借りた。


 特別な材料は使わない。町で買った野菜と肉、ありふれた香草。


 ――でも、整える。


 包丁を入れ、火を入れ、素材の“調子”を聞くように鍋をかき混ぜる。


 出来上がった料理を、宿の主人と客たちに振る舞った。



「……あれ?」


 一人の男が、目を瞬いた。


「なんだこれ……腹に、ちゃんと来る」


「力が……入る?」


 ざわめきが広がる。


 もふの胸の結晶が、柔らかく光った。


 セレスは、はっきりと確信する。


「……やっぱりね。この町は壊れていない。ただ――空腹に慣れてしまっているだけ」


 ゆうは鍋を見つめ、静かに言った。


「なら、まだ大丈夫だ。ちゃんと食わせれば……戻れる」



 だが、その夜。


 もふが、突然震えだした。


「きゅ……きゅぅ……」


 胸の結晶が、かすかに黒く揺れる。


 町の外。闇の向こうで――何かが、確かに動いていた。


 この小さな歪みが

 やがて“影”を呼び寄せるとは、まだ誰も知らなかった。

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