第5話 最初はグー
「普、俺はお前がそんな下らないことするやつじゃないってことは知ってるんだ」
職員室に来て早々に怒りを露にする俺を宥めるのは担任の
「ここ最近のお前は人が変わったように真面目だったからな。授業はちゃんと聞いてるし、休み時間にわざわざ分からない箇所を職員室まで質問しにきたこともあった。そんだけ頑張ってりゃ、そりゃあ良い点取れるわな」
「じゃあなんでカンニングの疑いなんか出るんですか!」
「日頃の行いが悪いから」
音切先生は一言で、俺が持っていたあらゆる反論を全て切り捨てた。
「そりゃそうだろ。ぶっちゃけお前問題児だもん。直近一ヶ月は真面目だったけどそれ以前は論外だぞ? 授業中に寝るわ課題もろくに提出しないわテストは赤点スレスレの点数しか取らないわ。そんな奴がいきなり全教科八十点越えなんてしてみろ、カンニングしたって思われても仕方ないだろ?」
「それは……まぁ……」
返す言葉もないとはこのことだ。反論する余地がどこにも見当たらない。改めて自分の身の振り方を思い出してみれば、あれよあれよと抱えていた怒りが霧散していくのを感じた。
矢継ぎ早に胸の奥から湧き上がってきたのは恥ずかしさと後悔が混ざったような何かだった。ドロドロはしておらず、どちらかというと川の水のようにサラサラとしているが、その分全身に回るのが速い。穴があったら入りたい気分だ。
「もっと真面目にしとけばよかった……」
両手で顔を覆う。言葉と共に吐いた息は手のひらの洞窟に一瞬だけ溜まり、隙間から逃げて行った。洞窟の中には冷えた後悔だけが残る。音切先生が鼻を鳴らして苦笑した。
「改めて聞くけど、やってないんだな?」
「やってないです!」
「よし。それじゃあ他の先生には俺から上手く言っといてやる」
「だが」と、音切先生はそこで言葉を区切り、面倒そうな顔をしながら顔を掻いた。
「本来こういうのは先生たちの間で緘口令的なヤツが敷かれるんだが、職員室に来た奴がうっかり聞いちまったのか、生徒の間でも広まっちまってるっぽいんだよ」
「えっと……つまり?」
「お前、同級生からカンニングしたクソ野郎だと思われてる」
「あぁ、そうなんですか」
率直に抱いた感想を言葉にすると、音切先生は意外そうな顔をする。何かを予想していてそれに身構えていたのに、何も起こらなくて拍子抜けしている。俺が怒ると想像していたようだ。
「おいおい。さっきとは随分反応が違うな。俺に疑われたときはキレてたのに」
「同級生にやーやー言われるのは、まぁどうでもいい訳じゃないんですけど、そこまで気にならないって言うか」
「同級生に疑われる方がむしろ嫌じゃないか?」
音切先生は釈然としない様子で、眉をひそめて俺の顔を見ている。これは純粋に俺のことを心配してくれているんだろう。先生、だらしないし目つきも悪いから誤解されやすいけど、良い人だから。
「こういうので騒ぐのって、たいてい正義感だけ強いバカか赤点スレスレの落ちこぼれに実力で負けたことが受け入れられない奴らですよね? 俺オタクだからそういうの好きなんですよ。実力は本物なのに誰にも理解されない天才キャラになった気分になれる」
「そのシチュは俺もちょっと好きだけどさ、それは漫画とかアニメだからであって、現実だったら死ぬほどしんどいぞ。あと前半の発言普通にアウトだから絶対他所で言うなよ」
「顔に出たらすみません」
「おい」
音切先生は諦めたように笑う。同じオタクだから、音切先生のことは結構好きだ。他の先生だったらこうはいかない。
「とにかく、先生方の間で俺の疑いが晴れるならそれでいいです。同級生からの視線については……日頃の行いが悪いとこうなるってことで、授業料として受け取ります」
「しんどくなったらすぐ先生に言えよ?」
「考えときます」
「考えるな。吐け」
「流石に強引すぎません?」
「当たり前だ。お前最近兄ちゃんに似てきて危なっかしいんだよ」
「……はい?」
兄貴に?
「俺は三年間ずっと太陽のクラスの担任だったからな。アイツのことはそれなりに知ってる。だからこそ言わせてもらうが、アレは筋金入りの噓吐きだ」
「噓つき?」
「兄ってのはな、何があっても弟の前では兄でいたいんだ。そのためなら平気で嘘をつく」
先生は溜息を吐いた。俺の目には、先生が嘘を吐いているようにしか見えなかった。
「兄貴は噓を吐くような人じゃないですよ」
「他人の噓は案外見抜けないもんだ。噓を吐くのは悪人だけじゃない。むしろ善人の方が噓を吐く。それを俺に教えたのは太陽にほかならない」
「それ自体が嘘の可能性もありますよね?」
「どう受け取るかはお前次第だ。それ以上は俺は何も言わない。特に、本人が聞いてるところではな」
そう言って音切先生は机の上に置いていたマグカップの中身を飲み干した。
「お前は
♢
音切先生が言ってたとおり、教室に帰る途中、廊下を歩いていると多くの生徒から遠巻きに視線を向けられた。見るだけの人もいれば寄り集まってひそひそ何かを話す人もいた。後ろ指をさされているのは言うまでもないだろう。
教室に入った瞬間、騒がしかったクラスがミュートをオンにしたみたいに静まり返った。クラスメイト達が一斉にこちらを向く。きっとさっきまで俺のカンニング疑惑で盛り上がっていたんだろう。嫌悪か嘲笑、あとは不安だったりそもそも無関心だったり、俺の登場に対するリアクションは人それぞれだった。
教室に入り、自分の席に座る。みんな俺の一挙手一投足に目が離せない様子で、着席するまでジッと見つめられた。
「どうだった?」
席に着いた俺にそう尋ねてきたのは隣の席の月谷だった。特に交流などしていないが、大方話しかけてきた理由はただの好奇心だろう。顔がニヤニヤしている。
「したの? カンニング」
「やる訳ねぇだろ」
「ほんとかなぁ~。皆やってると思ってるぜ?」
「俺に言われても知らん。バカの嫉妬だろ」
周りに聞こえないように言う。それがよほど面白かったのか、
「三葉ってそういう奴なんだな。意外だった」
「どういう意味だよ」
「もっと陰気臭いヤツだと思ってた。ほら、いっつも一人でいるだろ? だから陰キャなのかなって」
「うわナチュラルに失礼」
俺が陰キャなのは否定しないけども。それにしたってもっと遠慮ってものをだな。
「あそうだ。僕、
月谷が思い出したように名を名乗った。
「は? なんだよ急に」
「こうして話すの初めてじゃん? だから自己紹介しとこって。ほら君も。カモン」
月谷は笑いながら人差し指を上に向けて手招きした。
コミュニケーション能力が高いヤツ特有の、さっさと懐に忍びよってくるこの感じ。いきなり話しかけてきたかと思えば罵倒するでもなく、俺の容疑など素知らぬ顔で接してくる。普通ならまだしも、今のこの状況で俺に話しかけてくる意味が分からない。
「お前バカだろ? 今俺に話しかけることの意味分かってる?」
「知らね。だから話しかけてんだよ」
月谷は冗談めかしくそう言った。
今まで出会ったことが無い手合いだ。だからこそ分からない。
なんで俺に話しかけてきた?
なんで俺を疑わない?
一体何を企んでる?
「……
分からない。理解できない。いつのまにか流れを掴まれている。何を考えているのか何も分からない。だから流れに逆らおうにも、どうすればいいのか分からない。
「おっけー普ね。それじゃこれからよろしくー」
月谷から突き出された拳。流石にコレの意味は分かる。俺の拳を待っているんだ。小さい頃、兄貴と一緒にゲームをしていたときによくやった。二人で力を合わせてボスを倒したとき、滅多に手に入らないレアなアイテムを手に入れたとき。そうやって喜びを表現した。
だから分かる。これは仲の良い相手とやることだ。少なくとも、俺と月谷の関係性には当てはまらない。意味があるとは思えなかった。
「……よろしく」
悩んだ末、俺は諦めて月谷と拳を突き合せることにした。
改めてやってみるとコレ結構気恥ずかしいな。なんで今日初めて喋った奴とこんなことしてるんだ?
………………それでも、悪い気はしなかった。
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