第21話

 人生には、自分の意思とは関係なく、とんでもない場所に連れて行かれる瞬間というものがある。


 例えば、強引な客引きに連れ込まれた居酒屋とか、上司に無理やり同行させられた接待ゴルフとか。そして今、俺が立っているこの場所も、間違いなくその類だった。


「……すごい」


 俺は思わず、感嘆の声を漏らした。目の前に広がっているのは、映画のセットと見紛うばかりの壮大な空間だった。床は磨き上げられた黒曜石でできていて、歩くたびにカツカツと硬質な音が響く。


 高い天井には、シャンデリアの代わりに巨大な骨格標本が吊り下げられ、壁には禍々しい剣や槍がインテリアとして飾られている。


 そして正面奥には、一段高い場所に鎮座する、これまた立派な漆黒の玉座。どこを見ても、細部まで作り込みが半端ない。


「最近のテーマパークは気合が入ってますねえ。まるで魔王の城みたいだ。これ、どこのアトラクションですか?」


 俺が尋ねると、隣に立っているベルが、見たこともないほど挙動不審になっていた。


「あ、あ……あー……」


 ベルは口をパクパクさせ、視線を泳がせ、冷や汗をダラダラと流している。


 事の発端は、ほんの数分前。いつもの公園での出来事だった。


 ◆


 その日、いつものようにベンチに座ってアンパンを食べ始めた矢先、彼女の懐から何かが激しく震える音がした。


 重低音のブブブブブ……という地響きのような音。ベルは懐から通信機らしき紫色の水晶玉を取り出すと、血相を変えた。


「しまっ……! 会議の時間を間違えておった!」


 彼女は慌てて立ち上がり、食べかけのアンパンを口に詰め込んだ。


「すまぬカズヤ! 緊急の呼び出しだ! 余は戻らねばならん!」


「え、もう行くんですか?大変ですね」


「うむ! 急がねば『転移』が間に合わぬ!」


 彼女はそう言うと、右手を天にかざし、何やら呪文のようなものを唱え始めた。


 それと同時に俺は彼女がベンチに置き忘れているものに気づいた。手提げ袋だ。


「あ、ベルさん! これ忘れてますよ!」


 俺は親切心から、その袋を渡そうとして、彼女のローブの袖を掴んだその瞬間。


 世界が反転した。


 視界がぐにゃりと歪み、ジェットコースターで急降下する時のような浮遊感が胃を襲った。


「うわっ!?」


 俺が声を上げた時には、もう遅かった。景色が一瞬で切り替わり、気がつくと俺たちは、この薄暗くて荘厳なホールに立っていたのだ。


 ◆


「……えーと、つまり」


 俺は状況を整理するために、改めて周囲を見渡した。


「ベルさんの職場って、ここですか?」


 俺の問いかけに、ベルがビクリと震えた。


「い、いや! 違う! 断じて違う!」


「でも、さっき『戻らねば』って言って、ここにワープしましたよね?」


 俺は壁に触れてみた。ひんやりと冷たく、石の感触がある。


「ち、違うぞ、カズヤ! これはその……えぇと……」


 その時、ホールの奥にある重厚な扉が開き、鎧を着た兵士たちが数人入ってきた。彼らは俺たちを見つけるなり、槍を構えて叫んだ。


「貴様ら何者だ! ここは魔王城の玉座の間ぞ! 侵入者か!?」


 魔王城。玉座の間。なるほど、そういう設定か。


「ひっ! しっ! ししっ!」


 ベルが短く何度か悲鳴を上げた。兵士たちの剣幕に怯えている……わけではなさそうだ。


 どちらかというと、「余計なことを言うな」という顔で口元に人差し指を当てたまま兵士たちを睨んでいる。


「ああ、わかりましたよベルさん」


「わ、わかったのか!?」


「ここ、演劇のセットですね?」


 俺がポンと手を打つと、ベルはポカンと口を開けた。


「え……えんげき?」


「はい。職場の出し物か何かでしょう? 市民ホールの演劇大会とか」


 俺の推理に、ベルは一瞬呆然とした後、猛烈な勢いで首を縦に振った。


「そ、そうじゃ! その通りじゃ! さすがカズヤ、察しが良いな!」


 彼女の声が裏返っていた。


「これは……そう、『魔王と勇者の悲恋』をテーマにした、我が部署の渾身の大舞台なのじゃ! 市民に向けた、職員手作りのな! 余はここで、その……魔王役をやらされておってな!」


「へえ、ベルさんが主役ですか。大抜擢じゃないですか」


「う、うむ。まあな。ほら、余は普段から威厳があるから」


 自分で言うところが可愛い。俺は兵士役の人たちに向かって会釈をした。


「お邪魔してすみません。ベルさんの友人のカズヤです。セット見学させてもらってます」


 兵士たちが「は?」という顔で固まった。


「べ、ベル……? 貴様、我らが偉大なる魔王様を、そのような気安く……」


「ええい、控えよ!」


 ベルが突然、ドスの効いた声で叫んだ。


「この者は……そう、余が招待した『特別演技指導員』じゃ! 無礼な口を利くと、給料を減らすぞ!」


 兵士たちがビシッと直立不動になった。


「し、失礼いたしました!」


 すごい。完全に役に入り込んでいる。俺は感心しながら、玉座の方へ歩いていった。


「それにしても、よくできてますねえ。この玉座とか、座り心地よさそう」


 俺が何気なく玉座に腰を下ろす。ふかふかのクッション……ではなく、冷たくて硬い石の感触。でも、背もたれの角度が絶妙で、意外と悪くない。


「ふー。王様気分ってやつですね」


 俺が玉座で足を組むと、ホール中の空気が凍りついた気がした。兵士たちが目を剥き、顎が外れそうなほど口を開けている。ベルは顔面蒼白で、額に手を当ててよろめいていた。


「カ、カズヤ……そこは……その……なんというか……だな……」


「あ、すみません。大事なセットでしたね。壊したらまずいか」


「い、いや……よい。お主なら……よい」


 ベルは力なく呟くと、俺の隣――玉座の肘掛け部分に、ちょこんと腰掛けた。


「……観客がいない今のうちに、少し休ませてもらおう」


 彼女はそう言うと、俺の肩に頭をもたせかけてきた。


 おいおい、兵士さんたちが見てるよ。


 俺は少し照れくさかったが、彼女が震えているのに気づいた。やっぱり、主役のプレッシャーは相当なものなのだろう。俺はポケットから、さっき食べるのを中断したアンパンの残りを取り出した。


「ほら、糖分補給。本番前にリラックスしてください」


「……うむ。かたじけない」


 ベルはアンパンを受け取ると、玉座の上で小さく齧りついた。その姿は、魔王というよりは、舞台裏で出番を待つ緊張した新米女優のようだった。兵士たちがその光景を見て、


「ま、魔王様が……人間の男と……玉座を共有している……?」


「あのアンパン……まさか、あれが噂の『支配の果実』か!?」


「見ろ、あの男の余裕の表情……魔王城を完全に我が家のようにくつろいでいるぞ……」


 などとヒソヒソ話しているのが聞こえる。


 熱心な劇団員だなあ……


 まさか、ここが本当の魔王城で、俺が今座っている場所が、世界中の人間が恐れる魔王の椅子だなんて……あるわけないか。


「さて、と」


 俺はアンパンの袋を畳みながら言った。


「見学もさせてもらったし、そろそろ帰りますよ。ベルさんもリハ頑張ってくださいね」


「あ、ああ……そうだな。送ってやろう」


 ベルが立ち上がろうとした、その時だ。重厚な扉が再び開き、今度はベルの部下であるゼストが入ってきた。


 相変わらずの鋭い目つきに凛とした立ち振る舞い。全身から「デキる女」のオーラが出ている。


「魔王様! 緊急会議の準備が整い――」


 彼女はそこまで言って、言葉を失った。玉座に座る俺と、その隣でアンパンを食べているベルを見て、彼女の眼鏡がカシャーンとズレた。


「……き、貴殿は……公園の……!」


「あ、どうも。お邪魔してます」


 俺は座ったまま、気さくに手を振った。ゼストの顔色が、赤から青、そして白へと目まぐるしく変わっていく。


「なぜ……なぜ貴殿がここにいる!?」


「あー……ちょっと連れてこられただけで」


「連れてこられた……?」


 ベルが慌てて割って入った。


「ゼスト! えーと、その……この者は、今日の……ゲストじゃ!」


「今日のゼスト……? お呼びですか?」


「ゼストではない! ゲ・ス・トだ!」


 なんだそのコント見たいなやり取りは。


「ゲスト!? 最高機密会議に人間を!?」


「そーだ! たまには外部の視点も必要だろう!」


「……なるほど。外部アドバイザー、ですか」


 その笑顔が、なんだかすごく怖かった。誤解されている。絶対に何か誤解されている。


「面白い。では、その手腕、拝見させていただきましょうか」


 ゼストがパンと手を叩くと、兵士たちが俺を取り囲んだ。


「え、ちょ……なんですか?」


「帰れると思うなよ、アドバイザー殿」


「帰りたいんですけど……」


 ゼストは冷徹に告げる。


「会議が終わるまで、たっぷりとお付き合い願おう」


 ベルの慌て具合からして、恐らく本物の会議なんだろう。


 まぁ、話を聞く許可が出ているのだから問題ないし、役所的には一般市民の意見も大事だろうし。パブリックコメントってやつだ。


 これは、普段のベルの仕事ぶりを観察するいい機会だ、なんて考えながら兵士に先導されて会議室へと向かった。

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