第3章:過去との再会

第42話:裏切り


朝が来た。


窓から差し込む光が、部屋を照らしている。俺はベッドに座ったまま、一晩中考えていた。いや、考えることしか、できなかった。


ガロウのこと。記憶のこと。カイ大佐のこと。


『何も信じるな。お前自身の記憶さえも』


ガロウの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。止まらない。何度も。何度も。


俺の記憶は、本物なのか。

ガロウ隊は、本当にいたのか。

部隊の全滅は。

マークは。

あの、笑顔は。


「……」


頭を抱えた。考えれば考えるほど、分からなくなる。何が本当で、何が嘘なのか。


いや、もっと根本的な問題だ。俺は、俺自身を、どれだけ知っているんだ?過去が曖昧なら、俺は何者なんだ。


  *


「レオン伍長」


ミラの声が、扉の向こうから聞こえた。ノックの音。


「入っていいですか」

「ああ」


扉が開く。

ミラが入ってきた。銀色の髪が、朝の光を受けて輝いている。


「朝食を、お持ちしました」

「……ああ」


ミラは、トレイをテーブルに置いた。パンと、スープと、果物。湯気が立っている。温かそうだ。でも、食欲が湧かない。


「レオン伍長」


ミラが、俺を見た。


「昨夜から……何も召し上がっていません。少しでも、食べてください」


ミラの声は、優しかった。心配してくれている。


「……分かった」


俺は、パンを手に取り、一口噛む。パンの食感はある。温かさもある。でも、味が感じられない。


もう一口。やはり、何も感じない。


「……」


これが、心が乱れるということか。味覚さえも、麻痺する。


ミラは、俺の隣に座った。何も言わない。ただ、そばにいてくれる。


「今日……」


ミラが、口を開いた。


「カイ大佐に、会われるのですね」

「ああ」

「私も、ご一緒します」


俺は、ミラを見た。


「……すまない」

「いえ」


ミラは、首を横に振った。


「私は、あなたの味方です」


真っ直ぐな目だった。この子は、俺を信じてくれている。俺が何者か分からなくても。俺の記憶が本物か分からなくても。


「……ありがとう」


小さく、言った。


ミラは、微笑んだ。その笑顔に、少しだけ、救われた。


  *


カイ大佐の執務室。


扉の前に立つ。深呼吸。

落ち着け。怒りを、抑えろ。

真実を聞かなければならない。


ノックする。


「入れ」


カイ大佐の声が、中から聞こえた。


扉を開ける。執務室は、いつもと同じだった。シンプルな机。椅子。窓の外に広がる街並み。


カイ大佐は、窓の外を見ていた。背中を向けたまま。


「……来たか」


低い声だった。


「はい」


俺は、一歩踏み込んだ。ミラも、後ろに続く。カイ大佐は、振り返らない。ただ、窓の外を見続けている。


「座れ」


カイ大佐が、椅子を指した。俺は、座らなかった。


「……立ったままで、いいです」


カイ大佐は、やっと振り返った。いつもの、冷静な表情。でも、目が違う。何か、疲れているような。


「……そうか」


カイ大佐も、立ったままだった。


  *


「ガロウ隊長に」


俺は、口を開いた。


「会いました」

「……」


長い、沈黙。


カイ大佐の手が、微かに震えている。


「……どこで」


低い声だった。


「街で。昨日の夕方」

「……」


カイ大佐は、窓の外を見た。


「……そうか」


また、沈黙。

時間だけが、流れる。


「あなたは」


俺は、カイ大佐を見た。


「知っていたんですか」

「ガロウ隊長が、生きていることを」


カイ大佐は、振り返った。その目が、俺を捉えた。


「……ああ」


小さく、呟いた。


「知っていた」


胸が、ざわついた。知っていた。やはり、知っていた。


「では」


声が震えた。


「なぜ……なぜ、教えてくれなかったんですか」


カイ大佐は、答えなかった。ただ、俺を見ていた。


「俺は」


拳を握った。


「ガロウ隊長が死んだと、ずっと」

「生存者リストに、名前がなかった」

「だから、俺は」


息が、荒くなる。


「ずっと、死んだと思っていた」

「なぜ」


声が、大きくなった。


「なぜ、隠したんですか」

「なぜ、俺に本当のことを言わなかったんですか」


カイ大佐は、目を閉じた。深く、息を吐いた。


「……お前を」


低い声だった。


「守るためだ」

「……守る?」


カイ大佐は、目を閉じた。

深く、息を吐いた。


「……お前の記憶を」


低い声だった。


「一部、作り変えた」

「……!」


「お前が覚えている『ガロウ隊』は、存在しない」「……!」

「部隊の全滅も」

「マークという少年も」

「全て」


カイ大佐は、俺を見た。


「俺が、作り上げた記憶だ」


世界が、崩れた。


「……っ」


息が、できない。


「なぜ……」


声が、出ない。


「なぜ、そんなことを……」


カイ大佐は、窓の外を見た。長い、沈黙。誰も、何も言わない。時間だけが、重く流れる。


「お前は」


カイ大佐が、口を開いた。


「ある『罪』を犯した」

「少なくとも、上層部はそう判断した」

「罪……」

「お前は、命令に逆らった」


カイ大佐の目が、俺を見た。


「削除すべき存在を、逃がした」

「それが、お前の『罪』だ」

「……」


削除すべき存在を。逃がした。俺が。


「上層部の判断は」


カイ大佐の声が、低くなった。


「お前を、削除する」

「それが、決定だった」

「削除……」


俺の声が、掠れた。


「俺を……」

「ああ」


カイ大佐は、窓の外を見た。


「だが、俺は」


その背中が、小さく見えた。


「お前を、削除から守ることにした」

「……」


「どうやって」


俺は、聞いた。


「上層部を説得するために」


カイ大佐の声が、低くなった。


「記憶の改竄が、必要だった」

「……」


「記憶の改竄には」


カイ大佐が、続けた。


「同等の強度を持つ記憶が必要だった。だから俺は、お前に、戦場の記憶を植え付けた」

「ガロウ隊。部隊の全滅。仲間の死」

「強い記憶でなければ、封印した記憶が、蘇ってしまう」

「……」

「だが」


カイ大佐は、振り返った。その目には、苦悩が浮かんでいた。


「しかし、想定外だった」

「……え?」

「お前が、どれほど苦しむか」


カイ大佐の声が、掠れた。


「俺は、計算を誤った」

「戦場の記憶が」

「お前を、これほど苦しめるとは」


カイ大佐は、拳を握りしめた。


「お前を救おうとして」


その声が、震えた。


「結果的に、お前を苦しめた」

「……すまない」


その声は、重かった。


「本当に、すまない」

「……」


俺は、何も言えなかった。カイ大佐の想い。それは、分かる。俺を、削除から救おうとした。その想いは、本物だろう。でも。


「俺は……」


声が、震えた。


「三年間」


拳を、握った。


「偽りの記憶で、生きてきた」

「……」


カイ大佐は、黙っていた。


「救っていただいたことは、感謝します」


俺は、カイ大佐を見た。


「でも」

「許せません」


その言葉を、口にした瞬間。胸が、苦しくなった。カイ大佐は、何も言わなかった。ただ、俺を見ていた。その目には、何か。後悔のようなものが、浮かんでいた。


「……」


俺は、壁にもたれかかった。膝が、笑っている。立っていられない。


助けられた。それは、事実だ。でも、記憶が奪われた。それも、事実だ。


「レオン伍長……」


ミラの声。小さな、震える声。ミラは、そばに近づいていた。でも、何も言えないでいた。ただ、俺を見つめていた。その目に、涙が浮かんでいた。


「……」


俺は、何も答えられなかった。頭の中が、真っ白だ。


ガロウ隊は、いなかった。

マークは、いなかった。

あの笑顔も。

あの約束も。

妹に会いに行くという、あの希望も。

全部、作られた記憶。

偽物。


「……」


では、俺は何なんだ。

偽りの記憶で生きてきた俺は。

偽りの過去を背負ってきた俺は。

俺が、戦友たちのためにと思って。

必死に生きてきた、この日々は。


「俺は」


声が、枯れた。


「俺は……何なんだ……」


涙が、溢れた。止まらない。


「もう……何も……」


自分が、分からない。

俺が。

俺自身が。

呼吸が、浅い。

胸が、痛い。

世界が、揺らいでいる。

視界が、ぼやけている。

もう。

何も。


「……」


左手首が、熱かった。青いリボン。いつも身につけている、このリボン。


「……」


誰がくれたのか、分からない。いつから身につけているのかも、分からない。


記憶が、ない。


でも、このリボンだけは、外せなかった。なぜか、外せなかった。


「……」


これも、嘘なのか。作られた記憶なのか。それとも。


「俺は……」


涙が、止まらない。


「俺は……誰なんだ……」


カイ大佐の声も、聞こえない。ミラの声も、遠い。


俺は、ただ。涙を流し続けた。

止まらなかった。


  *


どれくらい、そうしていただろう。俺は、壁にもたれたまま。ただ、涙を流し続けていた。


記憶が、嘘だった。過去が、偽物だった。俺が信じてきた全てが、崩れ去った。


「俺は……」


小さく、呟いた。


「俺は……誰なんだ……」


答えは、なかった。

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