夜寝られない時に考えた話

立方体恐怖症

第1話 実話 ターニングポイントと消しゴム切断事件

 夜、夢に出てきて、起きて寝付けなくなる、そんなトラウマな事件があった。

 消しゴム切断事件のことだ。

 

 よく考えれば、この事件は私のいまだ道半ばな人生のターニングポイントでもあった。だから、うなされて起きてしまうのかもしれない。


 よくわからない事件だったし、小学校のころのなんともいえない不穏な空気をはらんだ事件だったので、話題としてよく話す。

 

 なにがあったかというと、消しゴムがばらばらに切り刻まれた。そういう事件が小学校のときにあった。


 私は消しバトという消しゴムをぶつけて机から落とすゲームが大好きで、友達と毎回の休憩時間遊んでいたのだが、授業で使おうとしたとき、なくなっているのに気づいたのだ。


 消しバトで使う消しゴムはゲームの駒である。だから、ゲーム中に見失うことはありえない。

 また、消しゴムはペンケースに入れて持ち運ぶので、きちんと片付けをした記憶があるのだ。


 なのにない。なくなった。盗まれたのだ。


 当時、クラスはほぼ消しバト友達たちをいじめる姿勢になっていた。

 味わい深いことに、私たちはなぜかうらやましがられていた、だからいじめられかけた。

 なぜ仲良し消しバトグループがいじめられかけていたのか、理由はふたつある。


 ひとつ。

 男女ともに体力差や性差が現れ始める小学校高学年。女子グループと男子グループはたがいにいがみ合いながら、しかしどちらも恋愛的に意識し始める時期だった。

 消しバトには体力差や性差が現れない。純粋に消しゴムの力で勝負するのだ。

 だから、男女混合グループだった。それが良くなかった。

 いくつかに嫉妬が混ざっていたようではあったが、ハーレムだの、ませたやつらの合コンだの、ひどい言われようだった。多くの消しバトラーは、この冷たい空気と中傷に耐えられず消しバトをやめていった。


 ふたつ。

 消しバトでは消しゴムを使う。これがルール違反じゃないか、という話になった。消しゴムは文房具。それを本来の目的と違う遊びに使うのは、学生として望ましくない、という風に。


 文房具で遊ぶなど言語道断、厳しい罰を与えよ、と、面白がったグループからいじめを受けることになった。からかわれたり、筆箱を隠されたり。実際には、先生に許可を取って消しゴムで遊んでいたのだが、後述する先生の干渉不足により、新たな「消しゴムを使うな」というルールの制定によって、消しバトへの排斥は強くなった。


 そんなこんなで、消しゴムがなくなったとき、私たちには敵がたくさんいた。

 どの勢力がいじわるをしてきたのか分からなかった。どの勢力が消しゴムを盗んでもおかしくなかった。

 先生に助けを求めた。いじめられている気がするし、いよいよ物が消えてしまったと。しかし返ってきた反応は、いじめなんてないし、ものを失くしただけなのに盗まれたと感じるのはどうかと思う。といったものだった。


 先生は役にたたなかった。だから、各いじめグループに直談判して、率直に、消しゴムのことを知らないか、と聞いた。

 面白いことに、どのグループも、疑いをかけられたことを恥じるような反応を返した。

 グループの構成員だれも、消しゴムを取っているようには見えなかった。むしろ、疑いをかけられたのがうざいから、という理由で消しゴムをとった犯人を捜す手伝いをしてくれるものもいた。


 私が犯人ではないかと目をつけたのはある女の子だ。

 どのグループにも属していなかった。消しバトにもある程度好意的だった。


 消しゴムがなくなった、という話をすると、ああ、あの消しゴムでしょ、消しゴムを貸そうか?と誇らしげに自分の消しゴムを見せてきた。

 消しバトに必要なんでしょ、この消しゴムとか強そうじゃない?強さ見てみてよ。と言って見せてきた多くの消しゴムの中に、私の消しゴムの『かけら』を発見した。


 胸がぎゅっと苦しくなった。ともに消しバトで戦い抜いた戦友の消しゴムは、無惨にもはさみでカットされて、細切れの、別の形の消しゴムへと変貌していた。


 心臓の音がうるさくなる中、「失くした消しゴムと似ているけど、どこで買ったのか教えてはくれないか」と聞いた。

 すると、相手は「そんなもの知らない!変なこと聞くなら消しゴムは貸さないから!」と言ったのだ。動揺し、消しゴムを見せてくれなくなった。

 この反応から、私はこの子が黒だと、消しゴムを盗んだ犯人だと判断した。


 まず、私の消しゴムのかけらを持っている時点で限りなく黒に近い。だけど、それだけでは断言できない。「拾った」などと言う可能性があるからだ。

 だからカマかけをする。どこで買ったのか、それ私のに似てるけど?と言うことで、怪しんでいることを伝え、正しく答えられなければ犯人だと断定される質問を投げかける。

 ちなみにこの消しゴムはおじいちゃんのプレゼント、かなり昔のものなので、おそらく当時売っていない。「どこどこで買った」と言えばその時点でアウト、取り乱してもアウト、と思って鎌をかけたが、その子は取り乱した。

 疑われていることから逆切れするのならまだ分かるが、その消しゴムはまぎれもなく私のもの。弁解をすることなく隠したことで、疑いは確信に変わった。

 先生に言ってもなんの反応も帰ってこない。だから、強硬手段に出た。


 さきほど、疑っていることを伝えて、協力を申し出てくれた少し敵対しているグループの子と、机の中、筆箱の中、すべてを取り調べすることにした。

 すると、筆箱から、お道具箱から、さらには机の下からも、細切れになった消しゴムがばらばらと出てきた。すべてのかけらは合わせるとひとつになった。しかし、もうもとの消しゴムには戻らない。

 ご存じだろう、小さくなった消しゴムは消しゴムとしてあまり使えなくなるのだ。その消しゴムの消しバト人生と消しゴム人生はこの盗難事件により失われたのだ。


 つまり、黒だった。彼女は、私の消しゴムを見て、何を思ったか奪い、ばらばらに切り刻んで自分のものだと主張していたのだった。

 なぜかはわからない。ただ、ふたつの説がある。


 ひとつ。うらやましかったから。

 男女混合で遊べるグループは消しバトグループだけだった。混ざりたいけど、強い消しゴムを持ってない。だから盗む。かっこよくはさみで造形する。それをあろうことか盗んだ本人に強さを鑑定してほしいと言うのだから、小学生らしい考えというべきか。


 ふたつ。濡れ衣説。

 上記の説で消しゴムをばらばらにしているのはあまりに稚拙。だから、敵対グループが切り刻んだものを、机に押し込まれたという説もある。しかし、問いかけに動揺した時点で盗んだものだという自覚があるということなので、無実、白とは言えない。


 先生に、証拠がほらここにあります、この子が消しゴムを盗んでいたんです、と教えた時のあの発言を私は一生忘れない。


 私は、先生として仲裁に入るとか、個人で面談してもらうとか、そうした対応を望んでいた。もともといじめがない、とは言えないクラスだった。しかし、いじめへの介入を、無惨な姿になった消しゴムにショックを受け、始めてくれないかという甘い考えを持っていた。消しゴムを切り刻まれたのは悲しい。だけどそれ以上に、これで先生が動きだすはず、という望みをかけていたのだ。


 先生は、ただ、私の腕をつかんで、

「壊されて嫌なものは学校に持ってこないでね」

と言ったのだった。


 いじめの存在、被害者と加害者の存在、それらを認めたうえで、「被害者になったのが悪い」と言っているようなものだった。

 私はこの時から先生、ひいては大人への不信を強めていった。

 そして、こんな干渉のできない大人になりたくない、能力のある、いじめを監督できる先生の集まった場所で教育を受けたい、という気持ちが、私を中学受験へ踏み込ませた。


 このようなことがあり、また、消しバトブームが去りつつあり、グループからのいじめ、先生の不干渉、これらのことが重なって消しバト文化は潰えた。最後まで私は先生からいじめを止めてもらえることを望んでいたが、無理だった。


 今も考えるのは消しゴムを盗んだあの子のことだ。グループに属していなかった。あのあとどうやって暮らしていったのか、私にはわからない。怖くて、近づかなかったからだ。

 また、本当に盗んでいたのか、盗んでいた理由は私の考える通りなのかもわからない。

 本当は仲良くしたくて、そのあまりに、というなら何か対話でうまくいったのかもしれなかった。

 しかしあの時の私は、理解を超えた稚拙な消しゴム盗み、そして切り刻む、その行動に恐怖し近づかなかった。そして中学校は別々になり、疎遠になった。中学受験に合格したからである。

 中学受験の進学先で、私はしっかり教育を施され、大学受験までできた。もし中学校で受験をしていなかったら、私は今も消しバトやらで遊び続ける高校生だったかもしれない。


 いわば人生のターニングポイントであった彼女に、会って話をしたいような、会いたくないような、である。

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