龍痣の少女と断罪の双子

ヤニコチンタール人

第1話 「十歳の誕生日に、世界が燃える」

 ヴァルメリア帝国――

大陸で最強の国力により、統一を果たした覇権国家である。


 皇都の石造りの大通りは軍旗で埋まり、司法と軍の秩序が天と地を分けるように支配していた。帝国の名の下に、法は力を得て、力は法を正当化する。どのような犯罪者、犯罪集団をも捕縛、抹殺するのがこの国の司法である。そんな国の心臓部には、《司法局シアリー》が冷徹に座している。


 更にそこで選ばれし最強の十人だけが与えられる序列――《断罪ジャッジ・十環ランカー》という称号。制度に背くもの以外は、身分がいかに高くても、血筋がいかに重くとも、序列の前には平等。強さだけが通用する世界である。


 ゼラントス伯爵家は、帝国北端の山間に屋敷を構える古き名門だった。代々、《司法局シアリー》へ実力者を輩出、その名は誇りであり呪いでもあった。

伯爵家の談話室には十環の紋章が飾られ、家中の者はいつしか「裁き」を家の延長と認めて暮らしていた。



「はぁ…はぁ…」


「ハァ…ハァ…」


 朝の冷気が走る庭で、二卵性の双子である、アイク・ゼラントスとヤマト・ゼラントスは共に剣を繰り返し振るっていた。


 兄アイクは銀白の短髪、切れ長の淡青の瞳。弟ヤマトは黒髪でやや長め、感情の出やすい大きな瞳をしている。

並べば対照的で、外見だけでは双子とわかるものはいない。



 木剣は風を斬る音を立て、汗が額から一筋落ちる。

二人は苦しそうに息を切らしながらも笑っている。


「二人ともそんな程度で倒れているようでは《断罪ジャッジ・十環ランカー》にはなれんぞ」

叱咤激励をするのが父セオドール・ゼラントスである。


「もう一度、足を入れろ。刃の角度を変えろ」

セオドールは淡々と指摘し、木剣を合わせて見せる。


 明日で十歳になる二人では膂力の差がまだまだある。


「そんなに厳しくしなくてもいいのになぁ……」

「それにアイクは強すぎるんだよ!!」

ヤマトがふうと漏らすと、アイクは短く笑った。


「ここで手を抜いたら、明日の十歳の意味がないだろう」

「まだ父上には敵わないし、力の効率的な使い方はヤマトの方が上だろ?」

アイクが微笑む。


「そもそも、力の使い方以前に身体能力で劣りすぎて……」

「でも、アイクと一緒なら……俺、もっと強くなれる気がするよ」

ヤマトの顔はどこか誇らしげだ。


「なら、やるしかないな。俺たちは《断罪ジャッジ・十環ランカー》を目指しているんだから」


 ゼラントス家の庭から遠くを望めば、帝都の中心にそびえる《ふう律塔りつとう》が見える。

天を貫くような白銀の塔。

その頂には、律が渦巻く空間――《だん律球りつきゅう》が浮かんでいる。


 塔は、かつて龍が律を裂いた記録の上に築かれた。

世界が崩れかけたその時、帝国は律を封じるためにこの塔を建てたという。

今では、《断罪ジャッジ・十環ランカー》の序列戦が行われる舞台でもある。

アイクとヤマトが目指す頂――それは、あの塔の最上層にある。

 

「あれを見るとやる気がでてくるな」

ヤマトの声も大きくなる。


 その後も昼は盾打ち、午後は走り込み。木剣の連打で腕は震え、夜には父の小言が筋肉痛の慰めになる。訓練は遊びではなく、いつか本物の刃を握るための反復だった。


 その夜、家族で祝杯を囲む。ケーキの上に立てた蝋燭を、アイクとヤマトが同時に吹き消す。

「明日、教会でスキルのこと教えてくれるんだろ? 楽しみだな!」

ヤマトの瞳がきらりと光る。


 母であるエレオノーラ・ゼラントスは微笑み、末妹であるカレン・ゼラントスを抱き寄せながら頷いた。

五歳の末妹カレン。深い紅茶色の長髪が腰まで落ちる小柄な少女だ。


しかし、妹のカレンのことで家族以外には言えない秘密がある――


「そうよ。あなたたちの力のこと、スキルの話を聞くのよ」

アイクは短く肩をすくめる。声は抑えているが、どこか弾んでいた。


「やっと、だな。十年の稽古が報われる気がする」

ヤマトがにやりと笑う。

「アイクより先に俺が《断罪ジャッジ・十環ランカー》になったら俺皆に自慢するぞ!!」


 アイクは小さく笑い返し、テーブルの向こうで眠そうにしているカレンの背中に視線を落とした。暖炉の火がゆらりと揺れる中、三人の未来はほのかに明るかった。


「今夜は月がないな」

セオドールの低い声が暖炉の火を揺らす。短い沈黙の後、母エレオノーラが囁く。

「余計なことは言わないで。カレンのことは誰にも――」


 カレンの背中には龍の形をした痣がある。布をめくれば黒い線が背骨に沿って龍を描き、光の下で微かに波打つ。屋敷では「不吉の印」と囁く者もいれば、「贄(にえ)の印」と嫌う者もいた。


 だがゼラントス家が選んだのは隠蔽だった。痣を持つ者を外に出さず、目立たぬように暮らさせること――それが最良の守りだと信じていた。


 龍の痣は伝承に織り込まれている。数百年に一度、龍の痣を持つ者が生まれるという。古歌や戒書は言う。


 龍は「律を変えるもの」であり「力の象徴」となっている。

その龍痣は律を切り崩す因子を宿し、稀に律の改変を引き起こして大災厄を招くことがある。


 だからこそ司法の紋章に龍が刻まれているのだ。痣は迷信で片づけられない、長い恐怖の歴史を抱えていた。


 そして、その九月の夜――本来なら双子の十歳の誕生日は、静かな祝宴と翌日に予定された教会での儀式で終わるはずだった。

能力が目醒めるとされる十歳の節目に、教会はスキルを告げ、スキルの使い方の初歩を授かる。


 だが、その「翌日」は来なかった。



 そして、その夜――


 隠されていた秘密は裂かれた。誰かが情報を売り、痣の所在は《司法局シアリー》へ伝わった。伝わったのは決して噂ではない。

断罪ジャッジ・十環ランカー》の序列一位、“グラヴィス・レーン”の名が指名されたのだ。皇帝から出された。


司法局シアリー》は独立している機関、ましては《断罪ジャッジ・十環ランカー》序列一位に要請を出せるのは皇帝しか存在しない。


 帝国がもっとも恐れるのは「律の破壊者」とも伝えられている龍の痣を持つ者であり、序列一位が単身で動くということは、帝国が最高位の裁定を以て処理する意志を示すことだった。


 夜半。風は冷たく、屋敷の外に立つ影が大地を削るように動く。まずは呼び鈴の音。次に石の扉を引き裂く轟音。断罪の一撃は静かに、だが確実に侵入してきた。


 彼らの力は伝説が語るよりも冷酷だった。家屋を裂き、裁定の風が窓を震わせる。使用人たちが叫び、両親が剣を取る。だが相手は強力な術式と剛腕を一身に備えた序列一位グラヴィス・レーンだ。短時間で抵抗は打ち砕かれた。


 二人が窓辺に立ち、黒い影を見据えた。幼い瞳にはまだ確かな判断が残っている。屋敷のあちこちから聞こえてくる悲鳴。父の声、母の叫び、使用人の悲鳴が響く。二人は妹のいる部屋へと駆け出した。


 部屋に入るや否や

「カレン、逃げるんだ」

ヤマトが叫ぶ。その声が震えていた。


 扉の向こう、薄暗い寝室でカレンは丸まっていた。背の痣が今夜に限って赤く滲み、光の下で脈打つように見える。息は浅く、目は怯えに揺れていた。


「お兄ちゃん……こわい……」


「大丈夫。俺が守るから。アイクもいる。だから……!」


「みんなは?逃げないと…」

不安な声がカレンから出る。


「ヤマトについていけば間違いないよ」

優しく微笑むアイク。


 アイクの言葉を聞くと

「頼む…」

それだけ言うとヤマトは彼女を抱き上げ、屋敷の裏手へと走り出す。


「任せろ。」

しっかりと返事をするアイク


 そこに両親も駆けつけ、対応を逡巡した。

「そうか…カレンはヤマトが連れて行ってくれたか。この襲撃は間違いなくカレンが狙いだ。」

父がそういった直後。


 扉が破られ、炎が床を舐め、叫びが夜を裂く。屋敷の者たちは身を呈して、時間を作るために倒れていっていた。その一つひとつの喪失が、アイクの胸に重くのしかかる。


 そうしてアイク達の前に序列一位、グラヴィス・レーンの前に現れた。

ヤマトと同じく黒髪ではあるがフードを被り逆光のため表情は読めない。

そして父と比べても圧倒的な雰囲気を纏った感覚を初めて体感する。


「それでも、俺が家族を守るんだ」

アイクは静かに呟き、剣を構えた。


 セオドールは、アイクが一歩踏み出すその背中を見た瞬間、胸の奥がざわついた。

(……こいつは、本当に恐ろしいほど強くなった。あと数年もすれば、私を越えるだろう) 誇りと、そして父としての焦りが入り混じる。

だが今は――守るべきは息子ではなく、息子の未来だ。


 そして、そのときだった。


 刹那の間に背後に移動したグラヴィスが一瞬で迫る。アイクが振り返るより早く、黒い影が跳ねた。


「アイク、下がれ!」

父セオドールが叫び、アイクの前に飛び出す。


 鋼のような腕が振るわれ、セオドールの剣が砕けた。

「ぐっ……!」

「アイク、家族を頼む……」

そして、そのまま壁に叩きつけられ、動かなくなる。


「あなた……!」


 母エレオノーラが駆け寄り、アイクを庇うように立ちはだかる。

「この子たちに、指一本触れさせない……!」


彼女の掌から放たれた光が、グラヴィスの足を一瞬だけ止めた。

だが、次の瞬間――


「無駄だ」

グラヴィスの手刀が閃き、エレオノーラの胸を貫いた。


「母さん……!」

アイクの叫びが、炎の中に吸い込まれる。

 両親が倒れたその瞬間、アイクの中で何かが弾けた。

空気が震える。制御のぎこちなさを押し隠すほどの力が放たれる。


 そして――アイクの瞳が、龍のように金色に光った。

淡青の瞳が一瞬で輝きを変え、炎の中で異質な光を放つ。


 龍眼が発現すると、まるで守護の鐘が鳴るように――「リーーーン…」と響き渡った。


 グラヴィスの目が細くなる。

「……目が金色に?律の干渉か……いや、これは……」



――《至高スプリーム法典・コード》――



「なんだ?……スキルが発動しない?」

今まで起きたことがない現象に僅かに動揺するグラヴィス。


 アイクは落ちていた剣を拾い、踏み込んだ。

剣戟の嵐が部屋を引き裂く。足の運び、刃の角度――それは幼い頃からの稽古で刻まれた動きだった。

グラヴィスは一歩引き、静かに構え直す。


「なるほど。いい動きをする。……ならば、試す価値はある」

剣が交差する。火花が散り、空気が裂ける。

アイクの動きは荒削りながらも鋭く、グラヴィスの表情にわずかな驚きが走る。


「チッ…」

「スキルが使えないのは不便だな」

そう呟いた。見るとフードの一部が切れていた。


 本来なら、十歳の節目はただの節目ではなかった。ゼラントス家では「目覚め」に備え、子供たちには幼少期からの訓練が課されていた。その訓練が今輝き増している。


「……お前は、面白い」

「やろうと思えば、今ここで仕留めることもできる。だが――」


(こいつを仕留めるのは多少時間がかかりそうだ、この時間でおそらく娘は逃げ切るだろう……)

グラヴィスは剣を下ろす。


「アイク・ゼラントス。お前はいずれ《断罪ジャッジ・十環ランカー》に名を連ねることになるだろう」

その言葉を残し、彼は静かに背を向けた。


「依頼を遂行するかどうかは、俺が決める。今は……見逃してやる」

アイクは力が抜け、膝をついた。

金色の光がゆっくりと瞳から消え、元の淡青に戻る。


「……父さん……母さん……」

炎の匂いが鼻を突き、耳にはもう誰の声も届かない。



 その間、妹を抱え、ヤマトは全力で走った。足元の石畳が揺れる。背後では屋敷が崩れ、叫びが夜を裂いている。


「――カレンを連れて行けば、このまま二人で逃げ切れる確率は全滅確率99.8%」

激しい頭痛がヤマトの思考を打ち砕く。脳裏に、知らない世界の戦術シミュレーターの数値が、赤く点滅する警報のように表示された。



――《記憶メモリ・階梯アセンド》――


「なんだ、これは?スキルなのか?」

脳内に刻み込まれるように浮かんできた。

初めての感覚に一瞬だけ戸惑うヤマト。


「アイクは、今、カレンに意識がないからこそ戦えている。もし俺たちが捕まれば、アイクは必ず動揺し、全滅確率100%。この状況を打破する唯一の生存ルートは……カレンを単独で安全な場所へ流すこと。」


「この川を利用すれば、生存確率15%。だが、他に解はない」


 ヤマトは冷徹な結論に従い、恐怖で震える感情を無理やり押し殺した。

その瞳に映るのは、燃える屋敷でもなく、ただ数値化された「最適解」だけだった。



「もう少し……もう少しだから……!」

息を切らしながら、ヤマトは自分に言い聞かせるように呟いた。


 川辺にたどり着くと、隠してあった小舟が揺れていた。

ヤマトはカレンをそっと乗せる。彼女の小さな手が、必死に兄の服を掴んでいた。


「カレン、すぐに迎えに行くから」

ヤマトは息を荒くして言う。声が震えていた。

振り返れば襲撃者がいついるかわからない状況だ。


「嫌っ!! お兄ちゃんたちと一緒がいい……!」

カレンは涙を浮かべ、首を横に振る。


「大丈夫。絶対に迎えに行く。だから……信じて」

ヤマトはその手をそっとほどき、舟を押し出す。


「やだ……やだよ……!」

カレンの声が夜に溶けていく。


 舟が流れに乗り、ゆっくりと遠ざかっていく。

ヤマトはその場に立ち尽くし、拳を握りしめた。振り返ると、屋敷はすでに大きく燃えていた。炎の匂い、血の味、そして突如襲った異様な疼き。


「……父上、母上、アイクどうか無事でいてくれ……」

なんとか妹を逃がし、即座に屋敷へ戻っていく。


 近くで見た屋敷は灰と化し、父と母、使用人たちの声は空に消えた。残されたのは幼い双子と逃げ延びている末妹だけだった。


 だが世界の奥では、より大きな波が揺らぎ始めていた。龍の痣の存在が露見したことで、帝国の秩序には小さな亀裂が入る。

やがてそれは大陸の均衡へと影を落とす。

誰もまだ知らない。数百年に一度の「律の変化」が、これから世界を揺るがす足音になることを。


「アイク!!」

命からがら炎に包まれる屋敷から逃げ出し意識を失っているアイクを見つけるヤマト。


「生きている。」

脈があることを確認し安堵するものの、生存者が他にいないことを薄々感じてしまう。しかし襲撃者の姿は見えなく安堵するヤマトであった。


 燃え残る屋敷の前でアイクを抱き、空を一度だけ見上げた。炎が夜を赤く染める中、彼は静かに呟く。


「もう、誰も……目の前の人を傷つけさせない。」

その言葉は、後に彼らを――そして世界を――別の軌跡へ押しやることになる。

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