香る記憶
晩御飯にリビングへ降りると、部屋がいつもと違う香りで満ちていた。線香のを強めたようなその匂いに、初めは良いなと思ったが次第にくどく思えて――、鼻の奥に留まるその臭いはもう私の中で不快になっていた。食事すら美味しくなくなった。
「芳香剤変えたの?」
と訊くと母はコクリ頷いた。だから私は、
「できれば前のにして欲しい」
と頼んだ。すると母は、
「今のが終わったらね」
とごまかすように笑った。
ああ、多分母もあまり良い匂いだと思っていないんだと、その笑顔が語っていた。
香りは感情に結びつく。だから記憶にも結びつく。
柑橘系の制汗剤の香りは、あの日の高揚を思い出す。あの日の鼓動を、呼吸を、体温を呼び起こす。
ストーブの石油の香りは、あの日の苦悩を思いだす。あの日の力みを、涙を、痛さを呼び起こす。
だからきっと、今日のこの芳香剤の香りもいずれ、母親の微妙な笑顔と何気ない食卓を思い出させるのだろう。
――風呂上がりのドライヤー。
吹きつける風に乗ってシャンプーの香が自分の髪から流れてくる。
この香りもまた、私にはたくさんの思い出が詰まっているし、これから詰まっていく。
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