第12話 馬車の中で
朝の空気は、少しだけ冷たかった。
屋敷の正門前には、すでに馬車が用意されている。
帝都へ向かうための、正式な旅支度だ。
護衛の騎士が数人。
そして、父とマアヤ。
「……いってくる」
マアヤは、屋敷の玄関を振り返った。
そこに、リリーの姿はない。
別れが辛くなるからと、母が部屋で待たせている。
それでも――
胸の奥に、確かな重みが残っていた。
マアヤは馬車に乗り込む。
父も向かいの席に腰を下ろした。
扉が閉まり、
馬の蹄が地面を蹴る。
屋敷が、少しずつ遠ざかっていった。
馬車の中は、静かだった。
揺れは穏やかで、
車輪の音が一定のリズムを刻んでいる。
父は、しばらく外を眺めていたが、
やがて視線をマアヤに向けた。
「……マアヤ」
「はい」
「お前は、なぜそんなに強くなろうとする?」
唐突な問いだった。
だが、マアヤは驚かなかった。
いつか聞かれると思っていた。
五歳から訓練に参加し、
七歳になった今も剣を振り続けている。
理由を問われないはずがない。
マアヤは、一度だけ息を整えた。
「……リリーを」
短く言ってから、はっきりと続ける。
「守るためです」
父は、すぐには何も言わなかった。
「妹、か」
「はい」
それ以上、言い訳はしない。
父は、しばらく考えるように黙り込み、
やがて低く言った。
「貴族はな、守られる側だ」
それは、この世界では一般的な考え方だった。
「前線に立つのは騎士であり、兵だ。
血を流すのは、役目の者だ」
マアヤは、父を見た。
「……それでも」
幼い声だが、言葉は揺れない。
「守る力があるなら、
使わないと意味がないと思います」
父の眉が、わずかに動いた。
「守られるだけの貴族は、
民にとって負担になるだけです」
父は、マアヤをじっと見つめた。
怒りはない。
否定もない。
ただ、試すような視線。
「……リリーを守るためなら」
父は、ゆっくりと続ける。
「お前は、自分が傷つくことも厭わないのか?」
その問いに、マアヤは即答しなかった。
一瞬だけ、
夜に泣きそうになっていたリリーの顔が浮かぶ。
「……はい」
それだけで、十分だった。
父は、目を閉じ、深く息を吐いた。
「そうか」
そして、小さく笑った。
「不思議な子だな、お前は」
だが、その声には、
どこか誇らしさが滲んでいた。
「守る理由が、人であるなら……
剣は、きっと折れにくい」
父は、外へ視線を戻す。
馬車は、帝都へ続く街道を進んでいく。
マアヤは、膝の上で拳を握った。
(……行ってくる)
リリーに。
屋敷に。
帰る場所に。
必ず、帰る。
馬車は、朝日に照らされながら、
静かに帝都へと向かっていた。
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