雪の娘 2-1


     2


 市街を抜ける頃になって、ようやく哲夫は運転の勘を取り戻した。


 就職に備えて免許は取っていたが、結局、自前の脚と電車で足りる経理職だ。自家用車を持つほど働きはなく、レンタカーを借りるような贅沢も、ほとんどしたことがない。


 深夜とはいえ、幹線道路の交通量は少なくない。

 哲夫自身、冷や汗をかくような場面も何度かあったが、助手席の美津江は顔色ひとつ変えず、思いつめた瞳を、じっと正面に向けたままだった。

 前を見ているわけではあるまい、と哲夫は思った。おそらく、ずっと後ろを見続けているのだ。


 信号待ちの間に、哲夫は訊ねた。

「……草間に惚れてたの?」


 屋敷にいた間は、動転しながらもしっかりと御家大事につかえている気丈な娘に見えていた彼女だが、薄暗いルームランプの下では、どこにでもいるような、はたち前のもろい少女に見えた。


「……そんなんじゃありません。どうしてですか」

「なんとなくね。第一、目の前で主人が若旦那に斬り殺される、若奥様は風呂場でお湯になってしまう――普通ならとっくに逃げだしてるところだ」


「あんな人、主人でもなんでもありません。死んで当たり前の人です」

 美津江はあっさりと言い捨てた。

「前からも時々、若奥さんにいやらしいこと言ったりしてたんです。私、知ってるんです。ついこの間だって……。若旦那様は当たり前のことをしたんです。惚れてるなんて、そんなんじゃありません」


 やれやれ、この子もテレビの必殺物を見て育った口か、と哲夫は思った。しかし、むきになって草間への心情を否定しているところなど、まだかわいらしい。


「私、やっぱり戻ります」

 哲夫は聞き流して、車を発進させた。

「それは草間が望まないと思うよ」

 美津江は答えず、それきり黙りこんでしまった。


 やがて草間に教えられた、美津江の実家のある町に入った。

 外房線のターミナル駅に近い商店街だったので、幹線道路の標識に従い、迷わずにたどり着けた。


「そろそろ降りてもらうよ。このあたりでいいのかな」

 哲夫は車を歩道に寄せた。

「私、降りません」

 小さいが断固とした声だった。


「やれやれ」

 哲夫は溜め息混じりに言った。

「これ以上君につきあってる暇はないんだがな」


「お願いです。連れてってください。奥さん、本当にお化けだったんですか。森本さん、本当に奥さんを助けてくれるんですか」

「お化けってのは、ちょっとひどいな」

「お化けでもなんでもいい。とっても優しかったんです。今までいろんな家に行ったけど、誰よりも優しかったんです。私、奥さんがもとに戻れるまで、帰りません」


 情というより、依怙地いこじに見えた。

 それよりも今は、説得している暇が惜しい。

「……ま、いいか」

 曖昧あいまいな微笑を見せて、哲夫は車を出した。

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