第2話 トイレの花子さんと戸惑い


どれくらいの時間が経っただろうか……。

呪文が止まり光が薄れ始め、ようやく目を開けられる様になった。


エヴァンが恐る恐る目を開くと、祭壇の真ん中に人影が見えた。

その人影は、白いブラウスに、短くて赤い吊りスカートを履いている、黒髪おかっぱの可愛らしい少女だった。


その少女は不安そうに辺りを見回している。


(この子が聖女様……、なのか?)


エヴァンは戸惑いながら、目の前のステンドグラスと、少女を比較する。


(服も、髪も、背丈も……。なんつーか……、全体的に、小さく……ねぇか?)


想像する聖女像とは違う、あまりに幼い姿にエヴァンは驚く。


「あれが聖女様か?」

「まぁ、可愛らしい」

「まだ子供ではないか?」


広間の人々も、少女を見てざわめいている。


大司教は祭壇の方へ速やかに歩み寄り、頭を下げた。


「あぁ、聖女様。遠いところより、よくおいで下さいました」


人々はひとまず召喚が成功したことに安堵し、少女の言葉を待った。


少女は戸惑いながら、人々の集まる広間を見渡した。


「えっと……、聖女? あっ! 誰かが話してるの、聞いたことある……。もしかして、異世界召喚? って言うんだっけ……。えっ……、私が!?」


驚いている少女を見て、大司教は穏やかに微笑みかける。


「聖女様、ご心配要りません。私はこの教会の大司教を務める、パウロス・リストールと申します。突然のことで多くの疑問がおありかと思いますが、まずはお名前をお伺いしても、よろしいでしょうか?」


「えっと、名前……、花子……。みんなは『トイレの花子さん』って呼ぶよ……」


花子はたどたどしく自己紹介すると、不安そうな眼差しでパウロス大司教を見つめた。


(ん? トイレの花子さん?)


エヴァンは花子の自己紹介がよく分からず首を傾げる。


それもそのはずである。

学校の七不思議に出てくる、お馴染み「トイレの花子さん」を知っている人はこの世界には居ない。

勿論もちろん、エヴァンが分かる訳がないのだ。


花子は焦っているような表情で


「あの! そんなことより、聞きたいことが……」


「はい、何でございますか?」


人々は聖女の初めての質問を聞き逃すまいと、聞き耳を立てる。


花子は、緊張した面持おももちで


「トイレは、どこですか?」


と、尋ねた。


その声だけが、しばらく広間に響いた。

しかし、その余韻が消えても誰一人声を上げない。


花子は不安そうに、目を右往左往させながら人々の様子を伺っている。


「トイレ?」


一人の貴族がボソッと呟く。


花子の発した「トイレ」という言葉は、この世界の人々には耳馴染みのない言葉だった。

その貴族の一言を皮切りに「トイレとは何だ?」という、ざわめきが起こり始めた。


神官や司祭たちは手にしている聖典や古文書にそのような言葉がないか、顔を見合わせながら懸命にページをめくっている。

その場の誰もが、聖女からの初めての質問に困惑していた。


エヴァンもまた、何のことだか全く解らず、ただただ呆然とするしかなかった。


「なんだろうね……『トイレ』って。彼女の世界で儀式に使う道具や、魔道具の名前とかなのかな?」


そう言って、カイも首を傾げている。


パウロス大司教は、眉間に深いしわを寄せた。


「花子様、その……、申し訳ありませんが『トイレ』とは、一体どのようなものなのでしょうか?」


花子は「トイレ」が伝わらないことに困惑し、あたふたし始めた。

よほど重要な物なのか、みるみる顔も青ざめていく。


そして、自信が無さそうに声を震わせ、人々を見渡しながら


「えっと、身体から出る……、要らないものを、流す場所? って、言ったらいいのかな? まさか……、無いってこと……、ないよね?」


「身体から出る要らないもの? それって、……つまり、排泄物はいせつぶつのことか?」


どこからともなく聞こえたその一言が、この場に衝撃を与えた。


「排泄物だと!? このような神聖な場で……」

「聖女様の第一声が、まさか、そのような……」


神殿内に広がるざわめきは、次第に非難の声に変わっていく。


人々の動揺する様子を見て、カイは右手で首の後ろを触れながら困っている。


「ちょっと、良くない雰囲気だね……。まいったなぁ……」


「そうだな……」


エヴァンは、花子の様子を気にしがら同意する。


(このままじゃ召喚早々、聖女様への信頼が揺らいで……。そうなったら、魔王再来時に影響が出るんじゃねぇか? だが、ここに居る人達が、動揺するのも無理ねぇよな……。花子様は何を思って、あんな発言したんだ?)


パウロス大司教は眉間の皺を深くしたまま、重々しい口調で指示を出す。


「花子様。その『トイレ』と仰るものは、おそらく奥の小部屋にございます。神官たちや、花子様をそこへ案内して差し上げなされ」


二人の神官が戸惑いながら、花子の元へ向かう。


「花子様、こちらへどうぞ……」


花子はホッとした表情を浮かべ、小部屋へと案内される。

エヴァンは、その姿を瞬きを忘れる程の緊張した面持ちで見送った。


花子が小部屋に入ったのを見届けると、人々は一層どよめきだす。


「まさか、本当に排泄に?」

「聖女様が排泄だと!? あり得ん……」

「しかし、大司教様が案内するようにと仰っておられるのだぞ、……何か別の意図があるのではないか?」


様々な憶測と戸惑いの声があがる。

そのほとんどが花子に向けられた不信感を含んでいた。


エヴァンは花子の入った小部屋の扉を見つめる。

召喚早々、花子が冷たい視線に晒されるのではないかと不安で仕方がない。


カイは誰かを探すように、背伸びをしながら周囲を見回している。


パウロス大司教は人々を鎮めようと、よく通る声で告げる。


静粛せいしゅくに。花子様にも事情がおありなのでしょう。私達は、花子様がお戻りになるのを静かに待つと致しましょう」


しかし、花子の理解し難い行動に、人々のざわめきは収まらない。


エヴァンも何も出来る気がせず、ただただ立ち尽くしていた。


すると、カイは探していた人物を見つけたようで


「ごめん、エヴァン。僕、ちょっと兄上達と話して、この状況……」


「いやああああああああ!!!!!!」


突然、叫び声が神殿中に響き渡り、エヴァンの心臓が跳ね上がった。

叫び声は、花子の入った小部屋からだ。


(何かあったのか!?)


エヴァンはカイに一言も告げず、人々をかき分け、蹴破る勢いで小部屋の扉開く。


「花子様!」


そこには、部屋の隅に背を付けて体操座りで俯く花子と、困惑している神官達がいた。


「一体、何があったんだ!?」


尋ねられた神官は、白い騎士服を見てエヴァンが聖女護衛騎士だと気がつき、戸惑いながら説明をしてくれた。


神官は普段誰もが当たり前のように使っている、排泄物を決められた場所に運ぶための木製の桶を花子に差し出した。


しかし、花子が思っていた「トイレ」とは異なったようで、花子は再び青ざめた顔をしたらしい。


神官は花子の要望に応えようとしたが……。


「オートミストは!? ウォーターセラミックは!? 極落ちバブルは!? あったかい便座やウォシュレットは!? 全部無いの!?」


と、花子の説明には耳馴染みのない、言葉が多く困り果てたそうだ。


そして、伝わらないことにショックを受けて


「トイレが、……トイレが無いなんて、……いやああああああああ!!!!!!」


と、叫んだ花子の声が、広間まで響き渡ったのだと神官は言った。


(ミスト? ウォーター、バブル? ……何かの呪文か!?)


エヴァンは花子に目を向ける。


花子はブツブツ弱々しい声で

「トイレ……、トイレ……」


と、繰り出えしている。


エヴァンは鼻からそっと小さな溜息を漏らす。


(まったく……、これは骨の折れる任務になりそうだな。だが、異世界から来て困惑している彼女を誰よりも理解し、支えるのは俺の責務だよな……)


エヴァンは深呼吸をすると、花子の目の前に近寄り、ひざまずいて手を取る。


「花子様。わたくし、エヴァン・クレイトンと申します。本日より聖女である花子様の護衛騎士として、お傍にお仕えさせていただきます。微力ながら、御力となれるよう尽力致します。よろしくお願い致します」


花子の腕は力が入っておらず、ぷらーん……として、手を離せば勢いよく落下してしまいそうだ。


「花子様。わたくしにお手伝い出来ることはございますか?」


エヴァンがもう一度優しく呼びかける。

すると、花子はゆっくりと顔を上げ、エヴァンの顔を見て呟く。


「トイレ……」


何度も聞いたその言葉の意味は、全く分からない。

だが、花子はその「トイレ」というものを切実に求めている。

エヴァンは、それが何か理解したいと思った。


「『トイレ』というのは、花子様にとって、とても大切なものなのですね?」


花子はゆっくりと頷く。

その様子を見て、エヴァンは声をかけ続ける。


「もしよろしければ、もう少し詳しくお話いただけますか? わたくし達は、花子様の世界の文化に疎く理解が及びません。しかし、あなたの御力になりたいと願っております」


花子は目に涙を浮かべながら


「水が貯まってて……白くて……。水がジャーって流れる……。トイレは、とても落ち着くとこ……。……私にとって、無いといけない……大切なところ……」


と、たどたどしく答えた。


「承知しました。水が貯まり、白く、水が流れる、落ち着く場所ですね。広間で心当たりがないか尋ねてきます。花子様はこちらでお待ちいただけますか?」


花子は弱々しく頷いたのを確認すると、エヴァンは広間へ戻った。


そして、花子の誤解を解き、場の雰囲気を変えようと力強く発言する。


「どうやら花子様は、排泄のために『トイレ』というのものを探していた訳ではないようです」


先程まで花子を揶揄していた人々は、少しバツの悪そうな顔をしている。


続けてエヴァンは、花子が言っていた場所に心当たりがないか尋ねた。


人々が顔を見合わせ話をする中、黒いスーツのボタンが弾けそうな程ふくよかな体格をした貴族が口を開く。


「少し、心当たりが……」


彼が羽織るマントと両肩で金色に輝くマントの留め具には、枝分かれした角を持つ牡鹿おじかの周りを麦の穂が円形に囲う、印象深い紋章が刻まれている。


その紋章で、彼の家名がすぐ分かり


「アッシュフォード家の……」

「公爵様だわ……」

「流石、教会派閥の重鎮……」


との声が聞こえてくる。


彼はアッシュフォード公爵。国内随一の広大な穀倉地帯を持つ大貴族である。


「私の領地の辺境に、聖女クレエミナ様が創った聖地がございます。そこは、水が貯まり、白く、水が流れる、穏やかな場所で、四百年前に召喚なされた彼女も、そこで英気を養っていたと伝えられております。聖女様にとって無くてはならない大切な場所と言って良いでしょう。必要とあらば、花子様をご案内致しましょう」


詳細を聞くと、行くだけで馬車で丸一日以上かかる場所だ。


「公爵様、感謝申し上げます」

 

エヴァンはアッシュフォード公爵に頭を下げると、パウロス大司教へ進言する。


「大司教様。花子様にとって『トイレ』という場所は、心の安らぎを得られる非常に重要な場所なのだそうです。花子様の世界は、わたくし達の文化とは異なるものが多々あるのでしょう。ですので、彼女の切実な願いを理解し、協力すべきだとわたくしは考えます」


その言葉を聞き、それまで静かに事の成り行きを見守っていたゼノン国王が動き出した。


「エヴァンよ。その言葉しかと聞いた」


その一声で、先程まで騒がしかったのが嘘のように、人々は静まり返る。


少しウェーブのかかったカイと同じ金色の髪。

よわい四十九とは思えない、凛々しい顔立ちのゼノン国王の言葉に、人々は耳を傾ける。


「異世界より来られし聖女が、我々の知らぬ文化を持つのは当然のこと。その『トイレ』とやらが、聖女にとって安寧の場所であるならば、我々もそれを尊重し、可能な限り協力すべきであろう」


ゼノン国王の理解にエヴァンは安堵する。


「エヴァン、アッシュフォードよ。国王ゼノン・ガレガルドが命じる。速やかに聖女をその地へ案内せよ。聖女が心身ともに健やかに過ごせるよう、全力を尽くすのだ」


「はっ! 仰せのままに」


エヴァンとアッシュフォード公爵は、跪き深々と頭を下げた。


パウロス大司教は神官達に迅速な準備を指示し、聖地への旅に必要な物資や馬車の手配を直ちに始めた。


エヴァンは花子のところへ戻り報告する。


「花子様。『トイレ』に心当たりのある御方が見つかりました。ただ、少し遠出になりますが、それでもよろしいでしょうか?」


それを聞くと、花子は目を輝かせて力強く頷く。

その姿を見て、エヴァンは心から安堵した。


パウロス大司教が、指示を一通り終えて小部屋に入ってきた。


「花子様、騎士殿。今日はゆっくりとお部屋でお休みください。明日の朝には出発出来るよう準備致します。長旅になりますので、しっかりと体力を回復なさってください」


そう言って、パウロス大司教は頭を下げる。


エヴァンと花子は神官に案内され、教会が聖女のために用意している部屋へと向かった。

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