第5話 聖女の納豆焼き菓子貝殻風〜ソイソースとジンジャーソースを添えて〜
「せぇ〜んぱぁ〜い!」
間延びした女神の声が事務所に響き渡る。
その声の持ち主に心当たりはあるけれど、正直非常に面倒臭いので聞こえないふりをして無視を決め込む。
私は今昼食の真っ最中だからだ。食べるのに忙しいのだ。
「せぇ〜んぱぁ〜いっ!何で無視するんですかぁ〜っ!?」
間延びした声の女神はわざわざ私の目の前まで来ると、屈んで顔を覗き込んで来た。
視線を下に向けると、目の前には重力に負けたとても大きなスイカが二つゆっさゆっさと右に左にと揺れている。とても柔らかそうだ。スイカなのにぷるんぷるんだ。これにはあの総統閣下もさぞお喜びになることだろう。
「無視では無いわ昼食中よ」
私は間延びした声の女神から視線を戻して自作した『昼食中』のPOPを指差し、出勤前にコンビニで買って来ていた70%増量納豆巻きを口に運ぶ。お供はカップのなめこのお味噌汁…ねばねば×ぬるぬるでちょっと淫靡で危険な感じのする昼食だ。
「職場で納豆巻きとなめこのお味噌汁なんて、いかにも先輩らしいですねぇ〜…よっと!ん〜っ!美味しいですねぇ〜!」
そう言って、間延びした声の女神改め、乳の女神は最後の一つだった私の納豆巻きを指で摘むと、無造作に口に放り込みゆっくりと咀嚼して飲み込み、笑う。
私が最後の納豆巻きを奪われたことにショックを受け震えていると、それに気付いていない乳の女神は、指に納豆の糸が付いてしまったらしく、悪びれもせずしきりにそれを舐め始めた。
「やだもう〜…失敗しちゃったぁ〜…」
納豆巻きを食べた口で舐めてしまったため、指が余計に汚れたらしい。
至るところでその姿を見た男神達の「うっ…!」という声が聞こえてくる…まあ、実際非常に股間に悪いどエロい仕草なのだから、そういう反応になっても仕方がないことだろう。しかも、狙ってやっている訳ではないところがまた余計にエロいのだ。この女神、スケベ過ぎる。
私は武士の情けで男神達の声を聞かなかったことにし、乳の女神を睨み付けた。
「私の昼食を邪魔しただけでは飽き足らず、最後の楽しみの納豆巻きまで奪うとは…貴女、良い度胸をしていますね…。食べ物の恨みは恐ろしいのですよ?ただで済むとは思わないことです…」
静かな怒気の籠った私の言葉に、周囲の空気が一瞬で張り詰め緊張が走る。
私はここでは非常に面倒臭く機嫌を損ねると厄介なアンタッチャブルな存在として認識されている。
そのため、余程の用事が無い限り誰も話しかけてくることはないし、極力関わらないよう皆細心の注意を払っているのだ。
ごく稀によそ見をしていて私にぶつかる
だが、どこの世界にも風変わりな存在がいるように、神々の中にもそんな変わり者が少なからずいる…この乳の女神もその変わり者の一柱に該当するのだ。
この乳の女神は、自身が管理する世界から戻ってくるたび、何が楽しいのか必ずと言っていい程私にウザいくらい絡んでくるのだ。
「あ〜ん…!怒らないでくださいよせんぱぁ〜い!
コンビニの納豆巻きなんてたくさん入ってるしいつでも食べられるじゃないですかぁ〜っ…!?」
「そんな事は関係ありません。私が楽しみにしていた最後の一個を勝手に食べた事が問題なのです」
「じゃあ、お詫びにこれを差し上げますから許してくださいよぉ〜っ!」
そう言って乳の女神は涙目になりながら胸の谷間に手を入れ、綺麗な狐色に焼けたマドレーヌを取り出し、納豆巻きの入っていたパックの蓋に乗せた。
マドレーヌからは湯気が立ちしっとりとしている…それが焼きたてだからなのか胸の谷間の温もりと汗なのかは正直知りたくもないし、考えたくもない。
恐らく、周りにいる男神達ならば大枚を叩いてでも食べたいと思うだろう…男とは度し難い生き物なのだ。
もう一度言うが…この女神、スケベ過ぎる。
マドレーヌは18世紀のフランス発祥のお菓子で、菓子職人が不在の際に召使いの「マドレーヌ」という少女が作ったと言う説と、貝殻の形が聖地巡礼の際に使われたホタテ貝に由来し、マグダラのマリア(マドレーヌ)信仰に関連して名付けられたとも言われている焼き菓子だ。
パックの蓋を醤油皿にし、そこにガリも乗せる主義の私の蓋に乗せたのだから、マドレーヌはもちろん醤油とガリの汁に漬かっている…しかも納豆のねばねばと風味付きだ。これはもう菓子ではない…劇物だ。
「ここじゃ物が壊れる……屋上へ行こうぜ……ひさしぶりに……きれちまったよ…」
私が静かに立ち上がってそう言うと、乳の女神は慌てて顔の前で手を合わせ、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ご、ごめんなさぁ〜い!本当にわざとじゃないんですぅ〜っ!お皿の代わりに置こうと思っただけなんですよぉ〜っ!!」
私は涙目で謝罪している乳の女神を見て深い溜息を吐き、ゆっくりと椅子に座り直し腕と脚を組んで睨み付けた。
「お詫びのつもりなら洋菓子じゃなくて和菓子を持ってきなさい。私は緑茶派よ」
「分かりましたぁ〜っ…」
「それと、そのマドレーヌは貴女が食べなさい。
貴女は知っているかしら?みたらし団子のみたらし味って、醤油と砂糖の味らしいわよ?」
私がそう言って「
「これはぁ〜…先輩が私の世界に送ってくれた子が作ってくれたお菓子でぇ〜…先輩に食べて欲しくて持って来た物なのでぇ〜…」
「そんな大事な物を台無しにしたのはどこのどなたかしら?」
目を逸らして言い訳を始めた乳の女神に対し、有無を言わさず更にマドレーヌの醤油漬けを差し出した私の本気の目を見て、乳の女神がガタガタと震え出す。
それに伴い、乳が上下にばるんばるんと元気よく跳ねている…そして、またしても「うっ…!」と声を漏らし、股間を押さえて中腰になる男神達。いい加減非常にウザい。
「わ…私ですぅ〜…。私がやりましたぁ〜っ…」
「なら、貴女が食べないといけないわよね?まさか、自分が管理している世界の子が一生懸命作ってくれたお菓子を、食べずに処分する…なぁ〜んてこと、しないわよね?まさか…ねぇ?」
「うぅ〜っ…食べますぅ〜…」
私の圧に屈し、涙目になった乳の女神は震える手でマドレーヌの醤油漬けを摘んでゆっくりと口元に運ぶ。
「ひぃ〜っ!…うぷっ!な、なんかめちゃくちゃ変な臭いがしますぅ〜っ!」
「誰のせいだったかしら?」
「うぐっ…!わ、分かってますよぉ〜…ちゃんと食べますよぉ〜…」
そう言いつつも、乳の女神はマドレーヌの醤油漬けを口に近付けては顔を逸らして距離を取ることを何度も何度も繰り返していたが、私の無言の圧力に意を決してやっとの思いでそれに齧り付いた。
その瞬間、乳の女神は時が止まったかのように動かなくなったが、しばらくして徐々に顔を顰め、滝のような汗をかき、ぽろぽろと涙を零し始めた。
「んぐぅ〜っ…!ぐおえっ…ま、まっずぅ〜…!!
な、納豆臭いマドレーヌの甘さに醤油のしょっぱさとガリの酸味が口の中で喧嘩してめちゃくちゃ不味いですぅ〜!!」
「まだ残っているわよ?ほら、我慢して食べなさいな」
乳の女神は何度も繰り返しえずき、乳を揺らして震えながらも最後の一口をなんとか嚥下し、私の机の上にあった緑茶を奪って勢いよく飲み干すと、大きく息を吐いた。相当キツかったのか、エロい表情で肩で息をしている。
何度でも言うが…この女神、スケベ過ぎる。
「はぁ〜っ…はぁ〜っ…うぷっ…。な、何とか食べ切りましたぁ〜っ…」
「そうね、偉いわね。でも、どうしてかしら…私が飲むはずだった緑茶が無くなってしまったの。
ついさっきまで机の上にあったはずなのだけれど、不思議なこともあるものよねぇ…食後の楽しみだったのに困ったわぁ…。
ねえ貴女、私の緑茶が何処に消えてしまったか知っているかしら?」
そう言って私が微笑んで視線を向けると、涙目になっていた乳の女神の顔から一瞬にして表情が消え、またもやガタガタと震え出した。
「ここにね、マドレーヌの味が染み出した醤油に漬かっているガリがあるの…私が何を言いたいか、貴女には、分かるわよね?」
「はぁ〜っ…はぁ〜っ…はぁ〜っ…んぐっ…はぁ〜っ…はぁ〜っ…はぁ〜っ…うぷっ…」
乳の女神は瞳孔が開き、脂汗を浮かべ、震える右手で胸を押さえている…ギリギリと音がするほどに強く掴んでいた服の胸元からは、今にもたわわなスイカがこんにちわと元気よく挨拶をしてきそうだ。
「まさか、残すなんて選択肢…無いわよね?」
「うっ…うぷっ…!!」
鼻先まで差し出されたガリの匂いに、乳の女神は左手で口を押さえて後ずさる。
私は更に蓋を差し出し、満面の笑みを浮かべた。
「ほら…早くお食べなさぁい?」
「ご…ごめんなさぁ〜い!!!!」
そう叫んだ乳の女神は光の速さで逃げ出しトイレに駆け込む。
ガチャリと鍵を掛けたその数秒後、盛大に嘔吐する音が聞こえ、その後しばらくの間、トイレから漏れ出てくる乳の女神の咽び泣く声だけが狭い事務所の中に虚しく響き渡っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます