第6話 重い気分
書類の山が半分片付いたかというところで、昼休憩を知らせるベルが鳴った。
昼抜きで仕事を続けても効率が悪い。
空気が澱んでいる執務室から逃げるように、私は食堂に向かった。
黒や焦茶の壁や床の多い事務棟と違って、食堂は白を基調としており、窓も多く明るく、開放感のある場所だ。
安くて量があるので、若い隊員達に人気でいつも混んでおり、どこもざわめいている。
ただ、なぜか窓際のテーブルだけはいつも空いているので、今日も座らせてもらった。
「書類の進捗はどうだ」
そしてさも当然と言ったように、レイヴァーは私の前に陣取って今日も座る。
「残業にはならないようにする。なったらお前の講義はめちゃくちゃになると思え」
どうせやるなと何度言ってもやる、この男は。
レイヴァーはくつくつと笑い、パスタを器用に巻いている。
「ところで、お前はあの資料を読んだか、レイヴァー」
「休憩中にも仕事の話かケティス。まぁいいだろう、なんだ?」
炒めた肉を口に放り込みながら、午前中に確認した資料を見て気になった点を、どう思うか聞いてみる。
普段は喋りながら離しちゃダメと弟子に言っているが、ここは職場だ。
弟子に見られてないなら、まだギリギリセーフだ。
話に熱中していたら、視界の隅にくすんだ黄色が映る。
顔を右に向けると、テーブル横の通路に知らない小柄な金髪の少年が立っていた。
制服の胸の刺繍デザインを見るに、一般兵だ。
私達、なんなら、私を見ている。
「なにか急ぎの用事か。用件と所属を伝えてくれたら対応しよう。そうでなければ、午後で構わないか?」
こちらから聞いても、少年は口を開かなかった。
代わりに、彼の手が、ぎゅ、とより強く握られる。
白い礼装用の手袋が、わずかに揺れた。
私は考えを巡らせて、一つの可能性で彼に提案する。
「もしかして、このテーブルを使いたいのか。なら言ってくれれば」
「そこはあんたの特等席ってここにいる全員が知っていますよ、リチェルカルド中将」
周りのテーブルに座った者達が一斉に振り返った。
ある者は視線を向け、ある者は慌てて顔を逸らす。
会話が、ぴたりと止んだ。
「だから全員、混んでいるのに気を遣って毎日空けていること、知ってるはずじゃないですか。今更気をつかう振りですか?」
その声は、少年らしい少し高く擦れた声でありながら、こちらを押すような圧があった。
そんなこと知らない。
私は頼んでいない。
周りのテーブルを見ると、会話をせずにこちらの様子を伺っている青年達ばかり。
目が合うと、慌てて逸らされた。
「将校の階級でレイヴァーさんと2人用の執務室が与えられてるのに、わざわざ狭い食堂に毎日やってきて迷惑なんですよ」
「……それは、気が回らなかった。すまない」
私は頭は下げず、右手を胸に添えて謝罪した。
内心思う。
レイヴァーだって同じ将校じゃないか?と。
……いや、違うんだろう。
レイヴァーはどんな方法であれ自分から部下や周りに足を向けて、打ち解けている。
私は、自分から行くことはしない。
その違いが、今を招いているんだろう。
「退けばいいだろうか。君達を不快な思いにさせてしまっているなら謝る。どうすればいい?」
すると、少年は握っていた礼装用の白い手袋を、私の前のテーブル上に投げつけた。
「決闘を挑みます!!僕が勝ったら、二度とこの食堂を使わないでください!!」
静まった周囲が一気にざわつく。
衆人環視の中、レイヴァーが一瞬こちらを見て少年に声をかけようとしたが、手は挙げてレイヴァーに視線を送り止める。
昼が終わるまで、時間もない。
私が騒ぎを収める責任はあるだろう。
「……いいだろう。決闘というのであれば、木刀を使った剣での勝負でいいか」
私は少年の灰色の目を見つめる。
少年の瞳がわずかに揺れたが、目を逸らすことはしなかった。
「君は負けた場合、何らかの責任を負う必要があるのは分かるか?それを了承できるのであれば、私は受けよう」
「いいですよ」
灰色の目が毅然として睨みつけてくる。
私はそれを確認すると、目を伏せて、頷いた。
「分かった。君のために時間を作ろう」
周りの観客がざわめく中、立ち上がった。
「日程を調整したら連絡する。君も有給休暇を使いなさい。見学人も同様だ」
私はテーブルの上に置かれた手袋を拾い、彼に渡す。
「改めて。ケティウス=E=リチェルカルドだ。失礼だが、名前を教えてくれるか。」
「ジャック=マートレーです。待ってるんで」
少年は手袋をひったくるように私の手から取ると、そのまま踵を返して食堂の出口に進んで行った。
少年が立ち去っても、周りは依然として私をそろそろと肩をすくめるように見上げている。
私は周囲に顔を向ける。
「彼と志を同じとするなら、一緒に、あるいは個別に同じように話してくれても構わない」
できれば、手元の昼ごはんを食べ終わってからがいいが。
「私には君達の不満を聞く責任がある。時間は限られるが、言いたいことがあるものはいるか」
そう声を張り上げると、全員が小さく首を振ったり、慌てて目を逸らした。
私は溜め息を聴かれないように、息を細く吐いて席に座った。
「面倒なことになったな、ケティス」
そう言いながら、楽しそうな目の前の男は少しも同情しようと思っていないらしい。
「知らなかった。いつの間にかここは私の席だったのか」
いつだったか、何回か相席を頼んでから誰もいなくなった気がする。
その時に、気がつくべきだったのだ。
「頼んでもいないことに対して推し量り行動するのは、ただの弱者側の生存戦略だ。周りが望んだだけで、気にしなくてもいいとは思うが」
レイヴァーが言っていることも間違ってはいない。
私は頼んでいない。
彼らが避けたくて避けただけ、と言えばそれはそうだろう。
「……いや。彼はきっと代表して皆の気持ちを言ってくれたんだろう。……手が震えていた。怖かったんだろうな。申し訳ないことをした」
サラダを無理矢理口に押し込む。
時間が経ちすぎて、食感が落ちている気がした。
「じゃあ、わざと負けるのか?お前が負けるようにするには、だいぶ演技力が必要だと思うが」
「普通に、怪我しない程度に勝つつもりだ。配慮はするが、私にも上官という立場がある」
彼に勝ちを譲った場合と、負かした場合、比べてあまりにも私のリスクが高すぎる。
「それで、名前は何だったかな」
「ジャック=マートレー。私の部隊にいる。一般家庭の成績、素行共に普通の少年だったから、今回は私も驚いた」
彼の出自はどうでもいい。
「分かった。むしろ、彼が普通の少年ということは、私が普通に嫌われているのだろう」
レイヴァーが口と視線を真横に引く。
「フォローはいい。鬼教官と呼ばれていることも知っている。ただ、私がそれをカバーしなかっただけだ」
ともあれ、日程調整と連絡、今後のお昼ご飯のことだけ考えよう。
フォークの先には、もうピクルスしかない。
ピクルスは、あまり好きじゃない。
食べる順序を考える暇がなかったから、何も考えずに好きなものを優先して食べてしまった。
最後の食堂の昼食なのに。
選択を誤ったかもしれない、と思いながら水で流し込んだ。
私は部下に冷た過ぎるんだろうか。
話すと言っても、何を話せばいいんだろうか。
レイヴァーみたいに恋愛の話はできないし、仕事の話だと上下の延長線になるのではないか。
公私混同を避けるために、自分を律してきた。
それが、今となって仇となっている気がする。
昼休憩が終わり、自分の部隊での体力作りの時間に腕立てをしながら考え続けるも、一向に質問だけが堂々巡りし続ける。
チラと左右を見れば、30人程度いる私の直属の部下は、一つ前のノルマであるはずの腹筋のノルマ回数をこなせずにいる。
腕立ての設定回数が終わり、私は1人立ち上がった。
周りを見ても、誰も立っていない。
今までだと、終わるまで黙って待っていた。
終わっても、体幹の話やこれがどう実践に生きるか、という話ばかりで、その他に関係ない話はしていない。
限界そうな表情で食いしばって腹筋をしている青年の前に立って彼の様子を見る。
細くてまだ筋肉がついていない。確かにこれはきついだろう。
「皆、一旦止めて休憩していい。水分摂取は忘れないように」
そういった途端に部下達は呻き声をあげ、体を重力に身を任せ、地面に張り付くように転がった。
私は目の前で腹筋をしていた細い青年の前に腰を下ろし、声をかける。
「ヘンリー君。休憩時間だが、聞いてもいいか?……ノルマは、現在の君には到達は厳しいか?」
「あっ、お、オレですか!!」
慌てて起きあがろうとしたのを手で押さえる。
「えっと、いえ、自分頑張ります!!頑張るので、大丈夫です!」
休憩と言ったのに、敬礼したまま声を張り上げる。
周りもこちらの様子を伺っている。
私はなるべく、抑えるように優しい声を意識した。
「もう少し、ノルマを下げようと思ってね。君はどう思うかな?」
「いえ、いけます!!やらせてください!!オレ達のこと、見捨てないでください!!」
「俺らいけます!!」
他の部下たちも、俺も、と呼んでいないのに寄ってきて声をかけてくる。
私は困惑しながら返した。
「わ、分かった。分かったから落ち着きなさい」
止めているのに、にじり寄ってくるのがなんなら怖い。
私は目線を下げた。
「ただ、君達がいずれ自分を守れるようになれば……ノルマの件は、また相談させてくれ。私の設定が高すぎた、誤っていたことを謝罪する」
はっきり言おうとしたが、出てきたのはボソボソとした声だった。
聞こえていないかもしれないが、繰り返す気にはなれない。
私は手を横に振った。
「休憩時間なのに邪魔して悪かった。5分延長するから。解散」
私は自分から部下達から離れ、フェンスにもたれるように地面に座って、青い空を仰いだ。
汗ばんだ体に風が吹き抜ける。部下に聞こえないように、小さく呟いた。
「――サボりたくなる気持ちが、今はわかるかもしれない」
午後、書類をあちこちに渡したり報告するため廊下を歩いていると、上官に声をかけられた。
「やぁ、リチェルカルド君。昼、大変だったみたいじゃあないか」
この方は。
一瞬忘れていたが、前に見たレイヴァーのリストから思い出して、背を伸ばして敬礼する。
「君みたいに若くして出世すると、立場の違いが分からず生意気に逆らってくる部下も出てくるのだな。私が処罰してやろうか」
ニヤニヤと探るように笑って探りを入れる姿に、敬礼を下げず、真顔のまま返す。
「お心を配っていただき、ありがとうございます。私の指導力不足故のことです」
「君は東部の管理職だけで収まるような器じゃあないことは、我々ならようく分かっているが、世間に出たばかりの若者には分からないようだ」
一瞬、自分の眉が動いたが、顎を引いて姿勢を直す。
「私らは、君の輝かしい未来をサポートする準備はいつでもできている。安心して相談してくれたまえ」
「痛み入ります」
「君のお父上では細かいことができないこともあろう。遠慮なく言うんだよ。そうだ、もし中央で軍部会議に呼ばれたら、君も同行してくれるかね?」
「日程によりますが、なるべく善処します。それでは、呼ばれておりますので私はこれで」
そう言い切り、私は逃げるように大股で上官の側をすり抜けた。
分かっている。
幼少より軍学校に入った時から、分かっているつもりだったはずだ。
それでも、今日みたいに色々と重なると改めて感じる。
「……面倒な存在だな、本当に自分は」
早く、帰りたい。
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