第4話 遠く知らない世界の話

「ごめんね、セラピナもお年頃ってやつでさ。あんたたち兄弟って、顔はいいじゃん。王子様とのデートに憧れているんだろうね」

 

 皿を洗うセナの横で、布で皿を拭き、食器棚に戻す。

 

「顔はいいってなんですか。性格の方がもっといいじゃないですか。私は」

 

 訂正を求めたら、セナは軽く笑った。


 「はいはい。

 ……あのさ。いつも妹のデートに付き合わせて、ごめん」


 カチャカチャと、泡だらけのセナの手の中で皿が鳴る。

 

「費用は払うからさ、もしセラピナが報告してなかったら、言って欲しいんだ」

 

「そんな大したことはないですよ。お菓子くらいです」


 そもそも私の稼ぎは将来の家庭のため、とか家購入の貯蓄くらいしか用途もないから、それくらいは全く問題ない。

 

 “お姉ちゃんにもドレスを買ってあげて欲しい“

 

 お金を最近使ったことといえば、姉妹のためにドレスを買ったことくらいか。

 欲しがっていた妹には渡しているが、姉には何も言っていない。

 妹に急かされ、似合いそうな色、デザインを選んで買った。

 何着か保管はしているものの、渡す機会がない。


 渡しても、踊る機会がない、踊れない、もったいないと言われて、返されそうな気がした。

 貴族であれば、王家主催の年1回の舞踏会へ招かれるか、他貴族の祝いの席等で着る可能性もあるが……、セナの家では、もう招待される機会はないだろう。

 私が連れていくこともできる。

 ただ、私自身が、ああいう場は好きではないし、セナ自身が望まなければ行く気はない。

 

「ねぇ、言いたくないならいいけどさ。さっき、海に行きたいって言ってたじゃん」


 どうしようか考えていたら、静かに声が降ってきて現実に戻される。

 

「ん?あぁ、そうですね。どうかしました?」

「いや、なんでかなって。気のせいかもしれないけれど……あたしを見て言っていたような気がしたから。気のせいだったらごめん」

 

 リビングでは、兄が姉弟達と大袈裟に笑っている声が聞こえてくる。

 

「あたしもそれ聞いて、いいなぁって思って。海って、見たことないからさ」

 

 セナは顔を上げて、キッチンと外を隔てるガラスの向こうの青空を見て、緩く笑った。

 私達の国は隣国に囲まれ、海がない。川や湖はあるが、海産物は輸出品に頼っている。

 私は仕事上、援助や遠征、訓練でジャングル、海の自然に触れている。

 そのせいで、仕事のイメージが強すぎて、海がいいなと思ったことはない。

 

 ……遠くに行きたいと思ったことは。

 そんなこと、あっただろうか?

 

「貴方を見て、好きそうだなと思って。……深い意味はないですけど」

「そっか。海って、どれくらい塩っ辛いの?波って、どれくらい押されるのかな」

 

 生まれてから自国を出たことがない、旅行にも行ったことのないセナには物語の世界と同じようなものなのだろう。

 

「パスポートは必要になりますが、1泊くらいで行けますよ。白い砂浜、透き通る海、そんな人気のところはもっと遠いですけど」

「そっか、海も色々、色とか違いあるんだもんね」

 

 皿を見つめながら溢すその声色が、セナの肩を小さく見せるような気がした。

 思わず声をかけた。

 

「連れていきましょうか」

 

 パッとセナがこちらを見る。

 1秒くらい経ってから、歯を見せて笑った。

 

「いや、いいよ。妹達が望んでいるか分からないし」

 セナは泡だらけの手を小さく振った。

 

「そうだね、もし……学費に目処が立ったら、妹達だけでも色々な世界を見てほしいな。でも、幼い内から経験あった方がいいのかな?どれくらいお金かかるんだろう」

 話を聞いていて、話の中にセナ本人がいないことが気になった。

 

「あなたも見てもいいんじゃないですか?」

 

 最後の皿の泡を水で落として、セナが笑いながら私にその皿を渡す。

 

「あたしにとっては、あの子達が幸せなのが1番嬉しいんだよ。だから、きっと自分のためにお金を使ったら、ずっと後悔する」

 

 セナが妹弟達の親代わりというのを誰よりも感じているのはセナ自身なのだろう。

 ただ、セナだってまだ成人手前だ。

 子どもとして、色々な経験はすべきなんじゃないだろうか。

 

「じゃあ、あなたの分は私が出します。私が大人として付いていく。それでいいんじゃないですか。妹達が嫌がったら、私達で行けばいいし」

 

 セナはえぇ、と眉と目尻を下げて笑う。

 

「いや、いいよ。あたしのためにお金なんて。それなら、あたしは行かないよ」

 

「来て欲しくて」

 

 咄嗟に言うと、セナはこちらをじっと見つめてから首を少しだけ傾げた。

 

「どうしたのさ。もしかして師匠が行きたいけど、1人じゃ不安とか」

 

「……そうですね。そうだとしたら、セナは付いてきてくれますか」


 私は大人だから、実際は見守る側だけれど。

 弟子が素直に楽しむ機会が与えられるなら、多少の嘘は仕方ないだろう。

 

「そうだね。役立てるかは分からないけど、話をして悪い人とか、嘘ついてたら大体わかるから。師匠騙されそうだし、そういうとこでは守れるかもね」


 セナは仕方ないね、と小さな声で胸に手を当てている。

 

 私は皿を拭き終えて、全て棚に戻した。

 一人暮らしには多いほどの食器の数だとはいえ、余分な数はないので丁寧に置く。

 後ろでは、子供たちの楽しそうな声がずっと柔らかく響いている。

 

「じゃあ、約束しましょう。またセナが海に行ってもいいなと思ったら、声をかけてください。付いてってもらうので」

 

 約束の証に、自分の親指の爪に唇をつけ、セナの右手も掴んで同じようなフリをした。

 そういえば、約束のポーズとしてこのジェスチャーは定番だが、元々の形としては約束を違えた側の爪を噛んで剥いでいたらしく、最近は実際にやってしまった、という事件もあったな。

 

 でも、この約束を守らなくても、きっと弟子は「いいんだよ」と笑って流すだろう。

 別に守りたくない訳でもないが、そう思った。

 それで済ませていいものかは、分からないけれども。

 

「うん。あ、ゲーム、一旦終わったみたい。師匠、見にいこう」

 

 自分より小さく白い手を離す寸前、抜ける時の手の冷たさに、咄嗟に再度手を掴んだ。


「師匠?」

「……あぁ、いえ。なんでもありません」


 手を離した途端、セナは小走りでリビングに向かう。 

 陽だまりの中で笑い合う、輪に入るその背中がどこか遠くに見えて、ゆっくりと瞬きをしてから息を吸った。


 

 私は、本当に海に行きたい訳じゃない。

 

 でも、じゃあどこに行きたいんだろう。

 普段のプライベートだと、ついぼんやりと日々を過ごしてしまい、あれをしたい、これをしたい、という気持ちが起きない。

 私が行くべきところ、するべきところ――。

 

「ししょー、早くー」

「あ、はーい」


 

 “――遠くへ行こう。誰にも追いかけられないほど遠くに、2人で。“

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