ep12 浄化のきもち(2)
「さて。」
今日もクールな美貌のルーエンが、眼鏡をくいと押し上げる。
心なしか紫の瞳が熱を帯びている気がする。魔式の研究している彼からしたら、浄化の魔法は興味深い内容なのかもしれない。
今にも黒板に難しい数式をばーっと書きだしそうな雰囲気だった。
実際、学院ではやっているのかもしれない。ヒナタには理解できないから、ここではやらないだろうけど。
「初めに正直に申し上げますと、浄化の方法については明文化されていません。」
「――なるほど。」
困った時の神妙な面持ちを作ってみたが、“めいぶんか”が変換できない。誰か辞書をここに。
「文章として明確に書き記されていないのだ。だから、ヒナタのような感覚で魔法を行えるということが重要になる。」
「……なるほど。」
セリアスのフォローが効いている。なんというか、心でも読めるのだろうか。
「ルーエン先生、俺、頑張るね。」
言って、力強く頷いた。
――だが。
「なんでだろう……。」
“水の穢れ”に侵された水の入った小瓶を前に唸ってしまった。
『浄化』『綺麗になれ』『透明になれ』――思いつく限りの言葉とイメージで魔法を試したが、何の反応もない。
相変わらず、小瓶の中の緑色の水はどろりと重く、その危険性を訴えている。
ルーエンとセリアスは難しい顔をして何が原因か話し合っている。光の魔法の時にも見た光景だ。
あの時は、ヒナタの下手な魔式に難しい顔をしていたらしい。あとで知って、ちょっとすねた。
うーん、と考える。
なんとなく――原因は分かっていた。
無から生み出すのではなく、あるものを“変える”――つまり、原因が何なのか、が大事なのではないか。
つまり、穢れは病気と同じようなものではないかと考えていた。
切り傷なら消毒と絆創膏。胃痛なら胃薬。
そういったことと同じで、何が原因か分からないと対処できないような予感がした。
「なんで穢れって、生まれたのかな……」
思ったよりも声が響いて、二人が同時にこちらを見た。
一拍置いて二人で目を合わせて、難しい顔をする。
「原因は、まだ解明されていません。
ただ、神殿では“民草の信仰”が揺らいだことが原因ではないかとされています。
……ですが、私はむしろ、今の神殿の姿勢こそ女神の怒りを買う原因だと感じています。」
セリアスの眉がかすかに動いた。
ルーエンを見るセリアスの瞳は責めというよりも戸惑いの揺らぎに見え、もしかすると巻き込まないように配慮してくれていたのかもしれないと悟った。
それでも、ルーエンへ開きかけた口を閉じたのを見て、気にしなくてもいいのだろう、と判断する。
「仮にそうだったとしたら、なんでそれが民に向いたんだろう?」
「女神様のなさることに私たちが問える機会もありませんので、分かりかねます。ただ、特定個人を狙った例は聞きません。」
「なるほどね……」
ふむ、と考える。
「女神様の言葉を聞ける人はいるの?」
「王族の始祖や、そのほかにも昔はいたと文献には残っている。
だが、今は聞かない。原因は分からないが……。」
「だとすると、気づいてほしくて――だとしたら、俺、女神嫌いだなあ。」
思わず口にするとルーエンとセリアスがぎょっとした顔をする。
「大丈夫だって。女神は、誰か特定の人間を害しないんでしょ?」
小言が届く前に笑って、念のために小さく「……たぶん」と付け加えた。
理からはずれている自分がどこまでのものか分からない。それでもなんとなく大丈夫な気がしていた。
――お前のその呑気な思考、分けてほしいわ……
いつかの記憶の、誰かの声が頭に届いた。
多分、声の主には、安易に言葉を発するなと嗜められていた気がする。
「――ごめん、言葉には気をつけるよ。でも、二人の前なら……つい言っちゃうかも。」
突然そんなことを言ったからか、二人は意外そうな顔をした。セリアスはすぐに破顔したけども。
「私には何でも言ってくれてかまわない。」
「私も大丈夫ですよ。――もちろん、危険なことに注意はさせていただきますが。」
二人のいつも変わらない態度がありがたい。
「……もし、理由が気づいてほしい、ってことは苦しめるのが本意ではないってことだから――
そうなら、浄化に必要なことが分かる気がする。
それが当たってるなら、女神様とやらも俺に罰とか絶対与えられないじゃないかな。」
ただの直感でも――もう少しで、答えに辿り着ける気がしていた。
「“水の穢れ”の人たちの記録を、お願い、できるだけ多く見せて。」
***
そこからは、ただひたすら報告書を読み込んだ。
時間が惜しくて、ベッドの上で読み漁った。限界がきたら眠って、はっと起きてはまた読む――それを繰り返した。
報告書は生き残った人々の証言がそのまま記録されていた。
国の重大な急務だからだろう、それらは詳細に記載されていて胸を刺すような記述ばかりが続いた。ページをめくる指が鈍り、目の奥がきしむ。
それでも読まなければ、何が必要なのか分からない気がした。
紙の匂いと涙の塩気。インクが指を黒く染め、紙の重みが掌に移っていく。
読み進めるほど、誰かの人生が手に滲んでくるような気がした。
ときに泣きながら読む日々に、セリアスは一度だけ「無理はしないほうがいい」と言ってくれた。
それでも、無言で一度首を振っただけで、ただ側で同じ紙面を追い、同じ時間を過ごしてくれた。
落ち込めば頭を撫で、抱きしめ、そばにいてくれる――その積み重ねが、この時間を越えさせてくれた、と切に思う。
ルーエンも顔を出してくれていたが、何を話したかは朧げだ。
“水の穢れ”によって多くの人の命が奪われ、多くの人々の人生が狂ったのだ。
以前の世界では神はあくまで信仰の対象で、遠い存在だったが、この世界は違う。
この事象が科学などで解明されることはなく、理でも解けず――“女神の沈黙”として受けとめられている。
なんて残酷なことだ、と思う。
それでも――原因があるだけ、救いだと思った。
原因があるものは、きっと手が届く。
道はまだ消えていない、と感じていた。
目の下が濃い隈に覆われたころ、ようやく最後の一枚を読み終えた。
最後まで見守ってくれていたセリアスと、ルーエンに笑顔を向けた。
ずっと心配してくれていた気配は感じていた。
ただ、感謝の言葉までは出なかった。一刻も早く確認がしたい――この力に本当に救う効果などあるのか。
「――セリアス。小瓶を持ってきて。」
セリアスはヒナタの考えを読んでいたかのように、すぐに小瓶を渡してくれる。
気が利きすぎるほど優しい男だ。
「……セリアスがいて、生きてて、そばにいて、うれしい。」
報告書の余韻も、寝不足も、言葉に飾りを許してくれなかった。もう、正常な思考ではなかったと思う。
セリアスは驚いたように目を瞬いたあと、優しく笑う。
綺麗な髪も、瞳も、なにより存在そのものが何よりもまぶしく見えた。
愛しい人が生きて、そこにいる。
これは何よりも代えがたいことなのだと強く思う。
――神には、願わない。この人が幸せでいられる世界にしたい。
この人が守る国も、何もかも。悲しいことがこの人に降りかかってほしくない。
報告書の内容で感傷的になっているのは自覚していた。
それでも、勝手に魔法が発動する気配はない。
もしかして願いが大きすぎて魔力が足りないからか――いや、それより眠い。
もやがかかった思考の割に、感情だけは研ぎ澄まされている気がした。
小瓶を見る。
どろりとした緑色のそれは、今は廃村となった一番被害の大きい村から採取されたものだ。
人々の記録が、感情とともに胸へ蘇る。
――人々の“幸せを祈ること”。“悼むこと”。きっとそれがたどり着くべき答えだ。
その確信は、果たして正しかった。
掌にほどけた光が、瓶の内側を撫でる。
濁りに触れた瞬間、微かな泡の音が立ち、色が淡く溶けていく。
ふわふわと残像めいた光の雫が溶け、瓶の中の水は透明にきらめいた。
小瓶の変化を見届けた瞬間、ベッドに倒れ込んだ。
「女神、ざまあみろ。」
苦し紛れに毒づいた。言葉になったかは分からない。
たぶんこれも女神の思惑どおりで、どうにも気に食わない。
そう思いながら――でも、まあ、いっか。と締めくくる。細かいことは気にしない主義だ。
額にやわらかな指先が触れる。
「おやすみ、ヒナタ――」
その声を最後に、やわらかな暗がりに沈み、静かな眠りへと落ちていった。
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