8.鳥への応援コメント
はじめと最後の夫の変化に、それがどれほどの進歩かは分からなくても、充分に前向きなものを感じられたこと、そしてそこで作っているのがオムライスというのも、このお話のモチーフである卵が幸いの象徴として現れたようで、とてもあたたかい余韻が残りました。
当事者の一番近くにいる者の悲しさや苦しさや焦燥や、正直な相手への幻滅や、そういう生の感情がまっすぐに伝わってきましたが、その中でも、自分を責める気持ちが何より重たく辛いものに思えます。そのことで共倒れになる可能性も充分にあったわけで。なので雪江の登場は本当に救われる思いでした。
そして雪江との関係が一方的なものではなく、お互いに違う困難を支え合うような、それこそパンを与え合うような関係なのもいいなと思います。
細やかな感覚や気持ちの揺れを素晴らしく拾い上げて言葉にされる筆致には、内容の如何に関わらず、読んでいて快感を覚えます。
今回もよい読書時間をいただき、ありがとうございました。
作者からの返信
柊様
「それがどれほどの進歩かは分からなくても、」というのはまさしくで、私もあえて明示はしませんでした。先のことは分からないからという後ろ向きな気持ちもないでもなかったのですが、それも含めてあのシーンで締めたいという、半分願いが投影されたような描写になっています。
ちなみに、何とオムライス=卵のリンクは、偶然です!
私は言われて気が付きました!!(え、もしかして皆様気づかれていた!?)これはもう、作家・小川洋子さんの作品を借りていうところの、
『偶然の祝福』なのかもしれません。
「パンを踏んだ娘」は、もちろん原作はアンデルセンですが、じつは私が小学生のとき、プチトラウマになった歌と映像が出所です。
給食の時間に歌とアニメが教室で流されたんですが、娘が地獄に落ちる場面が結末というバッドエンド。
しかもそのシーンが延々と繰り返されるだけ(「パンを 踏んだ 女 地獄に 落ちた~♪」が、延々続くし、画面も、パンを踏んだまま堕ち続ける少女の影が延々と映し出されている)。
で、てっきりそういうかたちで終わる話だと思っていて、その結末から何かお話ができないかと、長い間思っていたのです。
ところが、原作はあのようなお話で。
これもまた、『偶然の祝福』なのでしょうね。
この物語を書き始めたときは、こんな終わり方に収まるとは思っていませんでした。
シンプルでいて、多様に読んでいただける作品となり、
私色が出た作品だと思います。
お気に召していただけて、幸甚です。
8.鳥への応援コメント
人間生きているといろんなことあるなぁ、とつくづく感じます。
そして、小さな幸せって意外にとても貴重で、かつまた脆い。
ふとしたことで、他人からは窺い知れないことで心がざわついたりもする。
人生はいと複雑なり。
逆に、最近漸く「平凡が一番いいんだよ」という言葉の意味も少し分かるようにきたように思います。
作者からの返信
青山様
お越しくださり、ありがとうございます。
>小さな幸せって意外にとても貴重で、かつまた脆い。
この一文に始まるご感想、私もいたく共鳴するところです。
平凡が崩れ去るのは、本当にあっという間ですよね。
そういう意味で、すごく脆い。
作中でも触れていますが、国内の自死者数に触れているのは、主人公が立ち直れたのはある意味では幸運だった、偶然の積み重ねだった。
そうはならない現実もあり、それを忘れてはならないという自戒です。
偶然を作ることはできませんが、それを表現できたらいいなと思って、
この物語を書き終えました。
お読みくださり、ありがとうございました。
「スー」が無事でありますように!w
8.鳥への応援コメント
身近にうつ病で苦しんだ人がいます。
病気になった人はもとより、それを支える家族やパートナーもすごく苦しいです。
1日を終えて眠りに就くとき、ようやく自分がその日きちんと呼吸をしていたんだなと気付きます。自分を取り囲む全ての色合いが灰色にくすみ、耳に入ってくる誰かの楽しそうな声に心が深く沈んでしまいます。
あれはちょっと地獄に近い場所にいたんじゃないかと、今になってふと思う時があります。
それまで自殺をする人の気持ちなんて本当のところよく分かりませんでしたが、あの境遇を体験したことで自暴自棄になったり、全てを捨ててしまいたくなったり、死んでしまうしか救いがないという境地が少しだけ理解できるようになったかもしれません。
誰かと励まし合うなんて実はちょっと苦手です。
でも自分の心の底を誰かに曝けたい、そんな投げやりな切望が不意に押し寄せてくることもあります。
主人公は立ち上がる機会が得られて良かったと思います。
いつか世界は再び動き始める。
ラストでそんな躍動感が感じられて救われた思いがしました。
素敵な作品を読ませていただいてありがとうございました。
作者からの返信
奈知様
差しはさむタイミングを掴めそうにないので、
まずは、レビューコメントまで、ありがとうございました。
>何かに疲れ果てて「もう頑張れない」と感じている人にぜひ手にとってほしい一冊です。
>物語の鍵となるのは過去に投げかけた小さな善意が、巡り巡って自分の元へ帰ってくるという『優しさの循環』でしょうか。
『優しさの循環』は、半ば願望のようなものです。報われないままに亡くなっていく命も多々あるということを明記したくて、最終話にあの文章(統計)を忍ばせました。(奈知様がたはもうご存じでしょうから書きますが)この辺は、実体験と、職業柄なのでしょう。けれどやはり、私は『いなくなったもの』『喪失』を無視することは、絶対的にできない書き手なのだと思います。
>あれはちょっと地獄に近い場所にいたんじゃないかと、今になってふと思う時があります。
>誰かと励まし合うなんて実はちょっと苦手です。
でも自分の心の底を誰かに曝けたい、そんな投げやりな切望が不意に押し寄せてくることもあります。
言えない気持ちのために小説があると言い切るのは、言い過ぎですかね。
>ラストでそんな躍動感が感じられて救われた思いがしました。
あえてなのですが、淳さんがどこから帰ってきたのかは、じつは明示しませんでした。医療機関からかもしれないし、職場からかもしれないし、やっと外に散歩に行けて、帰ってきたところかもしれないし。
いずれにせよ、大丈夫に近い感情を抱ける一瞬を切り取れればと思い、意味を逆転させたオムライスを象徴に使って、あのシーンを選びました。
私もあのシーンは、好きです。
「パンを踏んだ娘」は、小学生のとき給食の時間に流れていたもので(!)、なんと、地獄に落ちてそのままだったんですよ( ̄▽ ̄;)
原作を知り、何か物語に入れられないかと思っていましたが、
悲願達成!といったところです。
受け取ってくださり、ありがとうございました。
8.鳥への応援コメント
壊れそうになりながらも、必死に「あの日」に戻るピースを探し続ける夫婦の姿に、胸が熱くなりました。
誰かのサンタになれるように、誰かの小鳥になれるように……。日常の些細なやり取りの中に宿る尊さを、改めて教えてもらった気がします。素敵な物語を読ませていただき、ありがとうございました。
作者からの返信
深見様
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
センシティブなテーマを、美談にせずにどこまで書けるか。今回、少々不安がありましたので、コメント、およびレビューのようにご感想いただき、安堵しております。
サンタと小鳥。アンデルセンの童話は、娘がけっきょくは人間には戻れず、飛び立っていく場面で終わっています。それをハッピーエンドと呼ぶかは、人次第だと思います。
ラストシーンも、淳さんがどこから帰ってきたのかは、不明です。
そのご想像次第で、光景は色合いを変えると思います。
心温まるご感想、心より感謝申し上げます。
8.鳥への応援コメント
一瞬の逃避でも、主人公が救われてよかったです。なんとなく誰の気持ちもわかる気がします。そして誰も悪くないんですよね。卵売り場で泣いてしまうところや、それを助けてくれる人……過去と今が繋がるような助け合い。描写が丁寧で、胸に響きました。
作者からの返信
明様
ご無沙汰しております。
ことがことだけに、百パーセント救われる展開にはできませんでした。
ラストシーンも、どこから帰宅したのか明示しなかったのは、そのためです。
今の職場か、新しい職場かもしれないし、単にクリニックの帰りか、就労移行支援所とか、もしくは気分転換の散歩に出られるようになったのかなとか。
卵売り場の、ふとしたきっかけ(ラスト・ストロー)のシーンを目にとめてくださり、ありがとうございます。あのシーンは、肝です。
苦労心労が報われるレビューコメントまで、ありがとうございました!
編集済
8.鳥への応援コメント
淳さんの優しい一言があったから、娘さんに救いの手を出せたというところ、じんとしました。支えるって澱のように疲れが溜まっていくのですよね。相手が身内なら特に…親でも配偶者でも子どもでも。周りからは病気や障害があるって分かりにくい場合は尚更。
物語が差し込まれて、複層的な厚みが出ていて素敵でした。
作者からの返信
葵様
今回は、様々に重なった思いを描くことにためらいを覚えながら書き進めたので、そのお言葉で報われました。
あとは、まだ見ぬ読者様の中でどう響くか。それだけが気がかりです。
外部の人間との繋がりは、やはり鍵を握るというのが所感です。
一人暮らしのうつ病の方で、臥褥ができてしまった方もいらっしゃいました(コミックエッセイ『うつでも介護士』/渡辺河童・著)。
設定の矛盾、ご指摘くださりありがとうございます。
完全にミスです。早期に火消ができ、とても助かりました。
8.鳥への応援コメント
優しい筆致ですね。
読んでいて、ふと高校時代の国語の先生の、うつ病の友達の話を思い出していました。車に雨が降り込むのに濡れるままだったという話。その先生が感性豊かで優しい先生だったせいか、美しく悲しい映像でいまだに自分の中で再生されます。それと同時に自分も、誰もがそういう風にいつなるか分からないという気持ちにもなりました。
今回のお話を読んでも、同じような気持ちになりました。自分も闇に落ちるように落ち込んでいた事がありますし。
障がいというのも、一度その言葉でくくってしまうと、他の人と誰かとの間に、まるで厚いガラス板で仕切られたような壁ができてしまいます。
声を発するのが一歩に繋がるのかな、とそういう思いで読みました。そして最後に希望の光が見えるような、そんな感じを受けました。
作者からの返信
秋色様
経験者と未経験者を繋ぐ力が、小説にもあると思っています。
現実とフィクションという、それこそガラス板でしきられてしまいそうな関係ではあるのかもしれませんが。
日常を描くことが多いのですが、今回は異色の作品というか、違う方向に踏み込んだかたちになりました。特にメッセージ性は意識しておらず、受け止め方は読んだ方それぞれにという作品で。
「車に雨が降り込むのに濡れるままだった」というのは、心情としてはかつての自分を思い出して、おそらくは秋色様同様、私も心揺さぶられました。
>「声を発するのが一歩に繋がるのかな」
秋色様は「りん。」もお読みいただいているのでこんな書き方をしますが、『SOSを出せない人』にも向き合うという命題を琴は背負おうとしているのですから、あの子も大変でしょうね。
でも現実、偶然にでも誰かと繋がれる人もいれば、そうでない人もいる。
私は最近よく特殊清掃の会社が撮影した、孤独死のドキュメンタリーを追っているのですが、本作のような現実のかたちもあれば、その逆もある。
むしろそれを意識して、届く物語と同時に、届かない物語を書いていくのかなと思います。