第3話 笑い仮面

目の前に、たこ焼き。


香ばしいソースの匂いが俺の空きっ腹を刺激する。向かいの席でにこにこしている男は、<休日のエグゼクティブ>といった出で立ちだ。そりゃ確かに今日は日曜日だが。品の良いパンツと涼しげなサマーセーター。薄いジャケットは脱いで空いた椅子に掛けてある。さりげなく手首を飾るのは、フランクミュラー。


似合わない。この男ほどたこ焼きに似合わない人間はいない。いや、もんじゃにも似合わないし広島焼きにも似合わない。たいやきや両さんの人形焼きにも似合わないだろう。むしろ、どっかの高級なフランス料理店でワインでも飲んでいてもらいたい。そういうタイプの男だ。


今朝シンジが帰って行ってから、俺は近所のコンビニに飛び込んだ。この店はタバコだけは別窓口になっていて、ヌシのような婆さんが居すわっている。いかなる眼力か、どれほど老けて見えようとも、二十歳未満の者には絶対タバコを売ってくれない。


その、昔ながらのタバコ屋スペースのそばに新聞スタンドがある。おれは婆さんの鋭い視線を感じながら各新聞の一面をざっと確認し、なにくわぬ顔をして一部だけ買った。


事務所に帰って新聞をあちこちひっくり返してみたが、「ホテルの一室で女性の刺殺体発見」のような記事は載っていない。どういうことなんだ。


考えてもわからないし詮ないことだと思ったので、俺は息子を探して欲しいという高山に連絡することにした。あの死体は女だった。いくら写真が似ていても、別人だ。そうに決まっている。俺は自分に言い聞かせた。


その高山に指定されたのが、この新しく出来たたこ焼き屋。何故たこ焼き屋なのか俺は悩んだが、とりあえず店の前で待っていることにした。そして時間どおりに現れた高山に、そろそろ昼時ですし、と誘われて、今こうして焼きたてのたこ焼きを前にしている。


「どうぞ? この店のたこ焼きは美味しいですよ」


にこにこしたまま、高山が言う。


「はあ……」


そりゃ、朝飯も喰いそびれたからありがたいが、あんた本当に息子の行方を案じているのかと聞きたくなるくらいの笑顔だ。


「息子がここのたこ焼きが好きでねぇ……」


そう呟くように言う高山は、にこにこしつつもどこか遠い所を見ているようだ。そうか、思い出のたこ焼き屋なのか。


たこ焼きは、美味かった。ビールが飲めればもっと良かった。


その後、高山の家に招かれた。今度はその外見にふさわしい、豪華セキュリティ+常時警備員付きマンションだ。その最上階が全て高山の持ち物だという。


勧められたソファに座ると、沈みすぎず、かといって固くもなく、非常に座り心地が良い。デザインからしてイタリア製だろうか。


そんなことを考えていると、高山がコーヒーを持ってきてくれた。自分で淹れたらしいが、さぞ良い豆を使っているんだろう。馥郁とした香りが鼻をくすぐる。


「あらためて、お願いします。息子の、葵の行方を探してください」


高山がまだにこにこしたまま頭を下げる。この人はこの顔が地顔なのか?


「ああ、私がずっと笑ったままなので不審に思っていらっしゃるのですね」


疑問が顔に出ていたのだろう、どこか申し訳なさそうに高山が言う。


「私はね、常に笑顔でいることにしているんです。それこそ何があっても。葵には、私のこれは<笑い仮面>だと言われましたがね」


「はあ……」


としか俺には言うことはできない。高山は常に笑顔でいることを自分に強いている、ということらしい。理由は……別に聞かなくても良い。俺には関係ない。


「あの、お聞きしてよろしいですか?」


「なんなりとお聞きください」


「警察に捜索願は出されましたか?」


高山は首を振った。


「なぜです?」


俺の問いに、高山はやはりにこにこしながら口を開いた。


「警察は頼りになりません。家出でしょう、お宅に問題があったんじゃないですか、そう言われて終わりだ」


「以前にも捜索願を出されたことがあるようなお口ぶりですが……」


高山は頷いた。にこにこしたまま。


「ええ、あります。五年前、葵の双子の兄が失踪した時です」


双子、の兄? 俺はなぜか心臓がぎゅっと縮むような気がした。


双子。双子の兄。


喉の奥で変な音を立てそうになって、俺は空咳をした。


「おや、寒いですか? エアコンがきき過ぎているのかな」


高山が心配そうに首を傾げる。ただの中年オヤジなのに、そんな仕種が妙にはまる。ナイスミドルの色気全開ってやつか?


「いえ……青海苔が喉に引っかかったみたいで」


俺は引きつった笑みを返す。そう、引っかかった。双子という言葉。


実は、俺も双子なのだ。一卵性のせいか、親でさえ間違えるくらい似ていた。似ていた、と過去形なのは双子の片割れである弟が死んでしまったからだ。弟は刑事だった。ヤクザの抗争がらみのとばっちりで命を落としたのだと聞いている。当時の配属先がマルボウだったのだ。


顔は瓜二つでも頭の中は違っていたらしく、優秀だった弟とは高校も大学も別だった。ふたりを並べてスイカの選別のように頭を弾いたら、きっと俺の頭はぼわんとした、いかにも中身が詰まってなさそうな音がしただろう。それでも俺たちは仲の良い兄弟だったけれど。


弟は難関を突破して警察のキャリア組になり、俺はしがない会社のしがないサラリーマンになった。そしてしがない事情でリストラされ、今はしがない何でも屋をやっている。しがないサラリーマンとしがない何でも屋の間に、結婚・娘の誕生・離婚と人生の大きなイベントが続いたが、俺はこうして生きている。


弟も、頭が良いわりにバカだったと思う。どうせならIT長者でも目指せば良かったんだ。


だから、俺は占いなんか信じないことにしている。同じ日同じ時刻に生まれても、こんなに違う人生を歩んでるんだから。


双子でも生まれる順番があるだろうと言われるが、俺たちは帝王切開で生まれた。どっちが兄か弟かなんて本当はわからない。便宜上、たまたま俺が「兄」にされたというだけだ。


俺は暖かい湯気を立てているコーヒーをひと口啜って気を落ち着けた。双子なんて珍しくもないさ。高山の息子も双子だからって、俺たち兄弟とは何の関係もない。


「その、五年前に行方不明になったという方の息子さんは見つかったんですか?」


俺の問いに、高山は首を振った。顔はにこにこしたまま笑い仮面。


「いいえ。十六歳で失踪してそれっきりです。顔はね、葵とそっくりでしたから。あの子を見て、芙蓉も今頃はこんなに大きくなっているんだな、と偲んでいたんです。それなのに、今度は葵が・・・」


高山の笑い仮面はそんな話の間も外れない。いや、外さないのか。もしかしたら「笑いの人面瘡」なのかもしれない。それだったら恐怖だ。


「えーと、その、芙蓉さんはきっとどこかで生きていますよ」


こんなふうに気休めを言うしかできないじゃないか。笑い仮面は怖い。何を考えているのかわからない。


「それに、葵さんのことも、頑張って探しますので」


俺は引きつり笑顔の笑い仮面。本家笑い仮面の高山の足元にも及ばないが。


「ひと月ほど前から行方が分からないということですが、葵さんが行かれそうなところを教えていただけますか。それと友人関係。葵さんはK大生学でしたっけ。それから……」


俺はちらりと笑い仮面の目を見やった。


「葵さんが姿を消すような理由を何か思いつきませんか?」


「葵が姿を消す理由、ですか。残念ながら、私にも思い当たらないんですよ」


にこにこと笑い仮面。


「ただ、あの子の部屋を調べてみたら、ベッドの上にぽつんとこれが落ちていたんです」


高山がテーブルの上に置いた物を見た俺は、叫びそうになった。

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