第38話 意識

 ――疎開民たち


 ここは、

「疎開先」と呼ばれている。


 本当は、

 避難民の集まる場所だ。


 でも、

 その言葉は使われない。


 外聞が悪いから。


 だから皆、

 疎開、という言い方をする。


 元々、

 首都の人間じゃない者たちが

 ここに集められていた。


 農村。

 山間。

 港町。

 交易路の外れ。


 戦争が始まってから、

 順番に、

 静かに、

 追い立てられるように

 移動してきた人々だ。


「安全な場所だ」と

 言われて。


 信じた者もいれば、

 信じるしかなかった者もいる。


 住居は仮設。

 配給は最低限。

 仕事は、ある者だけ。


 不満は、

 口に出さない。


 出したところで、

 何も変わらないと

 知っているから。


 それでも。


 今日は、

 少しだけ空気が違った。


 朝から、

 兵が多い。


 通路に。

 屋根の上に。

 角という角に。


「何かあるらしい」


 誰かが言う。


「偉い人が来るんじゃないか」


 別の誰か。


「徴兵か?」


「いや、違う」


「……天使、だって」


 その言葉が出た瞬間、

 周囲が一瞬、静まった。


 天使。


 冗談だと思う者。

 噂話だと切り捨てる者。

 何かの象徴だろうと考える者。


 でも。


 完全に否定する者は、

 いなかった。


 最近、

 聞こえていたからだ。


 隣国の大聖堂に、

 天使が降りたという話。


 王城に迎えられ、

 言葉を交わしたという話。


 それが、

 この疎開先にも

 来るらしい。


「……何しに?」


 疑問は、

 すぐに出た。


 助けに?

 祈りに?

 視察に?


 分からない。


 分からないけど。


 人は、

 少しだけ

 背筋を伸ばした。


 壊れた靴を

 直す者がいた。


 髪を整える者がいた。


 子どもを

 抱き上げる者も。


 天使に

 見られるかもしれない。


 それだけで、

 人は、

「人の顔」を

 取り戻そうとする。


 馬車の音が、

 遠くから聞こえた。


 重い。

 多い。

 守られている音。


 兵が道を開く。


 人々は、

 柵の向こうに

 押し寄せることはしない。


 ただ、

 立って、

 待つ。


「天使様が来る」


 その言葉が、

 静かに広がっていく。


 救われたい、

 というより。


「見てほしい」


 そんな気持ちが、

 そこにはあった。


 今、

 自分たちは、

 こうして生きている。


 逃げて、

 集められて、

 耐えている。


 それを。


 否定されない存在に

 見てほしかった。


 馬車が、

 止まる。


 扉が、

 開く。


 まだ、

 姿は見えない。


 それでも。


 誰かが、

 無意識に

 手を合わせた。


 誰かが、

 息を止めた。


 ここは、

 疎開先。


 避難民の場所。


 けれど。


 今日だけは、

 少しだけ。


 世界の中心に

 近づいた気がしていた。




 ─────────────────────

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る