第2話 触れないだけで、祈られる

 大聖堂の空気は、張りつめたままだった。


 爆音が遠くで鳴るたび、

 誰かが息を吸い、誰かが震える。


 その中心に、

 ボクが立っている。


 ……正直、動きたくない。


 人が多い。

 距離が近い。

 床も汚い。


 だから、自然と一歩、下がった。


 それだけだった。


 でも。


「……近づけない」

「拒まれたのではない……」

「我らが、選ばれていないだけだ……」


 ひそひそと声が走る。


 いや、違う。

 単純に、怖いだけだ。


 ポケットの中で手をきゅっと握る。

 これ、知らない人に触られる前提で作ってない。


 神官らしき人が、恐る恐る近づいてきた。

 血と灰で汚れた手を、伸ばす。


 ──無理。


 反射的に、半歩、下がる。


 その瞬間、

 大聖堂が凍りついた。


 神官は、

 その場に崩れ落ちるように跪いた。


「お許しを……!」

「我らの穢れた身で……!」


 ち、違う。


 穢れとかじゃなくて、

 単に、距離感の問題で──


 でも、もう誰も近づいてこなかった。


 気づけば、

 ボクの周りだけ、ぽっかり空間が空いている。


 半径、二メートルくらい。


 安心。

 でも、嫌な予感。


「……触れさせない」

「等しく触れぬのは、慈悲……」

「選別ではなく、保留……!」


 何を言っているのか、分からない。


 分からないけど、

 人々の顔が、さっきより落ち着いている。


 泣き叫んでいた声が止み、

 剣を振りかざしていた兵士が、膝をつく。


 誰も、突撃しようとしない。


 ……え。


 ボク、何もしてない。


 ただ、

 怖くて距離を取ってるだけなのに。


 視線を合わせるのも、無理だった。

 だから、床を見る。

 割れた石畳。

 そこに落ちた、自分の影。


「……目を合わせない」

「魂の奥を見ておられる……」

「凡人には耐えられぬのだ……!」


 違う。

 コミュ障なだけ。


 背中のリュックの羽が、

 小さく揺れた。


 その羽を見て、

 誰かが息を呑む。


「……翼を背負いながら、触れぬ」

「地にも、人にも、属さぬ存在……」


 やめて。


 重ねすぎただけです。


 ボクは、ぎゅっと唇を噛んだ。


 逃げたい。

 帰りたい。

 部屋に戻って、ショート動画でも眺めてたい。


 でも。


 この距離があるせいで、

 誰も無茶をしない。


 誰も、泣き叫ばない。


 大聖堂に、

 奇妙な静けさが生まれていた。


「……天使は」

 誰かが、震える声で言う。

「今は、触れない……」


 別の誰かが、続ける。

「だから我らも、

 耐えるべきなのだ……」


 意味が分からない。


 でも、

 世界が、少しだけ止まった。


 ボクは、

 白いレースの袖を掴んだまま、思った。


 距離を取るのは、

 逃げるための癖だ。


 でもこの世界では、

 それが「慈悲」になるらしい。


 ……そんなの、ずるい。


 引きこもりの弱さが、

 誰かの希望になるなんて。


 爆音が、また遠くで鳴った。


 それでも、


 時間が経つにつれて、

 大聖堂の中に、人が増えていく。


 逃げていた人。

 物陰に隠れていた人。

 祈るしかなかった人。


 みんな、少しずつ、

 ボクの見える場所に集まってくる。


 触れない距離のまま。

 でも、離れすぎず。


 そのたびに、

 胸の奥が、わずかに温かくなる。


 怖さが消えるわけじゃない。

 でも、

 さっきより、立っていられる。


 息が、深くなる。


 ……なんだろう、これ。


 褒められてるわけでもない。

 話しかけられてるわけでもない。


 ただ、

 「そこにいていい」って思われてる感じ。


 人が増えるたびに、

 それが、少しずつ重なる。


 ボクは、気づかないふりをした。


 これは、

 気のせい。


 たぶん。


 でも。


 盛りに盛った服が、

 さっきより、少しだけ軽かった。

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